港のマーケット
翌朝、私はガラにもなく宿の姿見鏡の前でしなを作っていた。間に合せの婦人ものの普段着を着て、少し暑かったがケープで体を隠し、普段の
歩き方を矯正するために、体をややくねらせる様なやり方でしばらく部屋の中を歩き回りその様を確認した。普段の体を振らさない道場で培った歩法だと、見るものが見たら警戒されてしまう。
刀は織物のように布でくるみ、すぐに抜刀できないので念の為に寸鉄を袖に仕込んでおいた。
昼過ぎに港町の市場へと赴いた。昼の買い物客がいなくなった後ではあったが、やはりヘルメス候の膝元では遠方から持ち込まれたものが一番早く、そして安く売られている場所だけあって、他の商店街に比べればかなりの賑わいだった。この王国では一、二を争う程の大きさがあるヘルメス侯国の交易の要には、鮮魚、野菜、肉、他国の織物や食器といった日常に使うものから、魔物の爪や牙、北方の山脈から切り出された、青く光る鉱石といった珍しいものまで揃っていた。
買い物をするていで東方民族をそれとなく探し、ついでにここ数カ月にエルフを見なかったかどうかも聞き込んだ。バカ正直に東方民族に訊くわけにはいかないので、当たり障りのないと思われる人間の雑貨屋などに話しかけるのだが……。
「一ヶ月以上前に、このマーケットで素敵なエルフを見かけたんだけれど、お兄さん何か知らないかしら?」
「エルフかい?そりゃあ知らねぇなぁ」
「そう……。」
あからさまに突っ込んでは訊けないので返答はそっけなく、なしのつぶてだった。
マーケットの中心部まで行き、店構えから古参であることがうかがえる店に入った。そこは骨董品屋で雑貨の他にも古い書物を扱っているようだった。硬い靴だと必要以上に足音のうるさくなってしまう薄い木張りの床を歩いていくと、店の奥では丸眼鏡をかけた高齢の店主がカウンターの前で煙管をふかしながら、売りものなのか古い本を読んでいた。風通しが悪く煙が充満している部屋のせいで、店主はしばしば咳き込んでいる。
私に気づいた店主が上目遣いにメガネをずらして言う。「何かお探しかい?」
「ええ、姉夫婦の結婚記念の贈り物に何か素敵なものがあればと……。」
私は商品棚を見渡した。青銅器も白磁器も立てかけてある古いオークが戦場で使うような大銅鑼も、そのどれもが大きかったり古びていたり、この店にあるのは実用性というよりもコレクター向けのものばかりのようだった。
「おねえさん、アンタぁこの店に入るとはなかなか目利きのようだが気が利かないねぇ。ウチにあるものは自慢の逸品ばかりだがね、結婚記念に贈るような浮いたものは置いちゃいないよ」
「そうなんですか……。」
私は棚にある、小ぶりの玉ねぎのように丸っこく、小さな蓋には鶴の飾りがのっている香炉を手に取った。素材は銅のようだったが深い
「おねえさんお目が高いねぇ、それを手に取るとは。だがそりゃ簡単な贈り物にするには値が張るんだよ」
「残念、せっかく素敵な香炉なのに。これで東方民族が卸しているようなお香を焚けば、きっと夢心地なのでしょうね」
「東方民族ねぇ……。」そう言うと、店主の老人は軽く首を振った。「最近は奴らが増えたよ。珍しいもんが安く手に入るって喜んでるのもいるがね、どうにも奴らは好きになれん。ワシらと商談するときも肝心な時に言葉が分からんととぼけるし、時折自分らの言葉で何か囁きよる。何だか悪巧みしてるように見えちまうよ」
「何だか、怖いですわね」
「もっとも、先の大戦の前はもっと酷かったんだがね。奴らが黒王と繋がってるってぇ噂がたっちまったもんだから、ヘルメス候の逆鱗に触れて締め出されてたんだよ。勇者様の働きかけがなけりゃ今でもここじゃあ奴らを見ることはなかったろうね」
「まぁ……。」
