第二章 ファースト・ブラッド

ロメオ③

 古い記憶を持ってる地元の人間の中には、自分の子供がディエゴと絡むことを快く思わない奴らもいた。俺のお袋もそのひとりだったが、それでも俺にはマイとの約束があったからな、そんな言いつけなんざ知ったこっちゃねぇって具合でディエゴとつるんでた。

 8歳(人間で16歳)の頃から俺とディエゴは堅気かたぎの仕事を始めた。パン屋の配達に牛乳配達、若さを投げ売ってがむしゃらに誠実に働いたもんさ。おてんとさんに恥じる所なんてなかった。

 最初は親父さんのせいで白い目で見られていたディエゴだったが、次第に親父さんの血よりもメルセデスのしつけが行き届いてるというように見られるようになった。もしかしたら、メルセデスはクライスラーの血を少し薄めることに成功したのかもしれないな。だが、それもあくまで少しの間だ。

 周りの心配通りというか、ディエゴはいよいよ大人って年齢になったくらいから次第にやばい方向に歩き始めた。もちろん、それには奴の親父譲りの血もあるのだろうけれど、やっぱりマイの問題がそこにはあった。どう考えても、堅気の稼ぎをかき集めたくらいじゃあ姉の病気を何とかするには届かなかったんだ。俺たちが毎日必死に小銭をかき集めて、それが薬や医者の金で消えていく。その真横で、ヤクザが上納金の札束を俺たちの雇い主から受け取るんだ。そんな様を見せられて、世の中の矛盾を感じるなって方が無理だぜ。

 俺はディエゴにヤクザの組に入ろうって誘われた時、今ふり返ると、かなり簡単に決断した。俺もマイのことを何とかしたかったし、世の中の理不尽に納得いかなかったんだ。

 フェルプールのコミュニティには「四老頭」って呼ばれているトップがいる。そいつらが、五王国で一番フェルプールの多いヘルメス領、そこの同族たちを仕切ってるんだ。四“老”頭っていうほどだから、まぁたいがいジイさんだ。若手のメンバーでも白髪が混じってるくらいに。こいつらがどういう奴らかというと、ジジイの寄り合いなんて生易しいもんじゃなくて、ヤクザのボスか、堅気かたぎではあっても集めた金は決して綺麗とは言い難い商売をやってきた、札束と一緒に地獄への片道切符を財布に忍ばせてるような奴らの集まりで、とはいえクライスラーほどじゃないけれどフェルプールってのはヒトやエルフに比べると馬鹿で短気な種族だから、そういう奴らじゃないとコミュニティがまとまらないっていう問題もあった。

 そして、俺たちはその四老頭のひとりのもとに出入りするようになったんだ。

 “ヴィトー・マセラティ”

 四老頭の中でも一番の年寄りで、しかも昔気質むかしかたぎで頭が固いジジイ、俺たちはこいつのファミリーの組員になった。まぁ、部下といっても、部下の部下のそのまた部下みたいなもんだが。そこに入ったのは、俺の親戚のひとりにこの組の人間がいたので口利きしてもらい易かったということ、そして多分このジイさんが四老頭の中で一番まともだったからだ。他の奴らだと、下っ端だという事を良いことに、いきなり殺しを命じられかねなかったろう。俺だってマイやメルセデスを悲しませたくなかった。

 マセラティは権威そのものを目的化してるようなジイさんだった。例えば、誰かがマセラティに頼みごとをしようとする。自分の店のケツモチか、娘婿むすめむこの暴力が酷いからとっちめて・・・・・欲しいとか、頼み事の内容は大小さまざまなんだが、どんなものであってもマセラティには必ず本人を直接通さなければいけなかった。直接マセラティに頭を下げさせ、直接マセラティが部下に命じる。どんな仕事でもだ。年寄りなんだからそんな忙しいことをしなくても良いと思うかもしれない。だが、そうすることで彼の息のかかった仕事は特別な意味を持つようになる。金を借りる場合はマセラティの財布から直接札束を出してるようなもんになるし、制裁を加える時にはマセラティがその場を睨みつけているようなものになる。マセラティは名前を貸さない。彼自身を貸すんだ。

 さて、要するにめんどくさいジイさんということなんだが、そんなジイさんに面通つらどおしをする日、ディエゴもまためんどくさいことをやらかしやがった。

「……クライスラーか、噂は聞いてる」

 薄暗い室内で、数名の部下に囲まれ、玉座のようなゴツイ椅子にマセラティは座っていた。年齢は55歳(人間で80歳くらい)、四老頭で一番の年寄りであるにもかかわらず、髪は若々しく黒髪の混じった灰色のオールバック、瞳はただでさえ暗い照明の陰になって何色か分からなかった。たまに顔の向きが変わって瞳がきらりと光るのが、余計にこちらの恐怖を誘う。

