別れの挨拶

 たった数刻いただけだったが私たち、特にロランは惜しまれるように店を後にした。


「随分と世慣れしたじゃあないか。見直したよ」

「そうかい? 君にそう言ってもらえると嬉しいな」

 酔い醒ましのため夜の街をあてもなく歩いていると、私たちは窓すらもはめられていないような空家が並ぶ、少し寂れた建物が並ぶ通りに差し掛かった。この居住区は、戦後に多くの建物が建てられ、戦後復興の象徴として多くの人間が移り住んだ場所だ。レンガ造りの建物と街は、藁葺き屋根の下で生きてきた彼らにとっては慣れるのが難しく、やがて慣れない生活で荒廃し、ある者は故郷の村に戻りある者は家賃を払えずに追い払われた。無人の家屋でも管理者が侵入を許さず、結果貧しい人々は建物の外で寝泊りをしなければならない有様になっていた。大木槌でどついてもビクともしない頑丈な建物に、女の拳で小突いただけで砕けてしましいそうな物乞いが横たわる。ラクタリスとは違う戦後の歪みだ。


 ロランが突然立ち止まった。建物の影を見つめている。

「どうした?」

 視線の先には、倒れている子供の懐から何かを抜き取ろうとしている物乞いの姿があった。

「おいっ、何をしているんだ!」

 ロランが駆け寄ると、物乞いの男は逃げ出した。物乞いを追い払った後、ロランは倒れている子供をの様子を確認したまま動かなくなっていた。


 私が近づくとロランが言った。「……死んでる」

 倒れている子供は、酒瓶を抱きかかえたまま冷たくなっていた。

「どうして酒瓶を……。お使いの途中だったのかな」

「……自分で飲んだんだろう」

「そんな、子供だよ?」

 私も子供の前で腰をかがめた。

「宿無しの子供だ。彼らはこうやってくすねた酒を飲んで、嫌なことを忘れて眠りにつくんだ。寒さ、飢え、略奪者、自分の境遇、嫌なこと全てを忘れてね。そして……あわよくばそのまま永遠の眠りについちまおうってことさ」

「子供……なのに」

「子供だからって世界が優しくあると思ってるのかね? この旅で見てきたろう、世界は無慈悲に求めるばかりだ」


 私は腰を上げた。「さあ行こう。ここから先は役人の仕事だ」

「どうするんだい?」

「まあ、適当なところで処分するだろう。焼いたり埋めたりとね」

 ロランは冷たい子供を抱きかかえた。

「ロラン」

「近くに……教会がある」 

「おいおい……。」

「せめて……最後は暖かいところで、祝福されて逝くべきじゃないかな。大丈夫、領地の神官たちはぼくのことを知ってるから……。」


 ロランは子供の遺体を抱えて最寄りの教会に向かった。夜だったが彼が裏口をノックすると修道士が小窓から顔を出し、ロランを見るなり「イヴ様……。」と扉を開いた。

「いかがなさいました? こんな夜遅く」

「この子のために……葬儀を上げてくれないか。簡単なものでいいんだ」

 怪訝な表情で修道士が言う。「お知り合いですか?」

「……いいや。ダメかな?」

 修道士は、そんなことはございませんが……と困ってはいたが、流石に神に使える者が死人をぞんざいに扱えるわけがなく、少年を引き取り明日の朝に死者を送る儀式を行うことをロランに約束した。


「……呆れてる?」

 教会の門を抜けてからロランが言う。

「いや、お前さんらしいよ」

「無駄だな事だとは言わないんだね」

「お前さんの言うように、誰しも人生で一度は祝福されるべきだよ。こんな世の中だったとしても、そうあるべきだ。そうでないことが多いとしても、ね」

「……ねぇクロウ、もし色んな可能性の世界があるとして、そこではあの子が両親の愛に包まれながら暖かい寝床で安らかに眠っている、そんなことがあると思う?」

「天国の話をしてるのかな?」

「う~ん、少し違うかな……。些細なきっかけで今はこうあるだけで、本当はもっと良い世界があって、そこではみんな……あの子やラクタリスの子供たちも幸せに暮らせているとかさ」

「あまり甲斐のない話だな」

「そう……かな?」

「仮に別の世界があって、そしてそこであの子たちが幸せだったとして、それでこの世界の奴らがほんの少しでも慰められるとでも? もしそうであったとしても、あの子の魂が屋根のない夜空の下で打ち捨てられた事実は変わらない。他なんて有り得ない。生まれてしまった以上、私たちはこのせいを生きるだけだよ。だからこそ、人は祈るんじゃないのか」

 私はロランを見た。ロランは思ったより意外そうな顔をしていた。

「どうした?」

「……いや」夜の闇に染まった顔でロランは言う。「すごいね、君は。前から聞こうと思ってたんだけど、どうしてそんなに君は強いんだい?」

「私が強いわけじゃない。今の世の中、余裕をなくした奴が多いだけだ」

 ロランは微笑んだ。たまに見せる、彼独特の哀しい笑顔だった。


 いつの間にか私たちはヘルメス侯の屋敷のそばまで歩いて来ていた。

「じゃあ……。」私は言った。「これでお別れだ。仕事の取り分はディエゴに渡しといてくれ。後で必要な分を貰いに行く」

「ああ……。ねぇクロウ」

「何だい?」

 ロランはうつむき加減に言う。「これからも、ぼくの戦いは続いていくと思うんだ。父や……この世界とのね……。そして、そのためには剣が必要だ。信頼できる部下というか、友というか……その、恋人と──」

 ロランが顔を上げた。私はその顔にそっと口づけをする。

「ロラン、これでお別れだ。ファントムは縛れないんだよ。それに物覚えが悪いぞ、フェルプールの女は追いかけちゃあいけないって教えたろう?」

「ああ……そうだね」ロランは口づけを交わした唇を指でなぞって言う。

「世界は広い、居場所だってどこかにあるはずだ。大丈夫、お前さんならやれる」

「……ありがとう」

「じゃあな」

 私は踵を返し、彼の前から去った。


「ああ、そうそう。お前さん、いいだったよ。私が保証する」と、私は振り返って言った。

「ありがとう、嬉しいよっ。ねぇクロウっ」

「なんだい?」

「このペンダント、取っておくよ。君との思い出だからっ」

「まぁ嬉しい。私もそうするわ、ダーリン」

 私も彼も、笑顔で応えあった。


 初夏の夜の月の下を歩きながら、私は一角の男とのちょっとした賑やかな思い出ができたことに満足し、ホビットたちの格言を思い出していた。

『良き別れは、出会いと同じくらいに価値がある』

 旅好きの彼らは、旅に関してはいつもいい言葉を持っている。出会い以上にこの別れも、彼との思い出をより美しくするものだった。そう、美しいはずだった。

 私と彼との物語が、ここで終わってさえいれば。


 人生では往々にして軽く交わしたはずの挨拶がそのまま永遠の別れになってしまうという事が多々にある。そういう場合、交わした言葉軽ければ軽いほど、別れは重くなってしまう。例えば、私があの晩に、イヴ・ヘルメスと言葉を交わしたのが最後になってしまったように。

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