scene㊷,終点まで止まれない

──クロウがならず者の村を訪れていた頃


「これは……ドレフュス部長、一体どうして……?」

 モーリスの自宅をドレフュスが訪問していた。

「うむ……いや、まぁ、ここ最近お前との関係があまり良いものではなかったのでな。常々部下とのコミュニケーションを取らなければと思ってたところだったし。それに……父君、エミール殿にも久しぶりにご挨拶をと思ってな」

「それはそれは……。しかし、父は具合が悪く……せっかく来ていただいたのですが、会っていただくのは……。」

「そうか……それなら仕方ない。お前と少しだけ話をして帰ろう」

「は、はぁ……。」

 ドレフュスはレインコートを脱いで雨水を叩き、笑顔で屋敷へと入っていった。

 ドレフュスの通された居間には所狭しと骨董品や美術品の数々が並べられていた。しかしどれもが手入れを怠り埃をかぶってくすんでいた。

 ドレフュスの様子に気づいたモーリスが言う。「ああ、これは父上の趣味なんです」

「美術品収集がかね?」

「ええ、三分の一は私が引き継いで増やしたものですが」

「ほう、親子そろって同じ趣味とは羨ましいな」

 役人の給料でこれを揃えたのか、とは訊かなかった。

「父がいつも言っていました……人間は移ろうし、やがて死んでいく。だが物、財産と家名は残っていく。だから我々貴族は家名と財産を守らなくてはならない。……そう口癖のように言ってましたよ」

「ほほう……エミール殿の貴族のあり方へのこだわりには、若い頃から頭の下がるものがあったよ。私にはそこまで徹底するのはとてもではないが……。」

 ドレフュスは首を振った。

「何を仰いますか。父上と一緒に戦場を駆け回ったドレフュス殿ではありませんか。その頭の瘤は、その時に負った怪我の跡だともっぱらの噂ですよ」

 ドレフュスは気まずそうにオデコを撫でた。「そういう話が独り歩きするのも困りものだな。これは単なる瘤だ。大体、私は後方支援の部隊にいたんだから、敵と正面から戦うことなどなかったんだ。もっとも、では既に剣と剣の戦いなど無くなっていたがな。転生者の技法があれば、戦など始まった時点で事後処理でしかない。“ガードナー高原の悲劇”じゃああるまいし、大した危険など無かったさ」

「……え? 後方支援ですか?」

「ああ、そうだ」

「確か……ドレフュス殿は父上と同じ部隊だったはずでは?」

「その通りだ」

「つまり……父上も後方支援だったと?」

「……そうだが?」

 モーリスの顔が、まっすぐにドレフュスを見つめ、しかし心ここに有らずという表情になっていた。モーリスの異変に気付いたドレフュスは話題を変えることにした。

「そういえば……エミール殿は長いこと病に臥せっておられると聞いたが」

「ええ……そうです」

「信じられんよ、若い頃から壮健で、私などよりはるかに丈夫に見えたのだが」

「確かに……たくましい父でした」

「うむ、若い頃から男手ひとつでお前を育てていたのだからな。時には厳しくなりすぎることもあっただろう……。」

「厳しい……。」モーリスは目を細め、ドレフュスの後ろの部屋の奥を見た。まるでそこに昔日の親子の姿を見ているようだった。「ええ、とても厳しい父でした……。」

「……フィリップ?」

「私を立派な貴族にするため、いつも父上は私の行動を見張っていました。まるで……壁に目や耳があるように……。」

「うむ……教育熱心な方だったのだな」

「学校に入学した時も、父上がよく私が勉強している様子を見に来ていましたよ……。気づいたら教室の外の廊下にいたり……。」

「ほう……そこまで……。」

「寄宿学校に通うことになった時もそうでした……。父は寮にまで私を見に来ていました……。」

 ドレフュスは訝しげにモーリスを見る。「……そうなのか?」

「ええ、そして……役人になってからも、父上は私の前に……。」

 モーリスの顔は蒼白していた。恐ろしいものを見るように目は見開き、テーブルの上の手が小さく震えていた。

 ありえないことだった。ドレフュスは、縁故で刑部に配属されたモーリスの事を新人の頃から知っている。彼の父のエミールは、一度たりとも息子の働きぶりを見学になど来なかった。ドレフュスは何も言えずに、生唾を飲んでモーリスを見ていた。

