コールは終わっていない

 ディアゴスティーノの馬車を見送ってから私はサマンサに言う。「そういえば、一ヶ月前に妹さんに会ったよ」

「まぁ、そうですの……。」

 驚きもあるが、サマンサはやや気まずそうになった。紫色の瞳が私からそれる。

「うん?それで、その時に仕事の依頼を受けたんだが、無下に断ってしまったんだ。もし向こうが構わないなら、話を聞こうと思ってね」

「貴女、先ほどあの方に手を引くように言われたじゃありませんか。こんな目にあってまだ懲りないと仰るんですか?」

「さあてね、“こんな目”と言ったって、私にしてみればまだ可愛いもんさ。もっと悲惨な目にあってきたんだからね」

「そういう問題ではないでしょう?これ以上干渉なさって、貴女に一体何の得があるというのです?」


 私はしばらくサマンサから目を離し考えた。空にはうっすらと雲がかかって、そのベールから降り注ぎ街を照らしている。私がさっきまで同じ街の建物の地下室で拷問を受けていたと思えないくらいに優しかった。私はその光を眺めた後に言う。

「約束したのさ。のレイズにコールすると。もしかしたら私の仕事は終わっていないのかもしれない」

「約束?」

「彼は自分の宿命に抗っていたんだ。そして私の仕事とは、彼の悲願を成就させる手助けだった」

「……もうお金は受け取ったのでしょう?」

「過払い分は働かせてもらう。それが私の流儀だ」

「それに、何の意味があるんです?」

「意味なんてないよ、シスター。無頼の身なれば、生き方にしか拠り所を求めることができないんだ。修道女からすれば理解できないかな?」

 サマンサの怪訝な表情が少し丸みを帯びた。「……いいえ。ワタクシたち神に使える者も俗世の価値観ではなく、信仰によって生きています。パンによってではなく、神の言葉によって。同じとは申しませんが、見えるものよりも感じるものに重きを置く考え方は理解できないこともありませんわ」

「うれしいね、なんだかお前さんとは気が合いそうだよ。果し合いから始まったとは思えないくらいに」

 サマンサは呆れたようにため息をついた後、何かを言おうとしていたがあまり上手く言葉がまとめられず話し始めるのに時間を要した。


「それでその……妹、ダバサの事なんですが、あまりお会いになっても甲斐のある話ができるかどうか……。」

「どういうことだい?」

「……彼女のところまでご案内しましょう」


 サマンサは通りを走る馬車を拾い、御者に「グリーンヒルまで」と命じた。

 それから一時間馬車は走り続け、郊外まで出ると整備された石畳ではなく森を切り開いたような道になり、さらに走るといよいよ馬車は森の中を走り始めた。

「妹さんは山で修行でもしてるのかね?」

「……話すよりも見ていただければ早いでしょう」


 人工林ではなく天然林の不規則な並びの森の中、そのまま迷い込むのではと心配した矢先に、突然森が開け塀で囲まれた建物の正門に突き当たった。中々穏やかな雰囲気ではない。簡単には侵入できないし、何より出ることができない建物だ。正門の上に「グリーンヒル」とだけ刻まれているのは、この建物がこの名前だけで何であるか住民には分かるからだろう。


 馬車から顔を出し、サマンサが小太りの人間の守衛に挨拶をする。

「これはこれは、シスター」

 守衛はそう言って客車をのぞいて中を確認すると、守衛室から門の鍵を取り出して門を開いた。まともな確認をしなかったのは、さすが修道女だけあって信頼されているということか、それとも頻繁に来ているということか。


 建物の前に広がる芝生の中庭では、白い服を着た男女が散歩をしたりをしたりして遊んでいた。それは一見すると長閑なのだが、何か胸がざわつく光景だった。所々に門にいた守衛のような佇まいの男が、彼らの様子に目を光らせていたからだ。それは普通に遊びや散歩に興じている人間を見るものではなかった。事が起こればすぐにでも抑え付け、制圧する準備を整えている目だ。常にというわけではないが、ときおり眼光が白く尖る瞬間がある。


 観葉植物に囲まれた建物の正面に馬車が止まる。二階建てでアーチ状の両開きの窓のある建物は、街にある普通の建物と造り自体は変わらないが、その窓には鉄格子がはめられていた。もう、大体この建物、いや施設が何のためにあるのか予想がつく。

 馬車から降りるとサマンサは御者に礼を言う。御者は落ち着きなく返礼をすると、そそくさと手綱を振るい馬車を門へと走らせた。


 玄関を開くと中は受付になっていた。そこは役所と病院を合わせたような佇まいで、中庭と同じような白い服を着た人間が、椅子に座って何かを読んでいたり車椅子に乗せられ職員がそれを押しているという光景が目に付いた。

 

 サマンサが受付まで行くと、受付の人間も門の前の守衛と同じく彼女と既知であるかのように挨拶を交わした。サマンサはその受付の職員と何かを確認するかのように話すと私の方を振り向き頷いて、受付の横にある階段を上って行った。私は少し遅れてついて行く。踊り場付きのかね折り階段(壁沿いに設置され建物の角に併せて曲がっている階段)を上り二階まで行くと、そこは番号の振られたドアが通路の両方に並ぶフロアになっていて、サマンサは壁際の一番奥まで脇目もふらずにまっすぐ歩き続けた。

 

目当ての部屋らしき扉の前にまで行き、サマンサがノックをする。

「入りますよ?」

 扉を開けると、下着のように白く薄い布地のワンピースを着たタバサがロッキングチェアに座っていた。ベッドとクローゼットと木の机という簡素な部屋で、窓には外から見たのと同じように鉄格子がはまっている。


「姉さん……。」

 タバサは微笑んだが、私を見るとすぐに無表情になった。

「貴女は……。」

「お久しぶり」

 タバサは不快そうに私たちから顔をそらしヤマバトがとまっている窓の外を見た。窓からの光が部屋の埃をキラキラと反射させ布のようになびき、そしてその光のカーテンの真ん中に佇む彼女は不快そうな顔していても中々に神秘的な印象を見るものに与えた。手を差し伸べると儚く消えてしまう美しい幻光ような彼女は、まだ美しかった頃の私の母を思い起こさせた。


「どうしてその方を?」

「貴女に用があるのよ」

「でしょうね」と、タバサは私たちを再び見た。「先月は私の願いをお断りになった貴女が、一体どういう風の吹き回しなのでしょうか?」

「その節はどうも……。あの時はそうでもなかったが、あれ以降気がかりになることが増えてね」

「だから言いましたのに……。」タバサは唇を噛むように言う。

「もし何かご存知なら教えていただきたくてね。これはあくまで私用だから報酬はいらないよ」

「お引き取りください」と、激しくはないがタバサは冷たく言う。その声に驚いたのか、ヤマバトが羽を揺らした。



 あまり刺激してはまずい様子なのが、初めて会う人間にでも良く分かる女性だ。にいるからではなく、元々そういう資質があるようだ。自分の精神の禍に付き合わせて、男も精神にまいらせてしまうタイプの女だ。どうにも、この彼女からは幼い頃にロランと野を駆け回ったという話が想像し難かった。

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