第三章 ラケット

サリーン/カフェの従業員

 その日、あたしたちのカフェはちょっとした騒ぎになっていた。まぁ、カフェっていっても、女の子がお客のとなりでお酌をする、子どもが入っちゃいけない部類のお店なんだけどね。そんなお店の、これまでバックについてくれていた怖いおにいさんたち、それが総入れ替えになって、今日はその新しい人たちが来るってことで、支配人のゴードンはかなり緊張してたみたい。彼らに失礼のないよう、何度も念を押してくるほどに。

 お店を貸し切りにした夜、予定通りにそのおにいさんたちがやってきた。拍子抜けしたのは、そのおにいさんたちが前の人らに比べて若かったってこと。6人来たけど、みんな20代(人間で30代)くらいだったんじゃないかな。

 特に目を引いたのが、ワーゲンっていう体の大きい人だった。軽いくせっ毛の長髪で、たくましい髭もたくわえていかにも・・・・って感じだったから、一番最初にお店に入ってきた時、あたしは多分このおにいさんがリーダーなんだろうってなんとなく思ったし、他の女の子もそう思ってたみたいで、最初にその人に頭を下げていた。

 席に通してお酒を飲み始めると、すぐにみんなでどんちゃん騒ぎを始めたよ。まぁみんな若いからね。女の子に人気があったのがやっぱりワーゲンって人で、フェルプールはたくましいタイプが好きな女の子が多いから、みんな彼に色目を使ってた。あとはロメオって人がちょっとハンサムってことで、何人かの女の子に人気があったかな。

 みんなもう接待を始めちゃってたから、出遅れたあたしは、みんなから外れてひとりで飲んでいる、線の細いおにいさんのとなりに座ってみたの。なんかさみしそうだったから、きっとこのおにいさんは下っ端みたいなもんなんだろうなって。喧嘩も弱そうだったしね。

「……こういうお店、もしかして初めて?」

 あたしが話しかけると、その人は首をふった。そりゃあ、仕事してる男がこういうお店に来たことがないなんてことないだろうけど、でもその人はなんだかウブに見えて、少しからかいたくなっちゃったあたしは、エスコートしてあげるように丁寧にその人の接待を始めたの。

 お酒を注ぐと、その人は他のおにいさんと違って、ゆっくりと、まるでお腹の弱い子がミルクを飲むみたいにお酒を口に運びはじめた。あたしは何だかおかしくなって彼の肩をそっと指で押して言ったの。

「ちょっとぉ、向こうの……ワーゲンさんだっけ? あんな風に飲まないとダメよ。こういうお仕事なんだし、男はもっと豪快にいかなきゃあ」

 あたしが笑ってると、支配人が血相を変えてあたしの前に走ってきた。

「ちょ、サリーンっ」

「どうしたの? 支配人ゴードン?」

「ば、お前、その人がクライスラーさんだっ」

 あたしは隣に座ってる男を見た。

「クライスラー? ……て、誰だっけ?」

 支配人は「あちゃー」て顔をして手で顔をおおった。

「うちのリーダーだよ」ランドっていう、ちょっとイジワルそうな顔をしたおにいさんが、体をあたしに向けて言った。

「……え?」

 その細い人、クライスラーさんは照れくさそうに肩をすくめたほほ笑んだ。緑と黄色と赤が混ざったような瞳はやっぱり寂しげで、なんだか影の薄いおぼろげなひとだった。

「ねぇちゃん、俺の飲み方はみみっちいかい?」 

「あたしは好きだよ。こういうにぎやかなところじゃなくて、静かなところでふたりで飲むんだったら、あなたみたいな飲み方のほうがさま・・になるかな」

 クライスラーさんは顔をあたしからそらして、また小さく杯を傾けた。本当にウブな人なのかもしれない。

「そりゃあ……俺とふたりきりで飲みたいって意味かい?」

「そういうの、女に言わせちゃうの?」

「わかったよ」クライスラーさんはふてくされたように肩を落とすと、小さく呼吸してあたしを見た。「ねぇちゃん、どっか静かなところに行かねぇかい」

 あたしは支配人を見た。支配人がうなずいたから、あたしは「良いわよ」と言った。

 あたしとクライスラーさんは店の外に出た。思ったよりも夜風が寒かったから、あたしが肩をすくめていると、彼はさり気なく自分のコートを肩にかけてくれた。女慣れしてるのかしてないのか、よく分からない人だと思った。

