狡猾だけど間抜けな男

 日が昇る前に、私は執事から一室をあてがわれ、そこで仮眠を取り、そして陽が昇りきると聞き込みを開始した。予想通りだった。屋敷の使用人や周辺の住人に話を聞いた所、当日は誰もロッキードはおろか、屋敷の周辺ではオークもフェーンドも見ていなかった。

 屋敷でクロックが亡くなった寝室を調べてみたが、やはりオークが侵入したような痕跡は見当たらない。

「……クロウさん」執事が寝室に入ってくるなり言った。

「何でしょう?」

「昨晩、ロッキードを捕らえるために男たちが出払っていると申しましたが、ひとり残っている者がおりました」

「それはそれは。で、彼とは話せるのでしょうか?」

「もちろんですとも」

 私は執事に連れられて客間に行った。しかし、誰もそこにはいなかった。

「……おや?」執事は部屋の中を見渡す。「妙ですね、ここでお待ちいただくようお伝えしていたのですが……。」

 私は部屋の中、その男が座っていたらしき場所まで歩いて行った。鼻を数回すんと鳴らす。覚えのある臭いがした。愉快ではなく、顔をしかめたくなるたぐいの思い出を刺激する臭いだった。

「ああ、メイド長、ちょっと……。」

 執事は通りかかったメイドの女に声をかけた。

「はい、何でしょうか?」

「ヘイロー殿を知らないかい? ここでお待ちいただくようお願いしていたのだが。……手洗いかな?」

「え? ヘイロー様ですか? ヘイロー様なら、ついさっき出ていかれましたよ? お急ぎの様でしたが……。」

「なんと……。」

 私は窓から外を見た。そこには、走り去っていく重たい黒髪の小男の姿があった。

「あいつは……。」

 間違いない、私とロッキードを盗賊のアジトでめた男だ。生きていたのか。小粒ながら、その存在感の悪臭ときたらキツネの糞よりも始末が悪い。その残り香を胸に送り込んだというだけで、その日の記憶をなくしたくなってくるというのに、記憶から消したくなるせいで余計に記憶に残るという始末の悪さだ。

 しかし、奴・ヘイローは狡猾だが間抜けな奴だ。見通しの良い所から見ていれば、大体どこへ逃げようとしているか分かるし、その速度で走り続ければどの距離でへばるかも分かる。私は手負いのシカを眺める狼のように、余裕をもって奴の行く末を観察した。

「それで、その彼はなぜここへ? 彼もクロック氏に雇われたので?」私は執事に訊ねた。

「それが……。」執事は言った。「詳しい経緯はわたくしめも知らないのですが、お聞きした所によると、クロック様の知人の紹介の方の、そのお連れだとかで……。」

「知人の紹介のその連れ……。」

「はい……。」

 つまり、クロックとヘイローはまったく関係がない。それならば私たちから逃げた後、奴に何かが起こったのだ。クロックの知人のさらにその紹介を経るという、そんな複雑な経緯があるわりには事の進展が急だ。そして、急なことには何かしら不自然な影がついて回る。

 私は執事に断りを入れてから、奴を追うために屋敷を出た。

 屋敷から歩いて数分もしない距離にあった納屋に、ヘイローは隠れていた。奴の臭いもさることながら、必死の形相で逃げるものだから、近隣の住民が何事かと奴の逃げる方角を道標みちしるべのように私に教えてくれたのだ。ご丁寧にも、老齢の近隣住民が納屋の中をのぞき込んでいた。

 私はその住人に「離れてて」と言うと、奴が隠れ蓑にしてるつもりらしい藁の束を蹴り上げ、その姿をあらわにした。

「ひぃっ!」

 ヘイローは体を丸めて悲鳴を上げる。大の男が身を守るためとはいえ、そこまで遠慮なく弱さを露呈されると、まるで私が悪質な暴漢であるのように仕立て上げられてしまう。まったくたいした擬態だ。

「おい、なぜ逃げる?」

「ひぃっ、だって、わ、わたしを殺しに来たんでしょう?」

「はぁ? お前なんかをわざわざ追ってここまで来たと思ってるのか?」

「だ、誰か助けてっ、殺される~!」

 さすがにこんなしょうもない追いかけっこを大事おおごとにされてはたまらない。私は少し焦って周囲を確認した。

 もしかして、こいつは本気で言っているのだろうか。思考を整理すれば、私はロッキードを倒すためにクロックに雇われているのだから、こいつからすれば仲間のようなものだ。しかし、恐怖の感情で思考が滅茶苦茶になっているのかもしれない。どちらもあると言えばありえる。こんな矮小わいしょうな男と腹の探り合いをするのもしゃくなので、私は刀の鞘で背を丸めているヘイローの背骨をしたたかに打った。