 俺とディエゴは入った扉を背にして、直立不動でマセラティを向いていたが、正直このジイさんに目を合わせるのが怖くって、俺の目はキョロキョロとマセラティの部下や丸テーブルの上の花瓶なんかをせわしなく見続けていた。

「ヴィトー・マセラティに俺の名が知られていたとは光栄です」と、お辞儀をしてディエゴが言った。

「お前の親父が有名なんだよ」

 俺たちの隣にいたマセラティの部下がそうあざ笑ったが、マセラティが一瞥いちべつするとそいつは顔面を蒼白させて頭を下げた。

 だがそいつの言うように、俺たちがファミリーに入れたのはクライスラーの名前があったというのもある。クライスラーの男たちの中には、名のしれたヤクザになった奴もいたからだ。まぁ、だいたいが早死にだが。

「……ベルトーレの所に入ったらしいな、お前と──」

 マセラティは俺を見た。

「ロ、ロメオですっ、ロメオ・ディロンっ。どうぞお見知りおきをっ」

 俺は慌てて裏返った声で叫んでしまった。幾人かの鼻笑いが聞こえたが、どれもが心温まる響きをしていなかった。俺は息苦しさのあまり、駆け出してせめてカーテンぐらいは開けてほしいという衝動にかられた。

 マセラティが小さく手招きをする。俺とディエゴが前に出ようとするが、即座にマセラティの部下たちに囲まれた。

「……なんだい?」ディエゴが言った。

 男たちは俺とディエゴの体をまさぐり始めた、やばいもんを隠し持ってないかの身体検査だ。俺はどデカい狼になめられてるかのように、ビビりまくって体を硬くさせていたが、ディエゴは違った。

「……よぉ、ちょっとしつけぇな。あんたら、そっちの趣味があんのか?」

「ディ、ディエゴっ」

 こんな状況でよくそんな軽口が叩けるもんだ。その時の俺のイチモツは、亀が首をひっこめたみたいに縮こまっていたかもしれない。

「ああ!?」

 ディエゴの体を調べていた部下がディエゴの胸ぐらをつかんだ。言わんこっちゃない。いや、何も言ってないが。

「おいおい、怒らないでくれよ。緊張すると口数が増えちまうんだ」

「……次に何か無駄口叩いたら、テメェの口はボスに挨拶もできなくなるぞ」

 ディエゴは肩をすくめた。

「……何も持ってません」

 体を調べ終わり部下が言うと、マセラティは小さくうなずいた。

「……行け」

 俺とディエゴは部下に背中を押されるようにしてマセラティの前に立ち、そして跪いた。

 マセラティが手の甲をさし出したので、先ずはディエゴ、そして俺と続いて手の甲に口づけをした。部屋から出た後、、ディエゴは「あの時、俺とお前はあのジジイの手を介して間接キスをしたってわけだからな、危うく吹き出しそうになったぜ」って笑っていたが、そんな発想が出てくるところ、こいつはとことんズレてやがる。

 マセラティが部下を見ると、部下は「立て」と言った。どうでもいい下働きの仕事さえ自分で把握したがるのに、こんな寝たきりのジジイでもできるようなことは部下を介す。ディエゴはこれをマセラティの演出だと言っていたが。

