最終章 It's a Long Road
捉えられない女と、繋がれない男
※
「どうしてロッキードは帰ろうとしたのかしら。もう故郷には軍隊が迫ってるし、故郷もかつての故郷じゃない。行くところなんてないわ。ただ死にに行っているようなものじゃない」
女は言った。私たちの後ろでは、奉公人の青年がモップで拭き掃除をしていた。
「奴にとってはそんなこと関係ないさ。あいつにとっては世の中はロッキード・バルカとそれ以外なんだ。自分を止める奴なんているわけがないし、自分の我が通らないなんて考えもしないんだ。だが、それはあくまで戦前の話だ。たとえアンチェインでも、時代の流れまでも逆にすることなんてできやしない。あいつはかつて、時代の変化を受け入れるべきだと言ったことがあったが、結局あいつもあいつのやり方で戦前を生きてたんだよ」
「愚かな話ね」
「ああ、愚かな話だ。結局のところ、アンチェイン、繋がれざる者と呼ばれたあいつは、誰よりも自分自身に縛られていたんだから」
私は煙草に火をつけるためにマッチを取り出した。爪でこすって火をつけようとしたが、マッチは折れてしまった。もう一本取り出してこすってみたが、やはりマッチは折れてしまった。私は折れたマッチ棒をしばらく眺めた。女がそんな私の様子を見ていた。
「……あいつを解き放たないといけなかった」私はつぶやいた。
「……終わりが近いのね」
「……そうだね」
※
私は故郷へと向かうロッキードを追いかけていた。
「おい、待てよ。どこに行こうってんだ?」
「帰るんだ」
「帰るって、そんなことを言ったってもう……。」
「もう何だ?」
ロッキードはまっすぐに歩けないほどによろめいていた。リーガルに絶命するほどのダメージを与えておきながら、しかしそれがすべて返ってきていたのだ。無事であろうはずがない。
もう終わりだった。すべてが終わっていた。それを知ろうとしない男と女がいるだけだった。
「……どこかに逃げよう」
ロッキードは振り返った。「何を言っているんだ?」
「静かなところで、怪我が治るまで養生すればいい。そして、傷が癒えたらどこか遠くへ、ロッキード・バルカの名が通らないところまで行くんだ。世界は広いよ。私が修業した国だって良い。その間ずっと私がつき添う」
ロッキードは鼻で笑った。
「なぜ俺が逃げ隠れしなければならないんだ。しかも、お前のごとき小娘に世話になるなど」
「……強がるなよ、もうまっすぐにも歩けていないだろう」
雪原に残るロッキードの足跡はでたらめだった。
「……一休みすれば、落ち着くさ」
「見れば分かる。一休みして何とかなる怪我じゃない」
「女はいちいち大げさだ。こんなの、たかが骨が数か所折れてるだけだろ」
「休んでれば骨がくっつくか?」
「骨折何ぞ怪我の内に入らない」
ロッキードの巨体が、幽鬼のごとく揺らめいていた。向かう先は故郷には見えなかった。彼の行き先にある暗闇は、大口を開けて待っている冥界の入り口のようだった。
「そうか……。それなら、私を倒してみろよ」
「何?」
私は刀に手をかけた。
「……正気か? お前が俺を? 理由はなんだ?」
「お前さんが取るに足らん俗物の餌食になるのは我慢ならない。その死体を、金や功名に目がくらんだ奴らが歓喜して引き裂く様を見るのもな」
ロッキードは笑った。笑うたびに、体が軋みをたてて崩壊しそうだった。
「聞かなかったか? 奴らの狙いはお前だったんだぞ?」
「知らないのか? 奴らはついでにお前さんも始末するつもりなんだ。オークの身の潔白を案じるくらいなら、明日に日が昇るかどうかを心配した方がまだましだと思ってる奴らだぞ」
「……くだらん」
「それに、私たちは仕事をほっぽりだしてるままなんだぜ? 私はお前さんを、お前さんは私を仕留めないといけないはずだったんじゃあないのか?」
私は口にしながら、心の片隅に後悔の芽が発芽し始めているのを感じていた。ロッキードの顔を、みるみる殺意の影が覆い始めていた。なるほど、これがアンチェインか。恐怖で五体が正常なコントロールを失いそうだ。並みの使い手なら相手になろうはずもない。
「……冗談でももう後に引き返せないぞ?」
「冗談なら、もっと場がなごむことを言うよ。満身創痍のお前さんになら、割と楽に勝てそうだとか」
ロッキードのたれ目が据わった。
「……冗談は苦手なんだ」私は口角を吊り上げて苦笑いをする。
ロッキードは戦槌を振り回し、肩慣らしを始めた。人間の屈強な木こりでさえ、持ち上げるだけでも精いっぱいと見える戦槌が、ふわりふわりと宙を舞っていた。
「俺が、そんな甘い男に見えるのか?」
「怪我してる程度で勝てる相手だとかは思っちゃいないよ」
「女だからと手心を加える、そんな甘い相手だと思っているのかということだ!」
ロッキードは声を荒げた。
「だったら甘く見てるのはお前さんだよ」私は言った。「アンチェインに決闘を挑んでおいて無事で済むなんて考えている、そんな浮ついた女だと思うのか?」
私の言葉で、ロッキードの顔が真顔になった。それが余計に私の神経をとがらせた。脅しの殺意は消えたのだ。相変わらず、見習いたくなるほど戦いに対する切り替えに長けている。
「……分かった」ロッキードは苦笑した。「そうだったな、俺たちはお互いを殺すように依頼されていたんだった」
「そうさ。私たちは最初からそういう関係だ」
だったら仕方ない、そう言って私たちは笑いあった。
「……数度、お前さんの寝首をかっ切ろうと思ったよ」
「……数度、お前の首をへし折ろうと思った」
「……私たちの関係は最初から偽りだったのだろうか」私は空を見上げた。頬に雪が落ちた。「交わした言葉も、互いに思い合っていたことも……。」
「今となっては、何とも言えんな……。」
私は微笑んだ。心にあったのは、これから殺そうとしている男に対する感情ではなかった。
ロッキードも穏やかな顔をしていた。やはり、これから人を
雪を降らす雲の合間から満月がのぞき、その光を雪が反射し、私たちの立っている場所がうっすらと光り始めた。
ふたりの鼓動すらも聞こえそうな静寂だった。
小さな物音がした。松の葉に積もった雪が落ちた音だった。
「
「……詩人だね」私は言った。
「……初めて出会った時も、お前は同じことを言ったな」
「……そうだったかね、忘れたよ。そして今日の事もすぐに忘れる」
ロッキードは戦槌を振り上げた。
「お前がオークの女だったら、きっと惚れていただろうに」
私は構えた。
「困ったことに、私と出会った異種族の男は、みな決まって同じセリフを口にするんだ」
「面白い女だ」
「よく言われるよ」
私たちは構えたものの、すぐに動かなかった。
私は奴の技量を知っている。奴も私の技量を知っている。少なくとも、さっきの戦いで私が簡単に仕留められる相手だとは思ってくれてはいないはずだ。
ロッキードの戦槌が、刃のように乱暴に空気を引き裂き始めた。空気が逆巻き、静まった雪さえも舞い上がっていた。でかい図体にでかい得物、それでスピードが鈍るなどという期待はこの男には通用しない。
私はもしかしたら意外と簡単に殺されてしまうかもしれないと思い、自分の無鉄砲さにこそばゆいような愉快な愚かしさを感じながら、一歩を踏み出した。
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