「あそこで良いか?」クライスラーさんが親指で差したのは、店を出てすぐ外にあった屋台だった。「もっと気の利いた店が良いんなら探すが……」

「大丈夫、ああいうお店の方が気が休まるから」

「そうかい」

 あたしとクライスラーさんはその屋台で飲み始めた。静かな雰囲気が似合うひとではあるけど、今の彼は消沈しているようにも見える。時おり、火酒をゆっくりと飲んで小さくため息をついていた。

「……静かな方が良い? それとも何か話す?」あたしは言った。

「ん、ああ……。どっちでもいい……。」

 そう言った彼は、杯の中の火酒を、沈む夕日を見るかのような目で見ていた。独特の色の瞳が、悲しんでいるのか和んでいるのか分かりにくくする。

「……何か哀しい事でもあったの?」

「どうしてそう思う?」

「自分の顔を鏡で見てみたら?」

 クライスラーさんは笑った。

「それに、他のみんながあんなに盛り上がってるのに、あなただけそんな顔してると目立つわよ」

「そうか……。」クライスラーさんが店主に目配せをして杯を傾ける。店主がお酒を注いだ。「いや、なんつぅか、ちょいと道に迷っちまってな」

「道に?」

 その道というのが、文字通りの道じゃないことくらいは分かった。

「今日からうちの店のバックについてくれるんでしょ? 新しいお仕事を始めて、何か迷ってるの?」

「……ああ。がなくなっちまってな。のための仕事だったのに、仕事だけが増えちまってな……。」

「それって……大切な人をなくしたとか?」

 クライスラーさんは驚いてあたしを見た。

「思わせぶりなんだもん」

「そうかよ」クライスラーさんはかすれる・・・・ような声で笑った。

「確かに、あたしもそういう状況になったら、魂抜かれて体だけで働くようになっちゃうかもね……。」

「……どうすりゃいいと思う?」

「言うのは簡単だけど……代わりのものを見つけることじゃないかな?」

「……だろうな」

 そのあと数杯飲んだら、クライスラーさんはかなり酔っぱらってしまった。あそこは強いお酒を出すお店だったんじゃないかしらとあたしが言うと、彼は「いや、もともとそんなに酒に強くねぇ」と言った。変な見栄は張らない男みたい。

「……お友だちの所に戻りたいけど」

 あたしは彼に肩を貸して店にもどった。けれど、クライスラーさんの仲間はもう別のお店に移って飲みなおしていた。

「……どうしよう」

 あたしはうめいているクライスラーさんを見る。ここで置いて帰ったら、身ぐるみをはがされてしまうかもしれない、けっこういいものを着てるから。

「しょうがないなぁ……。」

 あたしは自分の家に彼を連れて帰ることにした。男を引きずってるあたしを、通り過ぎる通行人がからかってきたけど「この人、ヤクザの親分だよ?」と言うとすぐに黙ってくれた。まぁ完全な嘘は言ってない。