「だが東方民族っても一枚岩じゃないんだし、部族や宗派が違う奴らもいるんだから、極度に嫌う必要もないとは思うんだがね」
「……ここに来るまで何人か見たけれど、この辺には彼らが集まる場所でもあるのかしら?」
「おねえさん、アンタァ奴らのたむろしてる場所にでも行くつもりかい?やめときなよ、アイツ等ときたら言葉うまく話せないくせに、この国の女にやたら色目を使いたがるんだからな」
「いやだぁ、逆よご主人。彼らがいるところを避けようと思ってるの。もっとお買いものしたいけど、彼らのいるところにうっかり迷い込んでしまったら怖いじゃない?」
「そりゃあ懸命だ。まぁ、少なくとも西の廃倉庫に近づかなけりゃあ大丈夫だよ。そこに近づくにつれ、奴らの構える露店が増えるんだ。何かあると思ったほうがいいね」
なるほど、西の廃倉庫か……。
「そういえばひと月ほど前、この辺りにお買い物に来たとき、美しいエルフを見たのだけれど、この界隈の方なのかしら?」
「エルフゥ?いやぁここら辺に来るのは人間ばかりだよ」
二兎も得ようとするのはさすがに欲張り過ぎたか。私はそう、と言って香炉を棚に戻した。
「何言ってんだいアンタ、物覚え悪いんだから。前にべっぴんさんのエルフが買い物に来ただろう?」
すると店の奥にいた店の女将らしき老婆が書物の山から顔を出した。
「え? そうだったか?」
「そうさぁ、古書を探してたようだったけどね。美しすぎて男も女かも分かんなくてねぇ。この人ったら年甲斐もなく鼻の下伸ばしちゃってさっ」
老婆らしく頭に地味な刺繍入りの青い三角巾をかぶり腰は曲がっているものの、その口調ときたらテンポの短いメトロノームのようであり、会話の合間にはいつも「忙しいんだからっ」という言葉を口癖のように挟みそうなくらい
「あ~あれかぁ。しかしお前、ありゃあ一月前じゃなくて半年ほど前の話じゃあないか?」
「そうだったかい? 年寄りからすりゃあ、一か月前も半年前も同じ日さ。アンタにプロポーズ受けたのが一昨日で、息子が巣立ったのが昨日みたいなもんだからねっ」
店主の老人は困ったように笑い、私も愛想笑いで二人のやり取りを聞く。
「あら、じゃあ私の記憶違いかしら? そのエルフがいらしたのは間違いなく半年前なのね?」と、私は女将に言った。
「寒くてこの人が鼻水垂らしながら接客してたから間違いないね。伸ばした鼻の下にカタツムリが通ったみたいな道作ってさっ」
「お前はいちいち余計なんだよぉ」
「なにさ、じゃあ好みの若い女が来る度に“お目が高い”だとかいうのをやめなっ」
店主が私に顔を近づけて小声で言う。「結婚して40年になるが、嫉妬深さが収まるどころか年々酷くなる」
私はこれでもかというくらいの社交辞令たっぷりの笑顔で囁く。「愛されていますのね、羨ましいわ」
店主はその私の笑顔にこそばゆいような顔になり、女将の言った通り鼻の下を伸ばして言う。「あの香炉、女房がいない時なら安くできるんだがね」
「アンタ!」
店主はこういう時ばかり耳が良くなるんだもんな、と呆れ顔で言う。
「ところで、その方は何を探していのかしら?」
「ああ、古文書だよ」
「古文書?」
「そう、古い法術や魔法の本を探しとった。お眼鏡にかなうもんはなかったようだがね」
「……そう」
「そのべっぴんさんのために本棚ひっくり返すもんだから、後片付けが大変で仕方なかったがねっ」
「ワシャあ誠心誠意をもって接客しとるだけだ……。」
私は騒ぐ年寄り夫婦を尻目に店を出た。次来るときにはうまくあの香炉を安く買うことができそうだ。たまにはあざとく女を前に出して買い物するというのも悪くない。あくまで、たまにはだが。
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