古戦場から来た男

「私が思うより、優秀な戦士らしいな……。」ヘルメス侯は椅子の上で頬杖をつきながら言い、「……ウォレスを呼べ。お前ら戦場を知らん青二才では話にならん」と、やはり一瞥もくれずカルヴァンたちに命じる。

 既に呼吸を整えて立ち上がっていたカルヴァンは悔しそうに下唇を噛み締めていたが、主人に逆らうことなどはできず、すぐに部屋を出ていった。少しよろめいてはいたが。


「父上……。」“ウォレス”の名を聞いたロランが困惑して言う。

「異論はあるまい。ただこの役たたず共に仕事を与えていた私の手落ちが証明されただけの話だ」

 「手落ち」と言っておきながら、自分の非を認める言葉では一切ない。むしろ、限りなく冷淡に彼らを突き放したものだ。

「どうやら演芸場に迷い込んだようで。次はどんなコメディアンがご登場なのでしょうか?」そして私はどうやらこのエルフが気に入らないらしい。

「……貴様、その口の利き方でどれほどのものを失ってきた? はねっ返りの小娘が生き延びられるほど、この世界は緩くはないぞ」

「三人の“役立たず”を倒せるほどには役に立っています、サー」

 ヘルメス侯も気に入らないように鼻笑いをした。


 扉が開く音がすると、そこから先ほど中庭で挨拶を交わした感じのいい庭師の老人が入ってきた。その後ろにカルヴァンがうつむき加減でついてきている。貴族の服を着ている他のエルフたちと違い、裸の上半身に作業用の汚れてほつれたオーバーオールを着ている彼は、この部屋に入るとより一層階級が違うことが浮きだった。老人は私たちに気づいたが、それよりもまず主人のヘルメス侯の前に歩み出て跪く。


「お呼びでしょうか、ヘルメス様」

「うむ……恐らくお前らも聞き及んでいるだろう、イヴがディオール様を連れ戻した。つまり試練は達成したのだが、それに異を唱えるものがいてな。だがその肝心の当事者が無能ときた……。」

 ヘルメス侯がそう言うと、カルヴァンは悲壮な顔で主人を見た。例え先ほどまでこちらに牙を向いていたとはいえ、捨てられた犬っころを見るのは忍びない。

「そこでお前の目利きが必要になってな、頼まれてくれるな? “戦場を闊歩かっぽする陣鐘じんがね”、錆び付いるわけではあるまい」

 エルフというのは仰々しい二つ名通り名がお好みだ、一体一々誰が考えているのだろうか。もっとすっきり、“角刈り”だとか“刺さりそうな白ヒゲ”とかにすればいいのに。


 ウォレスは少し困ったように眉を釣り上げたが「ヘルメス様がそう仰せられるのであれば……。」と言って立ち上がり、ロランを見て「よろしいですな? イヴ様?」と確認をした。