 マセラティが重々しく口を開いた。

「……見た所、裸一貫の若造だが……お前は一体何ができる?」

 ディエゴが言う。「……ここの部屋にいる奴らを驚かせることとか?」

 マセラティがゆっくりと姿勢を変えた。そのスーツのこすれる音に俺は肝を冷やす。

「……やってみろ」重苦しい口調でマセラティは言った。

 するとディエゴは袖から折りたたみ式のナイフを取り出し、そして手の中でそれをひるがえして刃を光らせた。

「な!?」

 一瞬で室内の空気が変わった。懐に手を入れ、今まさにディエゴに襲い掛からんとする男もいた。

「おちつけよっ!」

 ディエゴは両手を挙げた。

「安心してくれ、言ったろ? 驚かすって。驚かすだけだ」

 ディエゴはゆっくりと体を曲げ、床にナイフを置いた。

 マセラティはディエゴの体を調べた部下を見る。

「き、きちんと調べました!」部下は慌てて申し開きをする。「こいつはナイフなんて持ってませんでした! 間違いありません!」

「そりゃそうだろうよ。……あんた、このナイフに見覚えはないかい?」

「なんだとぉ……。ん?」部下は床のナイフを見て何かに気づいた。「これ、もしかして……?」

「そう、あんたのナイフだ。あんたは俺を調べてるつもりだったろ? 俺も俺で調べさせてもらったぜ」

「こ、このがきぃ……。」

 部下はディエゴに詰め寄った。

「……アルフェルド」

 マセラティがその部下の名を呼ぶと、部下は足を止めた。部下・アルフェルドは歯噛みしてナイフを拾った。

「……なるほど」マセラティは言った。「誰かから何かを奪うのが……お前の特技という訳か」

「それだけじゃあありませんよ」

「……なに?」マセラティは首を傾げる。

 ディエゴはアルフェルドをふり返る。

「よぉ、あんちゃん。懐に何か入ってないかい?」

「なんだと……?」アルバルトはスーツの懐に手を入れた。「……ん?」

 アルフェルドは目を見開くと、懐からシガレットケースを取り出した。全員が不思議そうにアルフェルドを見ていたが、当のアルフェルドも不思議そうにそのシガレットケースを見ていた。

「……そりゃ俺んだよ」

 アルフェルドが愕然とする。「な、いつの間に……?」

「……さっき、アルフェルドがお前の胸ぐらを掴んだ時か」

 室内の全員が一斉にマセラティを見た。

「……その通り、さすがはヴィトー・マセラティ」得意げにディエゴは言う。「御覧の通り、奪うだけじゃない、与えることもできますよ」

 室内の空気はとどまった。この空気を変えて良いのはこの中ではただ一人しかいない。

 そしてしばらくしてようやく、その人物が一言だけ言った。

「……面白い奴だ」

 けれど、そう言うマセラティはまったく面白くなさそうだった。

 マセラティは大きく息をすると、深く椅子に座った。物憂ものうげな表情だった。ディエゴのやったことも、彼にとってはまったく興味のない些末さまつなことのようだった。

「……言っておくが、お前はまだ何も私には見せていない。……ただ、道化を演じただけだ」

 ディエゴは小さくうなずいた。確かにインパクトはあったが、俺らがマセラティの配下で何ができるかと言われれば、まだ何も証明できていない。

 マセラティは手で小さく俺たちを払った。

「……もういい、帰れ」そう言ったのは部下だった。どうやら、マセラティは自分の演出を少し忘れていたようだ。

 俺とディエゴは深々とお辞儀をすると、部屋を出ていこうと扉を目指した。

「……アルフェルド」

 マセラティが呼んだのはアルフェルドの名だったが、俺とディエゴは足を止めた。

「そのガキを一発殴っておけ」

 俺は驚いてディエゴの顔を見る。しかし、ディエゴはその一瞬で何かを悟って覚悟を決めたようだった。

 アルフェルドが薄笑いを浮かべながらディエゴの前に立つ。

「……覚悟は良いか?」アルバルトが拳を鳴らす。

「いつでも」

 そしてアルフェルドはディエゴの腹をぶん殴った。ディエゴの体がくの字・・・に曲がり、ディエゴは膝をついた。

「……お……くぅ」

 呻くディエゴをアルフェルドは満足げに見下す。

「……アルフェルド」マセラティが言った。

「はい?」

「もう、これですべて終わりだ」マセラティは小さく両手を広げた。“これでフェアだ”と言いたげに。「いいな……アルフェルド」

「……はい」

 アルフェルドは頭を下げた。

「帰ろうぜ、ディエゴ……。」

 俺はディエゴの手を引いて立ち上がらせ、そしてまた頭を下げて部屋から出た。

 外に出て、開口一番かいこういちばん俺は言った。「……まったく、馬鹿な真似しやがって」

 俺が呆れてるっていうのに、ディアゴスティーノは満足げな様子だった。

「なかなか面白れぇジジイじゃねぇか」

「何がだよっ、心臓が止まると思ったぜっ」

「アルフェルドってぇ奴に俺を殴らせたろう。あの時、あの場かぎりでジジイは遺恨の芽をつみ取ったんだよ。だてに四老頭の、その中のトップはっちゃあいねぇ、物事の収め方ってのを心得てやがる」

「……そういう意図だったのか。俺はてっきりジイさんの不興を買ったかと思ったよ」

「それもあるわな」

 ディエゴは笑った。

「笑うところかよ。……そういえば、シガレットケースをアルバルトに預けたまんまだったな、良かったのか?」

 ディエゴは懐に手を入れると、シガレットケースを取り出した。

「あれ? お前……いつの間に?」

「殴られてる時に返してもらった。くれてやるにはもったいないしな・・なんでな」

「バレたらこと・・だぞ?」

「大丈夫だって、心配すんなよ」

 大笑いをするディエゴを見ながら俺は思った。こいつはきっと、ガキの頃の、あの広場での遊びの延長線上でヤクザをやろうとしてるんだろう。だとしたら、俺はこいつの隣にいつまでもとして一緒にやっていけるのかもしれない。俺とディエゴはガキの頃からの相棒で、どんなトラブルだって切り抜けてきたんだから。

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