神父と娼婦
「……だいぶ建設に時間がかかってるみたいだけど」
ブラッドリーと共に教会を訪れたサハウェイが言う。建設を始めてから一年が過ぎようというのに、教会はまだ完成していなかった。
「ええ、実は大工といった業者を雇っていないんです。土台から何まで、全て街の方々のボランティアでやり遂げようと」とブラッドリーが答える。
「……お金が足りないなら言ってくださればよろしいのに」
ブラッドリーは朗らかに笑う。「違いますよ、サハウェイさん。私は建物を造りたいのではありません。住民たちの心の拠り所を造りたいんです。そのためには、町の人々が協力してこの教会を作り上げ泣ければならないんです」
「そう……。」
「さぁ皆さんっ」ブラッドリーが高らかに声を上げ、教会に入ろうとしている町の人々に歩み寄る。「サハウェイさんが来てくれましたよっ。この教会の建設の立役者ですっ」
「ちょ、ちょっと、ブラッドリー」
戸惑うサハウェイに、ブラッドリーは遠慮なさらずにと微笑んだ。
そんなブラッドリーに気づいた街の人々は、こんにちはぁと彼に挨拶をするが、サハウェイの姿を見ると、笑顔を向けるもののすぐに気まずそうに目をそらした。
分かりきっていたことだった。どれだけ飴をここの住人たちに与えようとも、異形の自分を、娼婦の自分を彼らは完全に受け入れはしないことを。
サハウェイはブラッドリーに促され教会に入ると、居心地悪そうに礼拝堂の隅の席についた。
定刻になると子供たちが拙い聖歌を歌い、その歌が終わるとブラッドリーが聖典を読み、そして彼の説教が始まった。
「──本日の聖句からは、神の寛容さを学ぶことができました。聖典には多くの事が書かれていると同時に、書かれていないことも多々あります。それが意味するところは何でしょうか?」ブラッドリーは教会の民衆を眺める。「私はこう考えます。神は我々に、家畜や獣と違い、考える力をお与えになりました。そしてその叡智を用いて、聖典の空白の部分を解釈し、そしてより良い神の国を作り出すため、そのための開拓すべき場所をお与えになったのだと。……あのサハウェイさんをご覧ください」
一斉に信者たちがサハウェイを見た。サハウェイは背筋を伸ばして目を見開いた。
「ご覧のとおり、彼女は生まれつき人とは違います。しかし、彼女のような人間が聖典ではどう書かれているでしょうか?」ブラッドリーは首を振る。「何も書かれてはいません。同性愛や異種婚の汚らわしさは描かれているのにも関わらずです。つまり、神は彼らを否定してはいないのです。ならば何故、私たちが彼女のように、生まれつき病気を抱えた人々を忌み嫌う理由があるでしょうか? 聖典の空白、それは心の空白であり、寛容さの余地なのです。何より、サハウェイさんはこの教会を築くために私財を投げ打ってくださいました。彼女もまた、寛容さを身につけている者のひとりなのです」
サハウェイは首を傾けて事務的な微笑みを浮かべた。信者たちも、やはりぎこちなかったがサハウェイに笑顔を向ける。
「人々には与えられた役目があります。皆さんは各々、自らの生き方を決断したものと考えている思われているかもしれません。しかし、それは神の大いなる意思なのです。王は王の、大工は大工の役目があり、それはまた、サハウェイさんが経営する娼館に関しても同じことです。彼女の娼館の女たちのおかげで、男たちは人の道からそれることなく仕事に励むことができます。民心の安定のため、秩序のため、彼女たちもまた、この世界に必要な存在として神が世に遣わしたのです」
人々はぎこちない笑顔をサハウェイに向け続ける。サハウェイもそれに応えるが、彼女は彼らに問いたかった。では、お前たちは自分の娘を娼館に差し出せるのかと。
そこへ、サハウェイの部下が腰を低くして目立たないように入ってきた。
「……サハウェイさん」と、部下がサハウェイに耳打ちする。
「どうしたの?」
「先日、偵察するように言われたミラという女の店ですが……。」
「そう……。」サハウェイは周囲を見渡す。自分に向けられていた信者たちの視線は、今では神父を向いていた。「ここじゃあなんだから、店に戻りましょうか」
「で、どういう店だったのかしら?」
すぐに潰れると思っていたミラの店は、潰れるどころかここ三ヶ月で着実に客足を伸ばしていた。念の為にサハウェイは部下を偵察にやらせていた。
サハウェイが深く座るソファの横では、前日に偵察を終えた部下たちが恐縮するように立っていた。
「それが……。」
部下たちは各々顔を見合わせた。
「……何よ?」
「まぁ……いい店だったなと」
「……それだけ?」
「ええ……まぁ、なんと申しますか……はい」
「まったく……。」サハウェイは深くため息をついた。「何のために貴方たちを偵察に行かせたと思ってるの? 何でもいいのよ、見たものは何でも。例えば……女たちはどうだったの?」
「女たちは……ホールデンの店の女たちがそのまま働いています。けれど、目立った女はウチで引き抜いてるので、あまり上等とは言い難いですが」
「じゃあ、繁盛といってもたかが知れてるわけね」
「……いえ、客足はかなり良好のようでした」
「どうしてよ?」
「うちに比べれば……値段が安いのです」
「なら、結局あの女の店は場末の女郎屋だということなの?」
「それが……安いのですが、その、居心地がいいというか……。」
「はぁ?」
別の部下が口を出す。「正確にいうと、あの店は娼館ではなく旅籠屋のようなんです。その……酒を出して、料理を出して……あと音楽も」
「音楽ですって? うちの店でも隣接している酒場で音楽家を雇ってるじゃない? 酒だって料理だってあるわ」
「そうなんですが、うちとは違って……なぁ?」
「あれはリザードマンだろ? で、そいつがここら辺じゃあ見ない楽器で、異国の唄を歌うんですよ」
「そうそう、何かあれ妙に酒の席に合うんだよな」
「おもしれェよな、チャンチャチャチャンチャチャンチャチャンチャみたいな……。」
昨晩の様子を思い出して談笑を始めていたふたりは、サハウェイの冷ややかな表情を見て口を
「……で、酒も料理もうちほどじゃあないんですけど、悪くもないんです」
「しかも安い」
「女たちも、妙に活気づいてる感じで」
サハウェイは不機嫌そうに部下の報告を聞く。
「ただ……サハウェイさんが心配しているような、ウチと客を取り合うようなことはないんじゃないかと」
「どうして?」
「客層が違うんですよ。ウチはどっちかというと、大商人や大きな仕事を終えた労働者が来るような店ですが、あの店はどちらかというと、付近の住民の奴らが気晴らしに行くようなトコなんで」
サハウェイはソファの上で足を組み、手を組んで険しい顔をしていた。
「……いいわ。じゃあ別に今のところは捨て置いていいってことね」
「……はい」
サハウェイは一息つくと、「もういいわよ」と手を振って人払いをした。
部下が去った自室で、サハウェイは顔に手を当て撫でさする。知らず知らずに険しい表情をしていたことに気づいた。
ソファに背をもたげてサハウェイは自問する。なぜ、あの小娘に自分はこだわるのか。初めて会ったあの時からだ。商売がどうということではない。無性にあの娘の存在が気に入らないのだ。奪い合うことが常の世の中で、子供じみた信念を未だ捨てずに胸の内にしまっているようなあの瞳。放っておくと自分の存在に関わる何かを脅かすような、そんな脅威をサハウェイはミラの瞳から感じていた。
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