 すると突然モーリスが驚いたように振り返り、椅子から立ち上がった。

「……どうしたフィリップ?」

「申し訳ありませんドレフュス殿。父上が呼んでいますので……。」

 そう言ってモーリスは部屋の奥へ消えていった。

 ドレフュスは眉間に皺を寄せ困惑する。エミールの声など自分にはまったく聞こえなかった。それともふたりきりの生活の中で、モーリスは父の微かな声が聞き取れるようになったとでも言うのだろうか。

 不審に思ったドレフュスは、モーリスが消えていった部屋の奥へとつけて行った。

「……フィリップ……フィリップ?」

 ドレフュスは灯りのない中、暗い室内を手探りで進んでいった。真っ暗でほとんど見えなかったが、僅かに灯りが漏れている部屋があった。あそこにエミールがいるのだろうか、先ほどモーリスが父に呼ばれたと言っていたので、もしかしたら目を覚ましたのかもしれない。だとしたら後輩として、また職場で子息を預かる身として挨拶をするべきだろう。ドレフュスは灯りが漏れている部屋の扉を開けた。だが部屋の扉を開けるとともに、ドレフュスは異様な臭いを嗅ぎとった。それは刑部で任を負うものならば、一度は洗礼として嗅がなければならない、不吉な出来事を予感させる臭いだった。その臭いが、オフだった彼の顔つきを、一転して刑部部長のものにする。

 用心深く、慎重に部屋に入るドレフュス。部屋の中央には、天蓋カーテンの垂れ下がる大きなベッドがあった。そして、ベッドには誰かが寝ているようだった。

「エミール……殿?」

 ベッドに近づき、カーテンの間からゆっくりとベッドで横たわる人間をのぞくドレフュスだったが、すぐに息を飲んでベッドから素早く後ずさった。

「こ……これはっ」

 荒げた呼吸と声が漏れでないよう、口を手で覆うドレフュスだったが、すぐに口からは苦悶の絶叫が飛び出た。

「ぐ、ぐぁああああああ!」

 脇腹に鋭く禍々しい、生命の緊急事態を知らせる激痛が走った。

 ドレフュスが激痛の走る脇腹を見ると、そこには自分の脇腹にナイフを刺すモーリスの姿があった。

「お、お前! 一体何をっ!」

 モーリスは脇腹にナイフを刺したまま足を掛けドレフュスを押し倒した。

「ぐぁ!」

 モーリスは目を剥いて人差し指を口に当て、聞き分けのない子どもを黙らせるように言う。「シィーッ! シィーーーーッ!」

「な、何をするんだ!」

「静かにっ。父上が起きてしまいますっ。のにっ」

「……お前!?」

 モーリスはドレフュスに覆いかぶさりナイフを抜くと、今度はドレフュスの胸にナイフを突きつけた。ドレフュスは両手で刃を握り、押し返そうと必死に抵抗する。ドレフュスの手の平からは、おびただしい量の血が溢れていた。

「やめろ……やめろ……。」

 モーリスを睨みつけ、まだ話が通じる相手であることを願いながら諌めるようにドレフュスが言う。だが抵抗むなしく、体重を乗せて力を込められたナイフは、両者の力の拮抗で細かく震えながら、ゆっくりとドレフュスの胸に刺さり、ゆっくりと肋骨の間を通り抜け、そして心臓に到達しようとしていた。

「やめろ……やめろ……。」

 モーリスはドレフュスの顔に口を近づける。「シーッ……シーーーーーッ……シーーーーーーッ」

「やめろ……やめ……。」

「シィーーーーーーーーーーーー……。」

 刃は心臓まで到達し、ドレフュスは目を見開いて何かを訴えるような表情のまま息絶えた。

 ドレフュスの顔を見ながら、モーリスは静かに呟いた。「大丈夫ですよ……父上。何も問題はありません……。」


 翌朝、クロウ襲撃の失敗の報を使い鳩から受け取ったモーリスは、単身ジュナタルへと向かった。既に自分が全てを失いつつある事を、心の片隅では理解しているモーリスだった。だが、倒錯した彼の心象風景においては、マテルとクロウを始末さえすれば、全てが解決に向かうものだという希望があった。

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