第1部 姿なき墓標

第0話①

 その世界では人間とエルフの連合軍と魔族の軍勢が何百年にも及び戦い続けていた。その中では多くの英雄譚えいゆうたんが生まれ、また悲劇が繰り返された。

 終わりが見えない戦争に終止符を打つため、人間とエルフの魔導士たちは魔力の粋を結集し異世界より転生者を呼び寄せた。転生者は異世界の知識とスキルを駆使し、小さく長い戦争を大きく短い戦争に作り変えた。

 彼の作り出した戦場では、英雄譚も悲劇も無くただ冷淡な統計上の死が処理された。天からは血の雨が降り、雨上がりの大地からは金のなる木が生え、そして血の雨と金の木はその国に住まう者たちに新しい価値観と思想と与えた。

 戦争が終わってから間もなく転生者は姿を消したが、彼がもたらした多くの新しい幸福と新しい不幸は残り続けたという。


 そして戦争から三〇年経ったある日、転生者を呼び寄せた賢者の一人が失踪した。


             ―――――――――


 その宿場町の入口には、奇妙な案山子かかしが立っていた。案山子だというのにカラス達からは評判がよく、彼らはその頭上に留まっては目の周囲をつつき腹ごしらえをしていた。その案山子に保安官の制服のボロが着せられているのは、すでにこの町では法が失われている事を意味していた。肌寒い初冬のおかげで悪臭がしないというのがせめてもの救いだったといえる。

 町の中心部では一組の男女が正座させられ、彼らを三十名弱の男たちが取り囲んでいた。そして建物の窓からは、祈るように住人達が事の成り行きを見守っていた。


「なぁエマ、ワシは眼医者に行った方が良いのか?」

 その男は、耳が尖っていなければエルフだとは誰も思わない容姿だった。酒を煽るように飲み、脂に舌鼓したづつみを打ち、蓄財の愉悦に心を奪われたその男は、神に最も近い種族と謳われた美しさ高貴さなど微塵も持ち合わせてはいなかった。

「上納金が用意できなかったなら、代わりに女を二十人と言ってあったろう? それがどうだい? ワシの目には金も女も見当たらん」

「ポール、分かってて言ってんだろう? こんな町で20000ジルの大金なんて、すぐに用意できるわけがないじゃないのさっ」

 エルフ・ポールの前にひざまづかされている女・エマは、臆することなくポールを睨んだ。歳は三十半ばといったくらいだが、肝が座っているようでこの状況においても彼女は気丈な態度を崩そうとしない。エマは一介の宿屋の若女将であり、別段この町の代表者というわけではなかった。しかし、そういった彼女の気質が保安官のいなくなった今、自ずと町の人間によって頼られていたのである。


