落とし穴
「……二つあると言ったな、もう一つはなんだ?」
「そこが傑作だ。お前さん、報告を受ける前からそのことを知ってたろう?それにさっきお膳立てと彼らに言ってた。元々やることが決まってたんだ。茶番もいいところさ」
「分かってるならいいさ。そのとおり、筋書きはもう決まってる。あくまでこれは裁判所に出すための形式的なもんだ。どっちにしろお前をブチ込むのには変わりない」
「目的は何だね」
「そんなもんあるか。ただお前は歩いてたら穴に落ちただけだ。世の中にはそういうことが往々にしてある。世間の仕組みの盲点の、ぽっかり空いた穴に落ちちまうことがな。運が良けりゃあそこからいくつかの手順と時間をかけて出られることもあるが、お前のような無頼の奴に限って落ちやすい上に這い上がることはまずない。これからお前はまともな手続き一つも無しで劣悪な監獄に収監される。クソ垂れてる最中に男の看守が覗きに来るような場所にな。そこでお前は看守はもちろんのこと、獄長すらもどうしてお前がそこにいるのか知らないまま閉じ込められるんだよ。一生顧みられることなく慰み者になりながら死んで墓すらも建てられない、誰の記憶にも残らん。文字通りのファントムだ」
「お役人さん、ファントムは縛れないんだぜ?」
「言ってろ。いずれお前も泣いてひれ伏すんだ。ここから出してくれってな」ダノンは煙草に火をつけた。「命乞いをしたことは?あるだろう、レンジャーをやっているんだ。死にかける事なんてザラのはず。で、お前みたいないくら無頼ぶった女でも、いざという時ゃあ靴を舐めて股を開くんだ」
「もちろんあるさ、一度や二度じゃない」
「そいつぁ見ものだな」
「あまりオススメしないがね」
「ほう、そりゃどうしてだ?」
「そいつら全員生きちゃいない」
ダノンの表情が変わった。
「ファントムの呪いってやつだよ」
私をしばらく睨んでからダノンは言った。「ふん、いつまで強がっていられるか。お前のような奴は珍しくもなんともない。役人とあれば気に入らずに噛み付いてはねっ返っているだけだ」
「そいつはちと違うね。世界にはね、役人が好かれてる場所だってあるんだよ。残念なことにお前さんはそこじゃあ役人になれんがね」
ダノンは部屋の隅の二人に微笑んでから立ち上がった。私のそばまで来ると、再び微笑んでから顔面に左フックをぶちかます。顔に関しては額にポイントをずらして大事には至らないようにしたが、椅子ごと倒れ石畳で無防備に後頭部を打って鼻から火花が飛び出そうになった。
「形式的なものだと言ったのは、たんにお前を暇つぶしに痛ぶりたかっただけだったからだ。だが残念だったな、二・三質問して送り出すつもりだったが気が変わった。監獄に送る前に人相じゃあ確認できないようにしてやる」
私は仰向けになった状態で言う。「私を捕らえるように指示したのは誰だ?お前さんの独断じゃあるまい」
「さっきも言ったろう?お前にはそんなものは必要ない。何を聞こうが話そうが筋書きに変わりはないと」
私は笑った。もっとも仰向けだったし殴られたあとだったので、虚勢まるだしの声だったのだが。「そうかすまなかったね。お前さんみたいな木っ端役人は自分が誰からどういう意図で動かされているのか知るわけないものな」
ダノンは腰からブラック・ジャックを取り出し私の口に押し付けた。
「その歯は自前か?叩き折っておけば後が楽かもな。何せこれから毎日口でするんだ」
「……これはヘルメス侯の指示だろう?」
ダノンのブラック・ジャックを押し当てる力が弱まった。
「なるほど、領主様のやることなら法をいくらでも好きにできる。大きな力をちらつかせたのが間違いだね。自分から察してくれって言ってるようなもんだよ。お前さんは駆け引きってのが下手だ。バーで口説いたことがないんじゃないか?役人だの名家だので群がってきた女つまんできただけだろう」