「ひゃぁ! な、なにをするんですか~?」

 口から屁をもらしているかのような、気の抜けた悲鳴をヘイローは上げる。

「おい、とぼけるのはよせ。お互い時間の無駄だ。?」私はカマをかけた。

 ヘイローの体がピクリと動く。私の言葉が、触れられると彼の命に届くような、そんな何かを刺激したようだ。

「な、なにをいってるのやらぁ~、ハハハァ~」

「一瞬考えたな? そしてこう結論したろ? とぼけ通せばまだ何とかなると」

「何を言ってるんですかぁ~、やめてくださいよもぉ~」

 ヘイローは再び体を丸めた。しかし、その恐怖は先ほどに比べると嘘くさかった。アドリブのきかない役者なのだ。

「クロックを殺したのはお前だな」

 ヘイローは弾かれたように体を反転させ、私を仰ぎ見た。恐怖なのか驚愕なのか、その眼の見開きようと言ったら、奴の小さい目の目頭と目尻が引き裂かれんばかりだった。ヤマカンが当たったようだ。

「ななななな、なにを~」

 直観に近いヤマカンだった。こいつには何かがあるという。私と同じくロッキードを倒すために雇われているのなら、本来協力しなければならない私の事を全く知らず、あまつさえ死に至らしめようとしたというのは妙な話だ。仮に私達と別れた後にクロックと関わりを持ったとしても、私の来訪を聞くや矢も楯もたまらずに逃亡したこと、そして私がクロックに雇われていると知りながら、なおも顔を合わせたくない理由は何か。クロックの殺害がロッキードによるものならば、より私たちには協力する理由がある。仮にロッキードを見過ごした非が私にあるのなら、奴の性格ならば、むしろ私に会いその落ち度を非難したがっただろう。何より、こいつの技量も知能も、今回の騒ぎに加担するにはあまりにも役者不足過ぎる。こいつの存在は、ブーツの中の小石のように、舞台の進行中にやたら違和感を覚える異物だった。このイレギュラーの存在は、クロックの死というイレギュラーに何らかの形でかかわっている。

 私は構わずに当て推量を続ける。「だが、お前さんが自分の意思でそれをやったというのは考えづらい。そもそも、お前さんとクロックには通じるところがない。お前さん、私と出会ったときはクロックと面識はなかったろ? それなのに、彼の殺害に及ぶまでになるには誰かに強いられたと考えた方が自然ではないかね?」

「……な……なにうぉしょうきょにひぃ~」

 もう呂律ろれつが回っていなかった。

「もうとぼけるのはよせ。とぼけられてもないぞ」

 ヘイローは怯えの感情を、意志を持って怒りに変え始めた。意識しなければ怒りすらも持てない男なのだ。予告がすぎる。後ろに回した手が動いた。案山子かかしでもつくつもりなのか。

「くそぅっ」

 本人は隠していたつもりなのだろう、片手剣を使っての刺突。私はそれを避け、前のめりになった奴の腹に膝蹴りを入れる。

「ぐぼっ?」

 さらに奴の顔を刀の鞘でぶん殴った。

「げぇあ!」

 倒れたヘイローに足蹴にする。

「おいおい、そんな突拍子もない行動に出るということは、私の推理が当たっていると言ってるようなものじゃないか」

「し、知りませんっ、本当に何も知らないんですっ!」

 そこへ、私の後を追って執事が現れた。

「クロウ様」

「……どうしたのです?」

「ロッキードが、ここより一日かかる場所で捕らえられたとの知らせが。そして今、ロッキードは元居た刑務所に護送中だそうで」

「まさかっ。しかし一体どうやって……。」

 アンチェインを拘束できる人間がいたというのか。それとも大がかりな、それこそ軍隊を編成できるほどの人数をそろえたとでもいうのだろうか。

「ロッキードを捕らえたのは、そこにいらっしゃるヘイロー様のお連れの方です。その……正確にはその方が連れておられたのがヘイロー様なのですが」

「こいつの?」

 私はヘイローをふり返った。

 ヘイローは怯え、体を丸めながらも勝ち誇った薄笑いを浮かべていた。

「無駄ですよぉ、あなたは出番を間違えたんですぅ~。もう何をやっても無駄なんですぅ~。今ごろ、リアルトラズからも軍勢が来ています。所長様がベクテルから要請した部隊を引き連れてぇ。ふふ、監獄まで連れて行かなくとも、問答無用にあの化け物は処刑ですよぉ~、ふ、ふふふふ……。」

「何だと?」私が迫るとヘイローはまた小さな悲鳴を上げて体を完全に丸めた。

 とことん食えない奴だ。俗物であるにも関わらず、最後にはおこぼれをあずかる男らしい。だが、幕引きはまだ終わってはいない。

「執事殿、申し訳ないがこいつが逃亡できないように手を打ってくれないか?」

「はぁっ?」ヘイローが甲高く不愉快な声で叫んだ。

「しかし……そうは申しましても……。」

「適当に何でも理由をつけてくれ、こいつはクロック氏の殺害に何らかの形でかかわっているんだ」

「なんですと?」

「ち、違いますぅ、私はやってないですぅ、私は、私は……。」

「じゃあ、誰がやったんだ?」

「あ、う……。」

「執事殿、ここでロッキードの名前をすぐに出せないのが証拠だよ。こいつは何かを知ってる」

 私は屋敷に戻ると、使用人に頼み、クロックが飼っている中でも特に速い馬を借りてロッキードたちの後を追った。空からは大粒の雪が降り始めていた。季節にしがみつこうとしている、冬の悪あがきのような雪だ。こういう雪は積もりやすくなる。

 私は馬で駆けながら、時代の節目には雪が降るという。東方の国の古い言い習わしを思い出していた。

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