ビフォア・ファントム㉜侵入
その夜、カールスは街へ寄り合いのために出かけていった。バリーによれば、どうやら娼館の組合があって、主人たちが情報交換はじめ娼婦の待遇や料金設定といった談合の場を設けているらしい。特に情報交換に関しては、彼らの仕事は事実上非合法であるがゆえに、常に役人の動きに気を配る必要があったので必要不可欠であった。刑部の責任者が変わったならば、すぐに賄賂を用意し女をあてがい持ちつ持たれつの関係を作り出さなければならなかったからだ。
クロウはそれとなくバリーにカールスの帰宅時間を確認し、店を開ける前の、娼婦たちが慌ただしくなって自分のことに手一杯になっている時間帯を狙ってシーナとカールスの部屋に忍び込んだ。
カールスの部屋には窓はあったものの、灯りがなければほぼ真っ暗だった。しかしクロウは夜目が効くので、ランプに火を灯すこともなく机の陰へ身を隠した。換気が悪異室内は、暗闇の中に色情魔で絶倫のカールスの体臭を色濃く残し、留守を確認しているというのに二人は部屋のそこかしこに男の気配を感じなければならないほどだった。
「やっぱりヤバイってっ」
シーナが小声だが焦りながら言う。
「大丈夫だよ。みんな開店の準備で他のコのことなんかにかまってられないから」
クロウはふと、机の後ろに飾られている刀を見た。彼女のかたみは、カールスがいつか売ろうと画策していたものの、クロウの時と同じように道具屋では良い値がつかず、今ではそのままインテリアの一部になっていた。
「どうしたんだよクロウ? 急いでよっ」
「ああ、うん」
クロウはヘアピンをカールスがいつもふんぞり返って座っている机の鍵穴に突っ込んだ。故郷にいた頃、不良とはいえまだガキ大将程度だったディアゴスティーノに習ったピッキングだった。ディアゴスティーノ曰く、ピッキングは丁寧にやるものではなく、時に乱雑に穴をほじくり回して言うことを聞かせるのがコツだという。
うるさい金属を削るような音がする度にシーナがしゃっくりみたいな小さな悲鳴を上げ気が散ったものの、そう時間をかけずに鍵は開錠した。
「どうしてここだと?」
「別に。鍵もかけないとこに置いとくほど無用心じゃあないと思っただけよ。ここになかったら、あとは金庫。でもその時は諦めるわ」
「ヤマ勘かよ……。」
クロウは引き出しの奥にあった帳簿を取り出した。カールスの持ち物というだけで意味深なベタつきが気なったものの、帳簿のページを開くとクロウは小さく勝ち誇って笑った。「ヤマ勘が当たったわよ。……意外と細かいわね。日別、月別、個人別で記載されてるわ」
シーナはそわそわしながら「で?」と訊く。
「個人別で私の売り上げが……どういうこと?」
「なに?」
「あの怪物を取った時の金が入ってないことになってる」
「日付の間違いじゃなくって?」
「あんなことがあった日を忘れるわけないじゃない」
「ねぇ、シーナ。昨日は何人とった?」
「え? 三人だけど……。」
「三人……追加料金は?」
「ないけど?」
「じゃあ一人100ジルで全部だと300。えっと取り分が……。」
計算できないクロウにシーナが口を挟む。「120ジル」
「……でも貴女、取り分が90ジルになってるわよ?」
「何でっ?」
「借金分ってところでマイナスの棒がついてる……。」
「ああ、そっか……。て、ちょっと待ってよ……。」
「どうしたの?」
「アタイら、借金に利子がついてんだよね?」
「……利子?」
「マジかよ……。利子ってのは、元々の借金について回る金魚の糞だよ。しかも成長する厄介な糞さ」
「どうしてそんなことするわけっ?」
シーナが肩をすくめる。「だって、そうしないと貸した側が得しないだろう」
「その……利子がどうかしたの?」
「アタイらがいくら働いても、利子がそれよりも増えてたらいつまでたっても返し終わらないってことだよ」
クロウは今更になって、フェレロのやっていたことがあくどいものだったのだと実感した。
「そんな……。利子って、どうやって確認するわけ?」
「他に、書類とかないの? アタイらの借金の額書いたやつと利息が書かれたやつ」
クロウはさらに帳簿を漁った。奥の方に、紐でくくってある新旧ばらつきのある書類の束が見つかった。
「これかな……。」
「なんてある?」
「私の借金が9000ジル……利子は……10分の1って?」
「……もしかしてそれ、10日につき1割ってことじゃ?」
「なにそれ?」
「簡単に言えば、10日すぎるごとに、アンタの借金が900ジル増えるってことだよ」
「どうしてそんなことになるのっ?」