 ようやく家に着いた。あたしはクライスラーさんをベッドに投げ捨ててその隣に倒れこむ。寒さも忘れるくらい汗をかいてしまった。きっと明日は筋肉痛だ。

「……やれやれ」

 クライスラーさんは寝息を立てていた。仕事柄、色んな酔っ払いを見てきたけど、危ない息の仕方はしてない。たぶん大丈夫。

 あたしは目を覚ました時のために水を用意した。あと、吐かれたら困るから洗面器も。

 しばらくしたら、クライスラーさんが目を覚ました。目を覚ますなり身構みがまえたのは、やっぱりこの人が危ない橋を渡ってきてるからだろうか。

「……ここは?」クライスラーさんはけわしい目で周囲を見渡す。懐にも手を入れていた。

「あたしんちだよ」

「……オメェんちか?」

「そ」

「……なぜだ?」

「迷惑だった?」あたしは肩をすくめた。「お友だちはどっか行っちゃったし、そこら辺に寝かしてたら朝には硬くなってるかもでしょ? おいはぎ・・・・だって怖いわ」

「……まぁ」クライスラーさんはベッドの上にあおむけになって腕で目を覆った。「そうだな……。」

「……水飲む?」

「……ああ」

 クライスラーさんはカップを取って水をひと飲みした。

 少し落ち着いてからクライスラーさんが言った。

「今日はじめて会った男を家にあげちまってよかったのかい?」

「さっきと同じ答えになるけど?」

「ああ、そうだったな……。」

「理由は3つ。まずそれ。それに、あなたはちょいと家にあげただけで、女がその気になったと勘違いするタイプじゃないと思ったのよ」

「3つめは何だ?」

「3つ目は……」

「お母さん……」私が言いかけていると、ベッドの向こうから声がした。

「あらアリエル、起きた?」

 クライスラーさんは娘のアリエルを見ると、驚いて身を起こした。

「ごめんね、ちょっとうるさかった?」あたしは言った。

「……その人だあれ?」眠たそうな声でアリエルは言う。

「お客さんよ、ひどく酔っ払っちゃったから、ここで寝かせてあげてるの」

 あたしはクライスラーさんを見た。

「なるほど、それがみっつめか……。」クライスラーさんは煙草を取り出して、でもすぐに思い直して懐にしまった。やっぱりそういう人だ。

「そ」あたしはベッドから降りると、娘に寄りそって頭をなでた。「いい子だから寝てなさい」

「……うん」

「……いくつだ?」クライスラーさんは娘を見て言った。

「4歳(人間で8歳にあたる)」

「……ひとりで育ててんのか」

「……そうよ。これが今のあたしの魂」

「……なるほど」

 クライスラーさんはベッドから降りた。

「寝てていいのに」

「……仕事で疲れて帰ってきたかかあ・・・を床で眠らせるほど落ちちゃいねぇよ」

「あなたはどうするの?」

「適当に床で寝る。大きめの布ねぇか?」

「ちょっと、お客様にそんなこと……」

「ここじゃあオメェが頭だ、俺はその娘っ子以下。気にすんな、ムショ暮らしで床に寝るのは慣れてんだ」

「へ、へぇ……。」

 クライスラーさんは言っても聞かなそうだったから、仕方なく床で寝てもらった。けれど、多分、彼は一晩中起きてたと思う。

 翌朝、あたしはアリエルと彼の朝食を用意した。クライスラーさんは寝ていなかったくせに、「おお、早ぇな」と、今あたしに気づいたように台所に入ってきた。

朝食ちょうしょく作ったわ。口に合えばだけれど……」

「合わねぇものなんてないさ。言ったろ、ムショ暮らしが長いって」

「ムショってなぁに?」アリエルが訊いてきた。

「ちょ、アリエル……」

「嬢ちゃん、悪いことして怒られたことはあるかい?」

「うん、あるよ。食べちゃいけないって言われてたお菓子を食べちゃったの」

「その時、お仕置きされたか?」

「反省しなさいって、クローゼットの中に入れられた」

「そうかい。大人の場合はな、悪いことするとクローゼットじゃなくてムショってとこに行くんだ。大人が悪いことをする時は、子どもの100倍だからな」

「……おじさんはどんな悪いことをしたの?」

 クライスラーさんは独特の瞳を輝かせてアリエルに囁いた。「街中のお菓子を勝手に全部食っちまったんだ」

「わるいひと!」アリエルは驚いて口に手を当てた。

「……クライスラーさん」

「いずれ知るようになる」とぼけた様子でクライスラーさんは言った。

 外で子どもたちの声が聞こえた。学校に行ってるヒトやエルフの子どもたちだった。その様子を窓から見たクライスラーさんは「そんな時間か」と呟いた。そしてアリエルを見て何かを察したようだった。

 食事が終わって家を出る時にクライスラーさんは言った。

「この礼は必ず」

「いいのよ、気にしなくって」

「クライスラーは借りを必ず返す。仇も、恩もな」

「……めんどくさいひとね」

 あたしは苦笑して、クライスラーさんは得意げに笑った。

「ああ、それと、言い忘れてたことがある」

「なに?」

「オメェの瞳、ずいぶんとくっきりとした緑なんだな。オリーブみてぇだ」

「……それ、いま言うの?」

「……なに、言うタイミングを逃しててな」

 クライスラーさんは、「じゃあな」と言って去って行った。

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