嗤うディアゴスティーノ
一週間後──夜
ヘルメスからの馬車が到着した。
馬車から降り立ったのは、一組の男女だった。
女の服装は実に奇妙だった。黒いブーツに黒いレザーのボトムス、黒のレザーのトップスには鋲や鉄のアクセサリーが施されている。黒い衣装で白い肌はさらに目立つというのに、さらに白粉がかけられていた。唇の青いルージュと目の周りのくまのようなアイシャドウのせいで、女はまるでゾンビのように見えた。
隣の男は対照的だった。フェルトの山高帽、ダブルのスーツに黒い革靴、周囲の空気の匂いすらも品定めをしているかのような鋭い
「……辛気臭ぇところだな」と、ディアゴスティーノが周囲を見渡して言った。
「今はエーギョーをお休みしているみたいですねぇ」と隣のリザヴェータが言う。
「けっ、例の件で雲隠れしてたと思ってたら、また妙なことに首突っ込みやがって……。」
ディアゴスティーノがドウターズのフロアに顔を出すと、一斉に女たちが沈黙して彼を見た。
ディアゴスティーノは女たち一人ずつに目をやった。
「え~と、アンタは……?」と、アリシアがディアゴスティーノに話しかける。
「ディエゴ、着いたのか」
クロウが二階からディアゴスティーノに声をかけた。ディアゴスティーノとリザヴェータが同時にクロウの方を見上げた。
「おや、リザヴェータ嬢も」
「お久しぶりですぅ」と、装いからは想像もつかない間の抜けた声でリザヴェータが言った。
それからしばらくして、ディアゴスティーノはミラの執務室に通された。
部屋の窓際に急ぎで用意された商談用のテーブルに、ミラとディアゴスティーノは向かい合って座った。
「今日は遠くからはるばる感謝するよ」ミラは言った。「ヘルメスからここまで、なんのトラブルもなくこれたかい?」
「……前置きは抜きにしようや。お互い時間がないだろうからな」とディアゴスティーノが言う。「とっとと商談を始めるぜ」
「……ああ、そうだね」
「こちらのギフトはもう用意してある。問題はオメェのところが俺の望むもんを出せるかだ」
ミラは窓の外を見た。馬車が一台あるだけだった。
「ブツは待機させてある。ここまで持ってくるほど間抜けじゃねぇよ」
「……そう。ただ、申し訳ないけど、こっちはアンタの望むものが、今すぐにここでお見せできるわけじゃないんだけど」
「いいや、見たさ。……トリッシュとミッキー、あとリタってぇ女をウチでしばらく預かる」
「……え?」
「さっきオメェを待ってる間、あの三人を見てたんだよ。俺が何者かをすぐに見当つけたみてぇだ。俺に挨拶をして、すぐにもてなす用意を始めやがった。誰に言われるでもなく自分からな。……ああいう女は伸びるぜ。単純に器量もいい」
「それだけで……。」
「オメェがどれだけ場数をくぐってきたかは知らんが、女を見た数なら俺には及ばねぇよ」
「うちの子たちを評価してくれるのは嬉しいけどさ……でも、アンタが思ってる通り、あの子たちはウチの主力だよ。あの三人を連れていかれたら、その間ウチの経営はどうなるんだい?」
「ウチからも、女を三人ここに寄こす。主力とまではいかんが、うちで教育された女だ。辺境の安宿にはもったいねぇくらいの仕事ができるぜ。で、時期が来たら、三人はオメェのところに戻ってもらう」
「女をただ入れ替えするだけ? それでお互いに何のメリットがあるってのさ?」
「オメェの所の女をウチで徹底して教育する。それこそ、中央の貴族や豪商すらも満足させられるようにな。そして、ウチの女はオメェん所の女を教育する」
「貴族や金持ち相手に商売をしようってことかい? それって、サハウェイと同じじゃないの?」
「ああ、そうさ。あの女がしくじらなけりゃあ、俺はあいつとビジネスをしてただろうぜ。俺が欲しいのは俺の商売の中継地点だ。足掛かりの土地が手に入ればいい。そのためなら、手を組む相手の肌が黒かろうが白かろうが、そこんとこはどうだっていい」
「つまり、アンタが望むものってのは、手を組んだアタシがサハウェイに成り代わるってことかい?」
「そういうこった。先行投資ってやつよ。ものわかりが良いじゃねぇか」
「そいつぁどうも。……でもさ、聞いた話、アンタの主な仕事は娼館の経営じゃないんだろ? どうして娼館にこだわるのさ」
「俺の所で働く女は娼婦じゃねぇ。エスコートガールって呼んでくれ」
「それは、名前を変えただけじゃあないんだよね?」
「もちろんだ。満足させんのは男のイチモツだけじゃえねぇ。心も体もしっかりと男をつかむような、そんな仕事だ。連れて歩くのがステータスになるくらいのな。無視できねぇだけじゃねぇ、王侯貴族がかしずくような女さ」
「……女を使って男を支配するつもりかい」