ダノンは私の胸にブラック・ジャックを突き立てた。私の胸から空気が激しく溢れ、唾と一緒に吹き出す。
「じゃあお前はどうなんだ?ああん?これが計算のうちというのか?この状態でそれ以上強がれるか?」
「私の計算間違えを起こしたかったら、とっとと監獄に連れて行くべきだよ。あまりモタモタしているといい結果にならないと思うね」
「その手に乗るか。おいお前ら、何ぼおっと突っ立ってる?道具もってこい」
バンクスとロバートの二人は部屋を出ていった。
ダノンは私を見下して言う。「報告書にはこう書いとく。“容疑者は反抗的な態度だったので致し方なく”とな」
腰を折ってダノンは黄色く黄ばんだ歯を剥き出して笑う。「これでもまだ計算の内か?」
「ちょいとズレたかもしれないね」
しばらくするとバンクスが木箱とバケツを持ってきた。箱の重量感と中で金属がぶつかり合う音がすることから大工道具だろう。もちろんこれから呑気にこの机の整備をするはずがない。ダノンは得意げに金鎚ややっとこ、錐を机に並べていく。
バンクスが倒れたままだった私を椅子ごと起き上がらせて言う。「お前が悪いんだぞ。もっとしおらしくしていれば、数発殴られてあとは監獄行きの馬車が来るまで牢屋に入っているってのも出来たんだ」
「女を犯す時みたいな台詞はやめてくれ。黙っていれば云々というのはやられる側にとっては何の慰めにもならないんだよ」
「おい、バンクス黙ってろ。今更この女に情でもかけるのか」
「……失礼しました部長」
「正直……。」血で錆び付いた大工道具を見ながら私は言う。「ぶるってない、というと嘘になる。計算違いもあるのかもしれない。なあ、すまないが別の方法で取り繕うことはできないかね?」
「今さら何を言ってる。お前のような小汚い女、娼館に行けばひと山いくらで買えると思ってる?筋書きを書き加えるのは俺だ。哀れな役者だと今さら気付いてももう遅いんだよ」
「しかしまぁ、女の悲鳴を聞くってのもあんまり寝覚めが良くならんぜ?」
「気にするな、女の悲鳴を聞くのは初めてじゃあない」
私はまいったね、とバンクスを見た。
「おい、やれ」
バンクスが私の後ろに周った。てっきり首に何かを回すと思いきや、バンクスは私の顔面をびっしょりと濡れたタオルで覆って固めた。息をちょうど吐いた時にやられたので、私は激しい呼吸困難に陥った。暴れて抵抗するが、呼吸ができないために直ぐに力を失っていく。窒息死するギリギリのところでタオルをどけ私の顔を開放し、私が呼吸を整えようとすると再度タオルで顔を覆う。それを数回繰り返されて、私は全力で走り続けたように息切れを起こしヘタってしまった。
私が息も絶え絶えになった頃、縄を解いてようやくバンクスが解放してくれた。その隙を見計らって私はバンクスが机に体を押さえつけて上司が拷問しやすくする前に床に倒れこみ、体を亀のように丸めて必死に抵抗する。
「おい、お前、さっきまでの威勢はどうしたっ。ガキみたいな真似はやめろっ!」
バンクスは私のなりふり構わない醜態よりも、上司を気にしながら必死に背中に棍棒を打ち付けてくる。流石に背中といえどダメージは深刻で、いよいよ私の体から力は抜け、立ち上がらされて机の上にうつ伏せに組み伏せられた。
「中々面白いじゃないか。次は何だ、ケツを振って誘いでもするか?」と、ダノンが言う。
「……お望みとあれば」
ダノンはバンクスを見て大笑いをする。周囲の人間に腐った玉ねぎの口臭を振りまかんばかりの不快な笑い方だ。
「そうかそうか、とうとう折れたか。いやぁその様が見たかった。じゃあ次に哀願だな。今から数分の間に俺が満足するような言葉を必死こいて絞り出してみろ。気が変わって指の一本へし折る程度で済むかもしれん」
悦に浸っていたダノンだったが、その笑みが鉄扉の開放とともに素に戻った。
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