無題

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──日出処ひづが 千秋せんしゅう藩 六花ろっか 陰陽いんよう流六花道場


 亜竜人リザードマンの男たちがひしめき合う木造の道場の中、場にそぐわない姿があった。

 異種族の、しかも女だった。

 女は倒れ、そのそばには木刀が。正面に立っているのはたくましくも、その表情は厳しい若きさむらいだった。

 相手を倒したといえ、若者には後ろめたさがあった。今しがた自分が打ちえたのは、稽古とはいえ女である。むしろ、自分に非難のまなざしがあってもおかしくはない。男は道場の上座かみざで、無表情で胡坐あぐらを組む自分の師・陰陽流宗家伊雅いが源馬げんまに視線をやった。

 静かに源馬が口を開いた。秋風に舞う枯葉のような声だったが、二十人いた門下生はいっせいに師の方を見た。

「……よ。なぜ倒された?」

 師の問いに、女はうつむいて歯噛みする。

 源馬は次に稽古相手の男に問う。

「……うぬは、何故倒せた?」

 男は答えない。自明のことであるからだ。

 それでも師は無言で発言を迫った。男は仕方なしに答える。

「……もとより、女であるゆえ」

「……女ゆえの非力……か」

 男はうなずかなかったが、その心は首肯しゅこうしていた。

「……非力では身につかぬなら」源馬は静かに息を吐いた。「術とは、武とは云えぬな……。」

 源馬は立ち上がり、女の前に立った。その間、木張りの床は一切音を立てなかった。

 無言で師は女を見下す。女は師に命じられたことを知り立ち上がった。

 源馬は言った。「肉で勝てぬなら、肉で打つのは止めんか」

「……肉、ですか?」

 師の無言は理解できた女だったが、師の発言は理解できなかった。

「両手でを押し、退しりぞかせてみよ」

 女は命じられたまま、両手で先ほど自分を倒した男を押した。男は微動だにしない。より強く押すが、女がそうすれば男はより強く踏ん張る。むしろ、男の胸の圧で女は押し戻されてしまった。

 何度か女が試みた後、源馬は「もうよい」と言った。

「……くろう、肉で押すな」

 女はやはり師の言葉をはかりかねた。

「……もう一度、両手をそえてみい」

 女は再び男の胸に両手をあてる。

 源馬は女の横に並ぶと足元を見るように促した。

 師の足は、つま先が反って浮いていた。

「足の先を浮かせ、それから押してみよ。つま先ではなく、かかとで地を蹴るように」

 女は言われるようにつま先を反らせ、踵に体重を乗せて男を押した。

「おっ?」

 急激な力の変化に驚く声とともに、男は足を後退させた。女も自分の力の流れの変化に驚きを隠せなかった。

 全員がけわしい表情でその光景を見ていたが、内心はその男と同じく驚いていた。そんな中、道場の端に並んで座る、ふたりの男は外も内も平静を保っていた。

 "双竜”と称される、伊雅いが辰馬たつま駿河するが月堂げつどう、ふたりの高弟だった。

「……くろう、肉で及ばぬなら骨で打て」師は弟子に語った。「骨が足りぬなら姿勢で、姿勢が足りぬなら自らの重みで。その三位が一体となれば、たとえ肉に劣るお前でも、武で劣ることはない」

 源馬は木刀を取ると、それを振り始めた。刃のごとく風を切る音が、門弟たちの耳に響いた。

 源馬の体は上半身だけが激しくうねっていた。まるで、肩甲骨の間が球体であるかのように。

「陰陽流、日輪にちりん。肉の力で打つ陽の剣。速さと強さを兼ね備え、いかなる状況からも必殺の太刀を放つせんの剣。だが、肉で打つが故、鍛錬もさることながら、極めるには持って生まれた資質に左右される」

