scene52,生者に約束を、然らずば死者に花束を

 翌朝、クロウは気まずい様子で村を後にした。朝食はもちろん出なかった。

 クロウは松葉杖をつき、秋空の下汗を流しながら山道を歩く。一方のマテルは、ここがジュナタルではないかと飛び跳ねながら周囲を動き回り忙しなくまだ見ぬ故郷への期待を膨らませているようだった。

 怪我を抱えた体で人里離れたエルフの住処に着いた時には、日はもう真上にのぼっていた。

 野原の真ん中の平屋造りの丸太小屋のベランダを登り玄関のドアまで来ると、クロウは扉を叩いた。

「もしもしっ。誰かいないかいっ?」

「……はーい」

 ドアを開けて中から出てきたのは、人間でいうと40代前半に見えるエルフの女だった。

「どうしたのかしら? 道にでも迷ったの?」そしてエルフはマテルを見て、昨日の村人と同じことを言った。「あら、ラガモルフじゃないの、珍しい」

 クロウは嫌な予感を感じざるを得なかった。少し、恐る恐る伺うようにエルフに訊ねる。「突然申し訳ない、とある場所を探しててね。この辺りにジュナタルというラガモルフの集落があると聞いたんだが、ご存知ないかね」

「……ジュナタル? 聞いたことがないわね。それに、この辺りにはラガモルフが集落を作ってたことなんてないわよ?」

 クロウはマテルを振り返ろうとするも、それができなかった。

「……失礼だが、お前さんはどれくらい前からここに住んでるんだい?」

「そうねぇ、もうずいぶん前になるかしら。かれこれ……百年くらいね」

「その間、ここを離れたりなんかは……。」

「してないわ」

 クロウは焦ったように懐から地図を取り出しエルフの前に広げた。

「なぁミセス、この地図にあるこの場所なんだ。だいたい該当する所でも似たところでもいい。何か心当たりがないか?」

「心当たりって……だいたいこのバツ印、範囲が大き過ぎて……。」

「川が流れてるらしいんだ。とても穏やかな清流で、紅葉が美しくて、周囲にリンゴやブドウが実ってて──」

「分からないわねぇ……。」

「思い出してくれ。少しでもそれらしきところであればいいんだ。お前さん、それとも何か隠してないか?」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな剣幕でこられても……。」食い気味に迫ってくるクロウに上体をそらしながらエルフが言う。「大体ね、そんな素敵な場所ならここら辺でも有名なはずよ? でも私、百年近くここにいて、そんなところ聞いたことないもの」

「そういえば……。」

 クロウは地図を裏返しにし、そこに描かれた絵をエルフの女に見せた。

「そうだ、この滝だ。この滝のある場所らしいんだが、ここなら見覚えがあるだろう?」

 エルフの女は眉間にしわを寄せしばらくその絵を眺めた後、何かに思い当たったらしく、顔を上げて「あら、これ“暁の滝”じゃないかしら?」と言った。

「知ってるんだな?」

 クロウとマテルは顔を見合わせた。

「ええ、夕日が射すととても綺麗に輝くっていう有名な場所よ。膨大なマナを蓄えてるから、修行者も多く訪れるとか」

「どの辺りにあるんだい?」

「ライヒムスよ」

「……ライヒムスだって?」

「そう」

「しかし……ライヒムスと言ったら……。」

「そう、この辺どころかダニエルズの北部、巨人の国との国境になるわね」

「そんな……何かの間違いじゃないか」

「よく見て、ほら……。」エルフの女は絵の端に書かれているサインを指さした。「消えかかってるけど、“ライヒムス”ってあるでしょう?」

 確かに、滲んでいるがそう読めなくはない字が書かれてあった。この絵がジュナタルであると思い込んでいたクロウは、それが単なるシミだとしか意識していなかった。

「……じゃあ、ジュナタルという場所は」

「ないわ」

 エルフはきっぱりとクロウに告げた。


 クロウとマテルは「少なくとも川はある」、とエルフに説明された場所へと足を運んだ。確かに川はあった。しかし平凡な川で、レグの話のように周囲を紅葉が彩っているわけではなかった。

 強い秋風が吹いていた。ふたりの耳に、風を切る音が聞こえた。空では雲が風で流れ、鳶が鳴き声を上げながら上空を旋回していた。そして、いくら耳を澄ませ目を凝らしても、ラガモルフの姿はどこにもなかった。あるのは簡素な川辺の光景だけだった。

 クロウとマテルは、ただ川辺に立ち尽くしていた。

 風が彼らに伝えていた。

 果たすべき約束など、元より交わされていなかったと。花を捧げる場所など、どこにも存在しなかったと。

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