scene㊹,厳父
「ネス様」
庭で狩りの獲物を解体しているネスにケリーが話しかける。
「どうした?」
ケリーを振り向かずに、ネスは淡々とボウガンで仕留めた鳥の羽をむしる。
「何故あのふたりを助けようと?」
「困ってる民を助けるのが領主の勤めだろう」
「……怪我の手当はまだしも、お食事の用意までなさるのが?」
しばらく黙々と鳥を解体していたネスだったが、やがて作業を止めるとケリーの方を振り向いた。
「……あのふたり、少し気にならないか?」
「そうでしょうか? 確かに珍しい組み合わせではありますが……。」
「内偵で分かったんだが、たて続けに起きてた役人襲撃事件、犯人は女の剣士だったって話でね」
「確かに……彼女も剣は持っていました。しかし、旅をする女性が武器を持つのは珍しいことではありませんよ?」
「それに……モーリスのラガモルフ殺害の件。部下の話だと、ラガモルフの子供が現場を目撃してる可能性があるということだ」
「ええ、それもそういう話が……。」
「気にならないか? ラガモルフの子供と剣を持った女……ふたりとも役人が絡んだ事件の関係者だ。ひとりひとりを別々に見かけたならそうでもないかもしれないが、ふたり一緒となると……。」
「……なるほど。しかし……お父上、ダニエルズ侯にはなんと? 今晩はあの方もこちらにいらっしゃるのでは?」
「うまく良いように説明するさ」
ネスは不敵に微笑んだ。
この余裕が常時のものであれば頼もしいのだが、そうはいかないことをケリーは知っていた。
ケリーは体を傾けてネスの背後を見る。「あら、ダニエルズ侯っ」
「え!?」
慌ててネスは振り向いた。
「冗談ですよ」
ネスは苦笑してケリーを睨んだ。
「堂々となさってください。多くの国民が知ってます。ネス様はこの国を継ぐにふさわしい方だと」
「嬉しいね。休日の誘いに乗ってくれたのは、やはり脈アリだと考えても良かったのかな」
「そういうところがなければ、と付け加えようと思っていたところです」
その夜、クロウとマテルは夕食に呼ばれた。テーブルにはチキンスープと、中央にネスが狩りで仕留めた鳥の丸焼きが用意されていた。
クロウが松葉杖を付きながら食堂に現れた。席についたクロウが言う。
「申し訳ないね閣下。怪我の手当をしてもらった上に、夕食にまで呼んでくれて。どうしてここまでしてくれるんだい?」
ケリーがネスを見た。
「客人を
「それに?」
「俺を袖にした君に、きちんと俺の魅力を教えておこうと思ってね」
ケリーが呆れたように小さく首を振った。
クロウが言う。「それなら心配はない。自分の見る目がなかったのはもう分かったよ」
「簡単に人の事を判断するのは良くないが、簡単に
クロウは口角を小さく上げた。
ネスが首にナフキンを巻いて言う。「さぁ、食べてくれ。遠慮はいらない」
「ラガモルフはこういうのって大丈夫なのかしら? お肉は食べられるの?」と、ケリーがマテルに訊ねる。
「大丈夫、お肉大好きだから」
「そう」
次にケリーはクロウに訊ねた。「貴方はどう? 体がまだ痛むでしょう? お皿をとってあげましょうか?」
「悪いね。体を伸ばせないんで、パンを取ってくれると助かる」
「そう、パンは何個?」
「二つ。おっと、お前さん数が数えられないんだったな」クロウは指を二本立てた。「これが二つ、分かるかい?」
「根に持つタイプね……。」
「どうしたんだい?」興味深そうにネスが訊く。
「他愛もない女同士の会話ですわ、ネス様」
四人が食事を始めてしばらくすると、玄関で物音がした。
全員が玄関の方を見た。とりわけネスが緊張しているようだった。
数人の声がして、ふたりの従者が食堂に入ってきた。
「これはこれはネス様。ご機嫌麗しゅう」
ネスは立ち上がってふたりに挨拶をした。ネスの緊張した様子をクロウは奇妙に思った。
「それで……父上は?」
「もちろんご一緒しております」
「そ、そうか……。」
遅れて、さらにもうひとりの従者を連れて、ギル・ダニエルズが食堂へ入ってきた。服の上からでも筋骨の尋常ではなさが分かる大男だった。
食堂にいた全員が席を立ち、この侯国の主に膝まづく。
「……客人がいるのか」
ギルが静かに口を開いた。静かであるにもかかわらず、重々しい声だった。食堂にいる全員の肩に、重荷がのしかかったような圧力があった。
沈黙して周囲を見渡す様は、まるで判決を下す直前の裁判官──しかし手にした
「はい……。彼女はケリー・コールマン、私の同僚です。こちらのふたりがクロウとマテル。狩りの途中で怪我した彼らを見つけ、手当をするためこの屋敷へ……。」
「ふむ……。」
ギルはクロウとマテルをしばらく眺めると、「そうかしこまらなくとも良い。休暇だ」と言い残し、踵を返して食堂を出ていった。