 門弟たちは、無意識に駿河月堂を見ていた。“女性にょしょうの顔に仁王におうの体”とも称される月堂の剛剣は、まさにこれを体現していたからだ。

 源馬は再び剣を振り始めた。

 しかし今度は上半身は大きく動かず、大きく広げた足の運びを利用しての素振りだった。まるで、下腹部に球体があるかのような動きだった。

 先ほどとは違い、風を切る音はしない。しかし、門弟たちはその師の一撃一撃が、振り始めから終わりに至るまで、受けるには重すぎ弾くには硬すぎるものだと知っていた。

「陰陽流、月輪がちりん。肉の力以外で打つ陰の剣。粘りと硬さを備えた、後の先の剣。だが、肉以外で打つというのは机上の空論にもなりかねん。人は敵と相対する時、自ずと激昂し、肉の力に頼ることになる。どんな状況であろうと、明鏡止水めいきょうしすいの心境であること、それがこの剣のかなめ

 門弟たちは今度は師のみを見ていた。陰の剣の存在をみな知ってはいたが、それを実践にあたうのは、師の伊雅源馬ですら疑わしかったからだ。

「くろう、お主は陽の剣では及ばぬ。ならば陰の剣を高めよ。それでもようやく並みの使い手ほどにしかならんかもしれんがな。……もし陰の剣も手にできぬのであれば……。」

 できぬのであれば、女はその次の言葉を待った。

「……この道の門は閉ざされたものと思え」

 

 半月後、道場には門弟たちに勝てぬまでも食い下がる異種族の女の姿があった。力で及ばないその女は、それ以外、師の言うところの骨と姿勢と体重で剣を振るい、他の門弟たちに肉薄していた。

 教えられたばかりの陰の剣は、鍛錬以上に経験則がものを言う。しかし、その修めるにはかたい剣のとっかかりを、女はつかみ始めていたのだった。

 道場の端で伊雅辰馬と並んで座している駿河月堂が腕を組み、下あごを指先でかきながら独り言つ。

「あの女、天稟てんぴん(天賦の才、天性の才能)か」

 着物の上をはだけさせ、筋骨隆々とした体を露出する月堂。女と見間違われるほどの優男だが、このように一皮むけば堅牢な樫の木で彫った金剛力士像のような体の持ち主でもある。町を歩くだけで女たちが振り向く美貌だが、裸になれば彼に並びたがる男はいない。肉体だけでも凶器だと思わせるのだ。

 ただ一人を除いては。

「……否、あれは諦念ていねん(あきらめの気持ち)であろう」

 そう言ったのは辰馬であった。月堂は辰馬を見る。

 伊雅辰馬、陰陽流宗家・伊雅源馬の嫡男ちゃくなんであり、道場の跡目と見られている若き士。月堂ほど目立つ存在ではないが、剣の腕においては月堂をのぞき比肩ひけんする者はいない。取り立てて特徴のない外見だが、それは一種の擬態なのかもしれない。辰馬という男は鞘に収められた刀剣そのものだった。一見、穏やかな好青年と見えるが、ひとたび抜かれれば、この男の発する声、眼差し、そして呼吸さえも、幼子ですら死を悟るほどの危うさを発揮するのである。月堂においては人は間合いを空ける、しかし辰馬においては人は間合いに入ったことに気づかない。どちらの方が致命的であるかと問われれば、後者であろう。

 月堂は訊ねる。「諦念……と?」

「あの女、剣の道以外を生きるつもりがないのだ。諦念、あるいは執念とでもいおうか。事情は知らんが、あの女、剣がなければ後は死ぬしかないと思っている。先生の先日の言葉、奴には俺たちが思っている以上に、いや先生さえもが思う以上に重かったのかもしれん。……異種族の女ながら、心意気は武士もののふの境地よ」

「ほう、あの女にそれをみる……か」

 笑っていた月堂の笑顔が消えた。鞘に収められた刀剣が抜かれかけていたのだ。あくまで、意識下のことではあったが。

 まったく蛙の子は蛙か、月堂は呆れて軽いため息をついた。


 殺傷の技を修め、そしてやがて身を立てようという血気盛んな男たちで溢れかえる道場だった。室内には、若人わこうどの魂を震わさんばかりの叫び声が反響し、濃い汗の、薄い血の匂いが影すらにもこびりつき、それは決して霧散することがなかった。だが、その光景さえも、彼らがやがて迎える運命の時に比べれば、穏やかと呼べるものだった。


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