舞台の幕開け⑧

 あの晩、ほんの少しだけ距離を縮めたようなふたりだったが、それ以上の関係に発展することはなかった。あくまでクロックにとってクロウディアは部下のひとりだった。そもそも、あの晩のことをクロックが覚えている様子がなかった。

 しかし、部下ではあるが、クロックはクロウディアを常に身近に起きたがった。特に何もするでもなく、朝食や夕食を共にすることが多かった。

「……クロウディア、来週の君のスケジュールを空けといてくれないか?」

 そんな朝食時、クロックはベーコンエッグを頬張りながらクロウディアに言った。

「……何かご予定が?」

「……うん」クロックはナフキンで口をぬぐった。「来月の初めに、ベクテルからの訪問団がワルサーに寄るらしいんだ。その夜には晩餐会も開かれる。それで私も顔見せをしようと思ってな。顔を売っておくチャンスだ」

 ワルサーはこのコルトから馬車で5日かかる距離だった。中々の遠出なうえに、そこで上手くコネが作られるとも限らない。相変わらずのクロックの上昇志向の限りなさだった。

「ベクテルの……。」

「ああ。……どうした?」

 クロックはクロウディアの様子がおかしいことに気づいた。

「その……私もどうしても行かなければ?」

「……嫌か?」

「いえ、そういうわけではないのですが……。」

「……そうか」

 急な申し付けだったが、クロウディアは準備を済ませ、クロックと共に出発した。彼女のいつもと違う様子にクロックは気づいていたが、彼女に新しい仕事を頼むときに時おり見せる、自信の無さのひとつなのだろうと、重くは捉えていなかった。

 5日の旅の末、ふたりは黒王領の西部、五王国のアルセロールと旧王都の中間にあるワルサーに到着した。すでにベクテルの訪問団が到着しており、街は祭事のような賑わいを見せていた。その様子から、クロウディアはここにいる訪問団がただの将校や役人ではないことを知った。

「あの……。クロックさんが仰っていた訪問団というのは……?」馬車の中、クロウディアは訊ねた。

「うん、転生者の側近や、第三婦人といった要人が、黒王領がどれだけ発展を遂げているか視察に来たんだ。これまでもベクテルの将校たちは黒王領に訪れていたが今回は訳が違う。今回の視察の結果を転生者に報告して、今後の黒王領での政策を決めていこうというのだからな」

 馬車の窓から景色を眺めながら、クロックの目は野心に輝いていた。

「転生者の……。」

「そうだ。まぁ、私も彼には会ったことはないがな……。」

 馬車が夜会が開催されている豪邸に到着した。クロックは颯爽と馬車から降りたが、後から続くクロウディアの気配がしなかった。

「……どうしたクロウディア?」

「……あの、私、どうしても体調がすぐれませんで……。」

 5日の馬車での長旅だった。幾度か小休止は挟んだが女性の身には堪えたのだろう。そう思ったクロックは、ここから宿も遠いので、クロウディアに宴に顔を出さなくても良いが、自分が用事を終えるまで静かなところで休んでいるよう命じた。そして、もし体調が良くなれば宴に出席するようにと。クロウディアは、小さく「わかりました」とだけ言って馬車に残った。

 その後、クロックは夜会に参加して方々ほうぼうに挨拶を交わした。アルセロールの外務大臣、ヘルメスの武将、セーラムの口添えもあり、彼は次々と顔を売ることに成功していった。

 要人と挨拶を交わす中、セーラムがクロックに訊ねた。

「……そういえば、君は今日はひとりでここまで来ているのか?」

「いえ、同伴者がいたのですが、あいにく体調が優れないということで……。」

「そうか……。」

 クロックはセーラムと話しながら、目で会場の中、クロウディアの姿がないか探していた。

「……あ」クロックは言った。

「どうした?」

「失礼……。」

 クロックは早歩きでセーラムの前から去った。人混みの中にクロウディアを見つけたのだ。

「クロウディ……。」

「メロディアっ」

 しかし、クロウディアはクロックが到着する寸前に来客のひとりにつかまった。しかもそれはただの来客ではなかった。かつては転生者の愛妾のひとりで、今は第三夫人として名を連ねているエルフの女だった。ブロンドというよりもゴールドと呼んだ方が良いほどに明るい金髪の女だった。そんな要人が親しげに話しかけているせいで、周囲の注目は否が応でも二人に集まっていた。しかし、当のクロウディアは困惑していた。

──なんだ?