 ロランは心配そうに私を見たが、私たちに他に選択肢などあろうはずもない。

……。」

「大丈夫だ、毎回聞かせるな……。」ロランがてっきり殺さないように注意するのかと思ったが……。

「危険を感じたら、すぐに降参するように……」


 カチンときた。


 しかし私の技量を知りながら、なおもその言葉が出るということは、この老人が相当な手練だということでもある。


「改めて名乗らせていただきます。不肖ウィリアム・ウォレス、ヘルメス家に先代より使えております庭師でございます。貴女は確か……。」

「キャットイヤー・ライリーだ」

 ウォレスはほんの少し眉間を釣り上げてから真顔に戻り、丁寧なお辞儀をすると部屋に飾ってある甲冑のところへ行き、その甲冑が手にしている鞘から剣を抜き出して来た。

「……装飾用の剣とお見受けするが?」

 刃は落とされて、ただの鉄の板に過ぎない代物のはずだ。

「戦場において……。」そう言うと、ウォレスは体に慣らすようにその剣を振り回して私を見た。「都合良き武器が、都合良き時に、都合良き場所に落ちているとでも?」

「失礼をした」


 赤く暗い部屋の中央、私の前に歩み出たウォレスはオーバーオールのサスペンダーの内側から両腕を通し、上半身をさらけ出した。柔和そうな外見の中身は一肌脱ぐと、一体どうやって鍛えたのか、その筋肉は肩や腕といったパーツの繋がりではなく、幾重にも重ね合わせねじられた頑丈な繊維のようにいびつなものだった。その上、右肩だけが盛り上がっていたりと左右のバランスも悪そうで、背骨だって曲がっていそうだ。さっきまで珍しい禿げだと思っていた頭は、近づいて来ると実は頭部で交差する刀傷だということも分かった。“庭師”が聞いて笑わせる。庭をいじるにも炊事場に立つにも不便そうなその体は、しかし戦場では最も機能的に動きそうな、まさに料理にも剪定せんていにも裁縫にも使えない、ただ人を斬るときにのみにその真価を発揮する武骨な刀剣そのものだ。戦場に一、二回顔を出した程度を売り物にしている、そこらの小悪党のケチな用心棒とは次元が違う。


「どうやら芝刈りは苦手のようで」

 私がそう言うと、ウォレスはヒゲを歪めて笑った。だが目は全く笑っていない。それどころか、鞘から抜きたての剣のように光っている。


 一歩ずつ、ウォレスが絨毯を踏みしめ近づいて来る。しかしそれは庭師のサンダルの足音ではなかった。進軍する軍靴ぐんかのそれであり、ウォレスは前進するだけで、周囲の空間を兵士たちの怒号や悲鳴、剣と剣がぶつかる音と土煙にのった血の匂いがする、彼が記憶し背負ってきた古い戦場に変貌させていた。

 闊歩する陣鐘、異名に偽りなしか……。ロランの言うように、手加減している場合じゃない。下手な手加減は霊廟の尼さんの時よりも深刻な結果になる。


 ウォレスが足を止めた。「まるで……抜き身の刀剣ですな。殺気を一切隠そうともしない。これ以上近づけば、皮膚が切り刻まれそうなほどに……。」

 私は口だけを歪めた笑顔で応えた。

「騎士道精神のある者が、女と戦うのは気が引けるのでは?」

「ご心配には及びませぬ」そう言ってウォレスは肩の古傷を見た。「この傷、まだ戦場に慣れぬ若造だった頃、若いオークの女に情けをかけようとして受けた傷です。それ以来、女子供でも剣を取って我が前に立ちはだかる者に容赦はいたしません」

「それはそれは」

「貴女こそ、敬老精神をぶら下げていると足元をすくわれますぞ?」

「ご心配なく、私の貞操を奪ったは貴方のような老人でしたから」私は“貞操”と言う際に親指で首を掻っ切る動作をした。

「それは、それは」


 向き合う私たち。


「いつ始めますか?」

「もう始まっていますよ、お嬢さ──」

 ウォレスが笑顔をつくるために筋肉を弛緩させた瞬間、その一瞬に私は上段を打ち込んだ。ウォレスは剣でそれを受ける。


 刀は押し込まない。“届かない”、そう体が感じるよりも速く理解したら手首を返し、剣の軽さの利を活かして右の切り上げを放つ。しかしそれも体に届く前にウォレスに受け止められる。

 ウォレスが受けながら近づいてくるので、彼の背後に回るように配置をとっての横薙ぎ。死角からの攻撃なのに、それでもウォレスは背面に剣を立て受け止める。

 片腕を器用に回し、その受けた状態から即座にウォレスが反撃に来る。私は彼の上段を刀を斜めに構えて流そうとするが、流れている途中でウォレスの剣が止まった。

 振り下ろすと思われた剣は刀の真ん中で止まり、突きに軌道を変えて受けている私の体を貫こうとする。肩の肉をかすめドレスを引き裂かれながらも、私は何とか体軸を半身にずらしその突きを躱した。刃が落とされていなければ出血していただろう。その半身の体制から、私は横薙ぎと切り上げを連続して同じ方向から叩き込んだが、それもウォレスには受け止められてしまった。

 

 再度のウォレスの上段。それを私が受けつばぜり合いになる。ウォレスは交差した刀を押さえつけ、剣の切っ先の向きを変え、ねじ込むように私の手首を攻撃してきた。私は敢えて背中を向けるように体を回して立ち位置を変え、優位なポジションから反撃に転じようとするが、さすがに2度目は通用せずにウォレスのショルダータックルを近距離からくらい吹っ飛ばされてしまった。


 距離を置いて私たちは構えなおした。

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