ギルがいなくなると、ネスは大きく息をして立ち上がった。
全員が緊張していたが、一番緊張していたのは息子であるはずのネスのようだった。
食事も終わり各々が部屋に戻ったあと、クロウはマテルにトイレに行きたいとせがまれた。トイレの場所を訊かなかったことを後悔しながら、クロウは松葉杖をついて別荘の中を歩き回った。
「大丈夫だよクロウ。もう僕お外でするから」
「ダニエルズ侯の別荘で流石にそれはまずい……。」
クロウは最近、マテルの粗相が多いことが気になっていた。
屋敷をうろついていたクロウだったが、ふと話し声がするのが聞こえた。声の主はネス・ダニエルズと、ギル・ダニエルズのようだった。クロウは陰に隠れて様子を伺う。
ふたりは灰色の石レンガで囲まれた簡素な広間で、穏やかではない雰囲気を出していた。
「……なぜ、女がいるのだ」相変わらず重々しい声でギルが言う。
「それは先ほど説明したように、彼女は酷い怪我をしており……。」
「それは分かってる。領民に対し、慈悲の情が自ずと湧くのは領主として必要不可欠の資質。それに関しては良い心がけだ、お前を見直した」
「では……。」
「もうひとりのお前の同僚の話だ。何故彼女をこの別荘に?」ギルの語気が強くなった。
「それは……彼女は職場の友人ですし……とても優秀で、現在追っている事件では私の手足となり働いてくれました。なので……。」
「それが……男でも同じ事をやったか?」
「……それは」
ギルはため息をついて首を振った。
「お前が巷でなんと言われているか知っているか?」
「ええ、まぁ……。」
「“腰砕け”だ。誰彼構わず女を口説くからな」
ネスは気まずそうにうつむいた。
「お前は腰砕けなのか……そうでないのか……。」ギルは壁に掛けてあるグローブをネスに投げた。「確かめよう」
ネスは意を決したかのようにグローブを手にはめる。
ギルもグローブを手にはめると、室内の中央にあるリングに入った。どうやらそこは彼らの鍛錬所らしく、天井から垂れたロープや鉄棒、ダンベルや鉄アレイ、そしてクラブベル※があった。(クラブベル:バット状の重り。振り回して腕や手首を鍛える)
「父上、フェイスガードは?」
「私はいらん。お前はつけておけ」
ネスは不服そうに顔を歪めると、「私も結構です」とロープをくぐった。
リング中央に進み出て構える二人。ネスは左手を前に、右手を顎に付け、両足を広げて体重を前足の方へと置く構えを取った。対してギルは、ネスよりも足を開き、上体を曲げ低く構え、両手は顎の下にあった。
「いつ始めますか父上?」
「黙って打ち込んでこい」
ネスは軽くステップを踏んで、軽く素早い左のジャブでギルを牽制した。クロウの予想通りだった。
対するギルは、上半身を振りながら左のジャブを躱し、少しづつ間合いを詰めていった。これもクロウの予想通りだった。
ただ違うのは、ネスの攻撃には明らかに思い切りがないことだった。その突きではギルの圧力は止められない。クロウがそう思うと、すぐに素早い踏み込みでギルがネスの懐に飛び込み、左のボディを繰り出した。
ギルの攻撃を腕の上からガードしたネスだったが、顔には苦悶の表情が浮かんでいた。そしてギルの顔面への右のフック。これもガードしたネスだったが、体がくの字に曲がっていた。
開始一分も経たないうちにリングサイドに追い詰められたネス。クリンチで抱きついて素早く体を入れ替え難を逃れるが、ギルは張り付いたようなしつこい動きでなおもネスに迫った。
ネスは再び細かい左突きの連打でギルを離そうとする。だが上体を絶え間なく振り続けるギルの頭にはピンポイントに当たらなかった。
頭をネスの胸に付けるほどに迫って、ギルが左右の拳を連打してネスの腹を打つ。
「う……ぶっ」
耐えられなくなったネスはやり返そうと、ギルの脇腹を右のフックで攻撃しようとする。
──それは良くない。
クロウがそう思ったとおり、ネスの下がった右腕を察したギルが、大きな外回りの左フックでネスの顔を狙った。しかしギルの左の拳はネスの顎をかすめただけだった。
──なるほどね……。
思わずガードを上げるネス。そのがら空きの腹に、ギルの右の拳が突き刺さった。
「ごぉっぶ!」
ネスは膝をついて倒れた。
「か……はぁ!」
うずくまる息子を見下して父は言う。「……王たる者、肚は鍛えておけ」
そしてギルは踵を返してリングから出ていった。
リングの中には、膝をつくネスが取り残されていた。
「クロウ……。」クロウの腕を引いてマテルが言う。
「何だ?」
「漏らしちゃったよぉ」
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