「声が大きいってっ。ここじゃまずいよ。後でゆっくり計算しよう。アタイの分も読んで覚えといてねっ」
夜が明け店じまいも終わった頃、クロウは相部屋のシーナにカールスの部屋で見た借用書のあらましを書き写した。クロウとシーナはふたりだけの相部屋をあてがわれているので、とりあえずは誰かが入ってくる心配はなく、クロウは自分のベッドの上にその書類の写しを広げた。
ブリキのカップに注いだ出がらしのレモンティーをすすりながらシーナが渋い顔をする。
「思った以上にひどいねこりゃあ……。」
「どういうことになってるわけ?」とクロウが訊ねる。
「アタイらの稼ぎから毎回、借金ってことで毎回ピンはねされてる」
「それはさっき聞いたけど……。」
「ああ。でもね、ピンハネはしてるんだけど、利息分を返すまでにとどめてるんだよ」シーナが眉間に深くしわを寄せながら、ペンで即席の借用書の写しを叩く。「タチが悪いのは、アタイらが借金を全部返せないように、ある程度稼いでいないようにその日の売り上げを誤魔化してることだよ。アンタがオークの客を取った売上の一部が、他のコの売り上げに回されちゃってる。だからアタイらがいくら働いても、利息のせいで借金が返し終わらない、もしくは返し終わるまでの働かされる期間が伸びてるのさ」
「何てこと……。」
「ふざけやがって。あの強欲ジジイとんでもないことしてやがる」
「皆に言わないとっ」
「皆って?」
「そりゃあアリアとかメグとか……。」
「聞いた話だけど、アリアはカールスのジジイに特別扱いを受けてるからね。どう取り入ったかは知らないけれど、あの人、アタイらの側だと思わないほうがいいよ。今回のことをどう知ったのか何て訊かれたら、カールスに告げ口するかも」
「それじゃあアリア以外は……。」
「どうだろうね……。あのオークが来た日、アンタ籤を引いたの覚えてるでしょ」
「ええ……。」
「あの籤、言いたかないけどあの二人が仕組んでた可能性だってある」
クロウはまさかと言いそうになったが、確かにあの時の二人の挙動はおかしかった節がある。もしかしてとは思ったが、その違和感を感じていたのはクロウだけではなかったようだ。
「じゃあどうすれば?」
「ねぇ、アタイだって何もこんな所で一生終えるつもりはないんだよ。前に話したアタイの客知ってるだろ? 法律家志望の」
「ああ、ゴールドバーグって人ね」
「そう。あの人はアタイら娼婦っていうか、女の味方なんだよ。暴力じゃあどうしよもないけど、法律でカールスのやってることが悪いってことが証明できれば、あの人に協力してもらえるよっ」
希望に満ちた目でシーナは言う。だが、クロウは一度だけ会っただけだったが、その男に希望を託すのは心もとなかった。クロウにとって、そのゴールドバーグという男はどこか存在が希薄で、そこまで頼りにできるという確信がなかった。
「今月になってまだ来てないから、そろそろ来る頃なんじゃないかなっ」
「求める者は好機を知るってことかしら」
「アトラディウスだね」と、シーナが得意げに言う。
「私よ」
翌日、娼婦の控室で本を読んでいたクロウに、接客を終えたシーナが冷めやらぬ興奮を抑えながら話しかけてきた。
「クロウ、アタイがさっきとってた客、誰だったか分かる?」
「見当もつかないわね」
「ちょっと……。」
「冗談よ。来たのね、彼が」と、クロウも周りを気にしながら言う。
「そうっ。借用書のこととかいろいろ相談したんだけど、やっぱりカールスがやってることは違法らしくって。だいたい、借金のカタに人を売り買いすること自体いけないらしいんだけど、あの借用書をネタにすればカールスに一泡吹かせられるどころか、アタイらも自由になれるかもって」
「……そう」
「どうしたの?」
「ううん。ところでそのことを話してた時、彼どんな顔してた?」
「顔? 別に、少し戸惑ってたくらいだけど。そりゃあ、こんな
「いいえ、別に大したことじゃないんだけど……。」
胸を躍らせるシーナと違い、クロウには妙な胸騒ぎがあった。そろそろシーナは気づくだろうか、それとも偶然の一致だと思うだろうか。ゴールドバーグという名前が、アトラディウスの戯曲に出てくる世捨て人となった賢者の名前だということに。
そして、娼館に風の噂でゴールドバーグが流行病にかかった、父親に娼館通いを咎められている等と囁かれるようになったのは、それから間もなくの事だった。
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