ロランからの手紙
私は用心深く言う。「あの時は申し訳なかったよ。ただ事情が変わったんだ。分かるだろう?立て続けに妙なことが起こってる。私なりに心配してるんだ」
「いまさら……。」
「タバサ、この方は自分の身を省みずにイヴ様の安否を案じているのよ。意地を張らずに協力したら?」
しかし、タバサは自分の姉にさえも冷たい目を向ける。「お姉さまが私たちの事に口を挟める立場かしら?」
「タバサ、誤解しないで。ワタクシは……。」
「私をこんなところに追いやるための書類にサインをしたお姉さまが、次はいけ好かない流浪人を連れてくるなんて。どこまで私を追い詰めれば気が済むのでしょうね」
同じ紫色の冷たい瞳だが、姉が妹に気圧されている。それは、まだサマンサの方にはまともであろうという気遣いがあり、タバサの方には自分を傷つけることすらも
「ごめんなさいタバサ。でも分かって。ワタクシはいつも貴女の事だけを案じてるの。ここを貴女に紹介したのだって、ここなら貴女を傷つける者がいないからなのよ。それに、貴女には特別に外出許可が出るようにしてあるでしょう?他の患者と違って、囚人のような扱いを受けてるわけじゃないし」
「患者?お姉さま、やっぱり私を病気だと?」
「決してそう言う意味では……。」
「お願い、帰って。例えそうではなくても、これ以上貴女たちがいると本当に病んでしまいそうだわ」
「タバサ……。」
サマンサは申し訳なさそうに私を見た。私は肩をすくめる。
「ねぇタバサ?せめて、あのお手紙をこの方にお渡ししたらどうかしら?」
「嫌よ」
「でも、あの手紙はこの方宛のものでしょう?だったら――」
「だから気に入らないのよっ」
冷たい瞳に加えて、声まで凍えるように冷たく尖った。
「どうして貴女なんです?」と、タバサが私に訴えるような眼差しを向けて言う。「どうして私ではなく、貴女なんかにあれを……。」
タバサはワンピースの太腿の上の辺りを掴んで声を震わせる。「私のほうが、あの方のことを……。」
「タバサ、貴女の気持ちはとてもよく分かるわ。でも、今はイヴ様の身のことを第一に考えるべきではないかしら?」
しかしタバサは下を向いたまま答えない。
「あれとは?」と私が言う。
サマンサが私よりも妹を気遣いながら言う。「タバサ、良いでしょう?イヴ様もそれを望んでいるはずよ」
だがやはりタバサは答えない。
サマンサは私たち二人を気にしながら机まで行き、引き出しを開けるとそこから封筒を取り出した。
「これを……。」
サマンサは私に封筒を手渡す。上質の紙製の封筒は、蝋で封がしてあったようだがそれは既に開けられていた。封筒の右下には“クロウへ”と文字が書かれている。
「イヴ様が、貴女宛の手紙を妹に託したのです。ですが……。」
サマンサが皆まで言う前に私は察した。封筒には手紙が入っていた。そして手紙の出だしも封筒と同じように“クロウへ”と書かれている。
“親愛なるクロウへ
やはりぼくは君の言うように旅に出ることにするよ。この世界のどこかにあるかもしれない、ぼくを受け入れてくれる場所を探すためにね。気分はとても晴れやかだ。妙だろう?ぼくらは結局何も得ることがなかったというのにね。最初の目的だった、父の信頼を勝ちとることも新しい世界を作ることもできなかったんだ。でも君との旅はぼくに新しい可能性が、道があることを指し示してくれた。何もかも失ったがための身軽さでこの新しい道を旅することにするよ。あれ以上家にいても、父もぼくも不幸になってしまうだけだしね。君があの朝に言ったように、理解できないものはできない。父は変わらないし、ぼくも変わらない。だとしたら距離を置くしかないんだよね。もしこれから出る旅に君がついて来てくれたらと思うこともあったけれど、きっと君はあの晩に言ったように自由を選ぶのだろう。でもそれでいいのだと思う。君には自由が似合うし、何よりぼくも自由に生きる君に惹かれたのだから。それでも、もし叶うならぼくが目指すべき場所を見つけたその時には、是非ともそこで君と再会したい。ぼくの心はあの晩から君に半分持って行かれたままだから、例えいい人と旅先で巡り会えたとしてもどこかで君を想ってしまうと思うんだ。
それじゃあしばらくのお別れだ。でもこれは退場じゃなく、あくまで舞台袖で次の出番を待ってるだけだよ。永遠の別れだなんてぼくは信じないからね。ぼくたちはきっとまた出会うはずさ。あのペンダントがきっと二人を引き合わせる。きっとそうだ。
ロラン”
私は手紙を読み終えると、胸元のペンダントにそっと触れた。本当に、人の心を乱すのが上手い王子様だ。
「貴女、イヴ様とどういう関係だったんでしょうか?」
胸を暖かくしていたのも束の間、タバサの声で冷めてしまった。
「……友人だよ。かけがえのないね」
「嘘、おおかた旅先で人を疑うことを知らないあの方をたぶらかしていたんじゃありませんこと?あわよくば取り入ろうとして」
「タバサ、おやめなさい」サマンサが、冷たいながらも悲哀で濡らした声を出す。
「お姉さまは黙ってて。私たちのことなんて少しも理解しようとしてくれなかったくせに」
「私は聖職者なの。その立場だってあるのだから」
「そうよね、それがお姉さまの本音なのよ。結局、世間体が大事なの。ヘルメス様と変わりないわ」
「お願いタバサ、もうやめて」
「お前さんこそ、彼とはどういう関係だったんだい?」と私が言う。
「……貴女にだって理解できないわ、私たちのことは。誰だって理解できない、崇高な愛があったの」
「……良かったよ」と、私は封筒の角をなぞりながら言う。
「え?」
「彼には愛してくれる女がいたんだ。愛すべき相手も」
タバサから、冷たい気が引いた。
「彼は孤独じゃなかったんだ。それなら良かったよ」と、封筒がロランであるかのように見つめて私は言った。
私たちは沈黙した。それは冷たい沈黙ではなかった。ひとりの男を想う暖かさが、ほんの少し私たちの間を緩衝していた。
「あの……。」タバサが、恐る恐る言う。
「何だい?」
何かを話そうとするが、喉のところに出ようとするたびに彼女は
「なに、日常茶飯事さ」
彼女の体の軸が、いつの間にか私を向いていた。多分、彼女なりの謝罪のつもりなのだろう。
「貴女が良ければ
「でもそれは貴女のものでしょう?私が持ち続ける資格はないわ」
私は封筒を見つめながら、「私はいつだって手ぶらなんだよ。手紙一枚でも懐には重い」と言い、そして彼女を見てから「ロランなら理解してくれるさ」と付け加えた。
タバサが微笑み刺々しい冷たさが表情から消えた。しかしその微笑んだ彼女は、より一層光の中で塵と一緒になって消えてしまいそうなほど儚げになった。
旅立つロランを私は決して止めようとはしなかっただろう。けれど、もし彼女のことを知っていたらあるいはということがあったかもしれない。彼には寄り添うべき人間がいたのだから。
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