「じゃあ女はどうした? それくらいの人数はいたはずだが?」

「大人はほとんどアンタらが連れて行ったじゃないか。残ってんのは子供だけだよっ」

「構わんさ。子供は子供で、そいういう趣味の奴らに売りつけりゃいい。男女関係なくな」

「ゲス野郎!」


 ポールは緩慢かんまんな動きで顔をエマに近づけた。

「それとも、お前が全員分の相手をするか? もっとも、そうなれば一年後にはボロ雑巾になってるかもしれなんがな」

 エマはポールの顔に唾を吐いた。

「威勢がいいねぇ」と、ポールは立ち上がり懐からハンカチを取り出して唾を拭った。

 ポールが手下に目配せをする。手下はナイフを取り出しエマの顎の下にそれをあてがった。


「ワシもな、せっかくの商品を傷物にするのは嫌なんだが、躾のためならば仕方ない」

「勝手に商品にするんじゃないよ。ここの宿場町の権利を買ったくらいでアタシらを買ったつもりに――」

 ナイフがさらに押し当てられエマは口をつぐんだ。

「キャンキャン吠えるな。耳障りだ」

「やんのかい? やるがいいさ。別にうちは娼館じゃないんだ。顔に傷があったところで客が逃げるわけでもない。そんな腰抜けがいたとしたらこっちからお断りだ」

「そうか。覚悟は出来てるってわけだ……だがな、お前はそうでもこっちはどうかな?」

 再度ポールが目配せをすると、手下は次にエマの隣にいる男にナイフをあてがった。

「レックスっ」

 レックスという男の顔は、エマと違い恐怖に歪んでいた。

「病気持ちで働けないのだろう? 商品でもなんでもない。顔を剥げ」

「ちょっと待ってくれよ。レックスは関係ないだろう?」

 気丈に振舞っていたエマの顔が、初めて恐怖の色に染まった。

「関係ないことあるか、この町の人間ってだけで同罪だ」

「や、やめろ!」

「やめろだ?モノの頼み方を間違っていないか?」

「あ、う……。」

「心配しないでくれエマ、僕は大丈……」

 男の顎から多めの血が流れてきていた。


 宿屋の二階からは、エマが雇っている従業員たちがその様子をかたずを飲んで見守っていた。

 従業員の男の一人が、後輩の女に焦って言う。「おい、例の奴はまだ来ないのか?」

「それが……寝坊したから少し遅れるって使いの人が……。」

「寝坊!?」

「その分、後払いの報酬から差っ引いてくれって……。」

「状況分かってるのかよ!?」


「ワシがもう一つ許せんのは、お前らが用心棒を雇っているという話を耳にしたからだ」

 ポールの言葉にエマがピクリと反応する。

「用心棒? 何の話だい?」

「おいおいおい、とぼけるのはよさないか。お前らはワシの庇護ひごの下で商売しておきながら、都合が悪くなった途端に恩を仇で返すような真似をしくさったんだ。用済みとなれば刃を向けるとは、随分と酷いじゃあないか。」

「アンタたちの庇護? 冗談じゃない。この宿場町はね、アタシらの先代から生活できる程度にはやっていけてたんだ。それをアンタが金に物言わせてここを買い取ったんじゃないか。ならず者を呼び寄せて、女たちに身売りさせるような真似しやがって」

「新規開拓と言ってくれ、時代は変わったんだぞ。勇者様も仰っておられたろう? 金を稼いだのは人を幸福にした証だってな。多少のはあったが、多くの男たちが満足していったはずだ。それで、肝心の用心棒はどこにいるってんだ? おおかた金を持ち逃げされたってところだろ、馬鹿な奴らだ」

 エマは下唇を噛んでうつむいた。

「よく聞け恩知らずのお前たち! 今後ワシに逆らうとどうなるか! 保安官だけじゃ分からないってなら仕方ない、こいつらの末路を見届けろ!」ポールは周囲を見渡してから叫び、そしてエマに告げた。「祈りでも捧げろ。とな」

 ポールがやれ、と命令する直前に手下の一人が「スミスさん……」と声をかけた。

「なんだ? 大事なところだぞ?」

「あれ……。」と手下が指を指した。


 その先には、人影が歩いてきているのが見て取れた。

 ボロボロの外套まんとに身を包んだその影は、はりつけにされた保安官の横を臆面もなく通り過ぎ、彼らのもとへまっすぐに歩いてくる。ポールが顎でしゃくると、手下の一人、特に大柄な男が影の方へと小走りで向かっていった。


「おいテメェ、何しに来やがった?」

 手下が近づくと、その影は旅人の姿をした女であることが分かった。

「何だ女かよ……この町になんの用だ?」用心棒かと思っていた手下は拍子抜けしたようだった。

「ここは宿場町じゃないのかね? 宿を探しに来たんだが?」

「残念だったな、今日はどこも店じまいだ。他を探しな……。」

 手下が言いかけていると、風が吹いて外套が少しはだけ、女の顔と体つきがより露わになった。


 少し浅黒い肌に光の具合でやや赤みがかる黒髪、その前髪の合間から覗く金色の瞳が手下を見ていた。旅人であるせいか、肌は町の女よりも荒れているようだった。丈の短いレザージャケットの下には灰色のタンクトップだけで、そのタンクトップとジーンズの間から露出した腹筋は、河原の岩肌のように滑らかかつ頑丈そうに鍛え上げられていた。ベルトは腰に二本締められており、左側には杖のような細い木の棒がベルトとベルトの間に挟まれ固定されている。丸みを帯びた体に柔らかそうな髪、繊細な顔立ちといった一つ一つの部位は間違いなく女のものではあるものの、その全てのパーツがそろったたたずまいはいかつい玄武岩を思わせるおもむきがあった。

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