「あいつが見込んだだけあるじゃねぇか。辺境の娼婦にも、稀にオメェみてぇな奴が顔を出しやがる。だからこの稼業は面白れぇのよ」ディアゴスティーノは、機嫌よさげに牙を見せた。「そうよ、女を通してコネができるだけじゃあねぇ。場合によっちゃあ弱みも握れる。野郎は女を前にしたら、とたんに脱がなくても良いもんまで脱ぐからな。もちろん、女たちも娼婦の頃とは比べ物にならん金が稼げる。稼げる女に対してなら、世間の目もおのずと変わるだろうぜ」
「なんだか……。」ミラは途方もないディアゴスティーノの話に深い息をもらした。「唐突に途方もない話を振られて、頭がふらつきそうだよ」
「慣れだ」
ミラは言った。「ところで、さっきの三人の話なんだけど、ちょっと問題があって……。」
「発作もちの女のことか? かまわねぇよ」
「知ってたのかい?」
「商談相手のことを何も調べずにここまで来ると思うか? あの女に関しては別の仕事をやらせる。王都で声のかかってた踊り子だったらしいじゃねぇか。ありゃあたいした拾いもんだぜ。ヘルメスの金持ちが放っておかねぇよ。何より、今あそこは娯楽に飢えてる」
「でも、病気のせいで王都の話は……。」
「プロモートする奴がカスだったのよ。俺ならこう触れまわるぜ“悲劇の舞姫、難病を克服し舞台に”。どうだ? そそるだろう?」
「たいしたハッタリだけど、アンタあの子の踊りを見たことは?」
「ねぇよ。つぅか芸術の事は分からねぇ。だがな、芸術に群がる凡人のことは良く分かる」
愉快でたまらないといったディアゴスティーノの口調だった。その瞳には童心の輝きさえあった。まるで、おはじきやサイコロを手放し、代わりに人間の欲望や劣情をおもちゃにして遊ぶ子供のようだった。
しかし、ミラは同時に疑問にも思っていた。確かにサハウェイはこの街の支配から外されたかもしれない。とはいえ、それは一時のことであって、サハウェイならばすぐにでも権力の座を取り戻すこともありえる。ディアゴスティーノと手を組めばなおさらだ。何より、ディアゴスティーノが組むのはティムであってもいいのだ。それでも自分に鉢が回ってくるのはなぜなのか。しかし、それを問うことは意味がないように思えた。人間には、それ以上問うても帰ってこない質問がある。ミラには、そこにディアゴスティーノの壁があるように思えた。
商談が終わると、ディアゴスティーノとミラが二階から降りてきた。
「おや、ディエゴ。話は終わったのかい?」と、降りてくるディアゴスティーノを見てクロウは言った。
女たちはちょうど夕食の準備をしているところだった。テーブルにはクロウが作った料理が並んでいた。すべてありあわせだったが、丹念に下ごしらえや味付け、盛り付けをした焼き物にスープやシチュー、そしてプティングは、一見すると王都の食堂で出されてもおかしくはないほどに豪勢だった。
クロウの作った料理を見ながらリタがミッキーに言う。
「同じ材料使って、何でアンタとはこんなに違うもんができちゃうんだろうね」
「まるで魔法だね」とトリッシュがうなずく。
「そんな、魔法だなんてぇ」と、ミッキーが照れ笑いをする。
「オメェの方じゃねぇし」とリタ。
「仮に使ってるとしたら呪いだから」とトリッシュ。
ディアゴスティーノを待っていたリザヴェータが言う。
「シャチョー、食べていきましょうよぉ。これ、クロウさんが全部作ったんですってぇ。もんのすごくおいしそうじゃないですかぁ?」
ディアゴスティーノは無言でテーブルの上の料理を見る。ディアゴスティーノは少し料理の匂いを嗅いで息を止めた。
「ディエゴ、チリを作ったぞ。お前さん好物だったろ」
クロウが持つ鍋にはチリコンカルネがこしらえられていた。
ディアゴスティーノは首を少し傾けた。
「メルおばさん直伝だ」
「……けっ」ディアゴスティーノは鼻で笑って言った。「ババアのチリなんざ、もう一生分食ったぜ。……おいリーズ、けぇるぞ」
「え? 食べてかないんですかぁ?」
「あたりめぇじゃねぇか。オメェ、客待たせてんの忘れたか?」
「そうですけど……。」
クロウが言う。「なんだ、もう行くのか? せっかく作ったんだけどな」
「いま言った通り、商談相手はここだけじゃあねぇ。何軒か回らなきゃあならねぇのよ」
「そうか。それなら引き留めるのも心が痛むな。……じゃあなディエゴ、機会があったらまた会おう」
「……え?」とリザヴェータが言う。
「ああ、そうだな」とディアゴスティーノも言った。
「あれ?」
ディアゴスティーノはそのままドウターズを出ていった。
「あれれ?」
クロウもディアゴスティーノを見送ることなく、台所に戻っていった。
リザヴェータはそんなふたりを交互に見ていた。
階上からその様子を見ていたミラは、ディアゴスティーノが自分を選んだ理由の答えを、そこに見た気がしていた。
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