「どうしたのよメロディア、音沙汰もなしで。みんなねぇ、あなたがガードナーで死んでしまったものだと思ってたのよ?」

「あの……その……違……。私はメロディアじゃあ……。」

「なに言ってるの? あなたメロディアでしょ?」

 一切の疑念がなかった。エルフの女は、自分の勘違いなど絶対にないという確信があるようだった。

「……クロウディア、どうした?」

 クロックが話しかけると、クロウディアはさらに気まずそうな顔になっていた。

「……あら、あなたは?」

 エルフの女は首を傾けた。眩いばかりのセミロングの金髪が、さらりと右肩に流れた。

 クロックは言った。「あの、もしかして、どなたかと勘違いされているのでは? 彼女、クロウディアは私の連れのでして……。」

 エルフの女はクロウディアを見た。クロウディアは顔をそらす。

「勘違いなんかじゃないわ、彼女はメロディアよ。ユーキ様と一緒に旅をした仲だもの、間違いないわ。ねぇ、どうしてクロウディアなんて名乗っているの? 生きていたなら、すぐにでもユーキ様のもとへ戻ってくればよかったじゃない?」

「……クロウディア?」

 クロックにも問われ、とうとうクロウディアはその場から駆け出して去ってしまった。

「クロウディアっ? ……失礼します」

 そう言って、クロックもクロウディアの後を追ってその場からいなくなった。

「……クロウディア……クロウディアっ」

 豪邸の中を探し続けるクロック、すでに来賓や関係者の姿が全く見当たらない、灯の無い暗い部屋の並んだ場所にまで足を運んでいた。

「……クロウディア」

 クロックは、その中で扉が半開きになっている、人の気配が漂っている部屋へと入った。その部屋は確かに人の気配がした。しかし様子が変だった。ひとりではない気配がする。こんな人気ひとけのないところにいるということは、もしかしたら賊かもしれなかった。クロックは机の上にあった真鍮しんちゅう製の燭台しょくだいを手に取った。

 クロックは静かに部屋の奥に行きながら、囁くように訊ねる。

「……クロウディア?」

「きゃあっ!」

「何だお前はっ!?」

 しかし、そこにいたのはパーティーを抜け出してしけ込んでいた、ふたりの男女だった。

「……失礼」

 クロックはため息をついて部屋を出た。

「……クロックさん」

 部屋を出たクロックの後ろから声をかける者がいた。ふり返ると、そこにはクロウディアがいた。

「……クロウディア」

 クロックはクロウディアを見ていた。一方のクロウディアは、クロックを見ようと努力するがすぐに目をそらしてしまう。

「……クロウディア、彼女の言っていたことは本当か?」

 クロウディアは何も答えない。そしてその沈黙が答えだった。

「……いま答えたくないのなら、別にいい。ただ、いつか気持ちの整理がついたら話して欲しいんだが……。」

「……それは」クロウディアは顔を上げクロックを見た。「私に利用価値があると思われるからですか?」

「……そう思ってもらってもかまわない。ただ……。」

 最後まで言いかけるまえに、クロウディアは踵を返して彼の前から去って行った。

 続くのは男にとって大切な言葉のはずだった。しかし、その言葉はついぞ女に届くことはなかった。

 翌朝、クロウディアはクロックの前から姿を消した。クロックはひとりでコルトへの帰路へとついた。

 戻ったクロックに、部下たちはクロウディアを探すべきだと進言したが、クロックはそれをしようとしなかった。男は知っていた。もう女は自分の前には姿を現さないのだと。

 しかし、宿命とは個人の感情や思惑を抜きにしてその渦の中に人を巻き込んでいく。男と女は再会することになった。それも20年後に。

 クロックはベクテルで行われた葬儀に参加していた。コルトで成り上がる時に利用した、セーラムが死んだのだった。老齢に達しながらもあれほど筋骨のたくましかった男とはいえ、さすがに時の流れに逆らうことはできなかった。体は細り、頭も曖昧で、最後は自分の子の顔を忘れていたという。最期は、排便すらも独力でおぼつかなくなった彼の介護の最中、唯一彼が覚えていた妻が、彼に「いつまで周りにご迷惑をおかけになるつもりですか? 早く死んでくださいな」と囁き、その晩に息を引き取ったのだという陰湿な噂が流れていた。

 かつて転生者戦争で活躍した将校の葬儀ということで、葬儀には多くの参列者がいた。セーラムに所縁ゆかりのある者は五王国だけではなく、クロックのような旧黒王領の人間にまで及んでいた。その葬儀の参列者の中、クロックは遠目からクロウディアの姿を認めたのだった。

 自分から声をかければクロウディアはあの時のように逃げてしまう。そう思ったクロックは、秘書の男に素性を偽ったうえでクロウディアに挨拶をさせ、彼女の情報を聞き出すよう命じた。その後、秘書の報告によれば、彼女の今の肩書は次のものだった。

 極東刑務所リアルトラズ所長メロディア・コバーン

 いったい、どうやってその地位に上り詰めたのかは分からなかった。確かに自分の知る彼女は優秀だったが、それでも刑務所所長に成り上がるには、仕事の毛色が違い過ぎるのではないか。クロックは戸惑ったが、彼女と別れて20年の月日が流れていた。それは人の一生を180度、まるっと変えてしまってもおかしくないくらいの時間だった。

 クロックはコルトに戻ると、リアルトラズ宛に手紙をしたためた。返事の来る見込みのない手紙だった。それでもクロックは折にふれ手紙を書き続けた。当然のことながら返事は来なかった。そしていく通もの手紙が女のもとへ届き、やがて内容が季節の挨拶ていどのものになりかけた頃、思いもよらない返事が彼女から来たのだった。

 そこには、とある囚人の脱走を伝える内容と、その囚人を捉えるレンジャー請負人の推挙があった。

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