第三章 マイ・ベイブ
イヴ・ヘルメス①
夜明け頃にはロランの体は暖まっていたので、彼を残し周辺を散策した後岩場に戻るとロランが目を覚ましていた。呆然としたようにその場に座り込んでいる。
「起きたみたいだな」
私は散策ついでに摘み取った野生のベリーと、火にかけて水を飛ばしたパンをロランに差し出した。
「ほとんど流されたり、使えなくなったりしてしまってね。今食べられるのはこれくらいだ。熱を作るといい」
しかし、ロランはぼおっとしたままで私を見る。
「どうした?」
ロランはサラシを剥がされ、シャツ一枚になった体を見る。
「……見たのかい?」
「拝ませてもらった。さすがエルフだ、芸術的ですらあったよ。私が男だったら変な気を起こしていただろうね」私はベリーをかじりながら答える。
ロランは打ちひしがれたように塞ぎ込んだ。「そうか……。」
「お前さん何か勘違いしてやしないか? 言っとくが、お前さんの秘密なんて最初に出会った時に気づいていたぞ? フェルプールは鼻がいいんでね。多分、ディアゴスティーノだって気づいていただろうよ」
ロランは力のない顔で私を見た。
「そうか……気づかれてないと思ってたのはぼくだけだったのか」ロランが顔を立てた膝の間にうずめ自嘲気味の笑いを浮かべ、とんだ間抜けだな、と言った。
「本名は?」
「え?」
「ロランってのは偽名だろ? もうこの際だ、本名を教えてくれよ」
私は木の実をすべて口に頬張った。
「イヴ……イヴ・ヘルメス」
「ん~、ヘルメス侯のご令嬢ですかい」私は果汁で汚れた指を舐めた。
「……どうせそれも気づいていただろう?」
「うすうすは。振る舞いは上品だしいい教育を受けたろう発音、良いものばかりを食べてきた奴特有の匂いもするからね。フェルプールの五感は誤魔化せないさ」
ロランはため息をついて丸まった。
「食べてくれ、というか、嫌でもかき込んでくれ。体力をつけないと。すぐに移動したい」
「ああ、そうだね」ロランはパンを取って食べ始めた。「……次はどこに」
「お前さんのおうちだよ。帰るんだ」
「……そんな」ロランは悲劇のヒロインのような顔を上げた。「約束と違うっ。次の新月まで付き合ってくれるって話だっただろう?」
ロランがかけていた毛布をはだけて迫ってきた。目のやり場に困る。それに気づいたロランは慌てて毛布で体を隠した。
「事情が変わったんだ、申し訳ない」
「お金を受け取ったじゃないか?」
「前金はな。それだけだ、成功報酬はいらない。ファントムの今回の依頼は失敗に終わったって事だ。言いふらしてもらっても構わないぞ。業界で信頼を失うというそれ相応のペナルティには甘んじるつもりだ」
「一体どうして? 君を信頼していたのに……。」
「ありがとう。でも今言ったろ、状況が変わったんだ。ゴブリンが出て来るっていう最悪の状況にね」
ロランが分からないという顔をする。「ゴブリンなんて……雑魚モンスターじゃないのか?」
「お前さん、箱入り娘どころか生まれてこれまで物置か何かにしまわれていたのかね?」私は白んだ空を仰いで言う。「ゴブリンが雑魚モンスター? そりゃ戦前の話だろ。ラクタリスの話を覚えてるか? ゴブリン狩りを生き残ったやつらはもう以前の奴らじゃあなくなったんだ。種族の中でも特に執念深く残虐なやつらが生き残って、そいつらが更に子を成した。ある意味
「でも君なら追い払えるだろう? 一瞬で五匹も倒していたじゃないか」
「10回来たら9回は撃退できるだろうね。でも、そのたった一回が命取りなんだ。一回でもしくじれば、奴らは私の足の腱を切って肉食の巨豚の檻に放り込んで生きたまま食わせるだろうよ。そして私の哀願と悲鳴を聞きながら祝杯とともにマンマ・ミーアの大歓声を上げるのさ。真面目な話、奴らに「慈悲」なんて言葉は存在しない。生まれてこの方聞いたことがないし、これから覚えるつもりもない。例え教え込もうとしても右から左へ通り抜けてしまうんだ。誇張じゃないぞ? 屈強なオークだって奴らの群れに出くわしたら道を空ける。そんな奴らが9回追い払っても10回襲ってくるんだ、異常な執念でね」
「そんな……ゴブリンが」
「戦争が奴らを変えたのさ」私はロランの近くに腰を下ろして念入りに強調した。「永遠にな」
「そしてそんなゴブリンが雇われるってことはつまり、金を出した奴が後先のことを関知していないってことでもある。まぁよほど金がないか嫌われていない限り奴らを雇うなんて発想にはなりはしないよ」私は昨夜の事を思い出した。「しかも、あのゴブリンは妙な武器を持ってた。あれはなんだ? お前さん何か知ってるようだったが……」
「あれは……勇者の残した書物に記されてた武器だよ。とても危険で、人間の子供でもオークの戦士を殺すことができる武器なんだ。でもどうして、ゴブリンなんかが……。」
「だったら尚更だ。この依頼は、降りる。文句はないだろう?」
ロランは、もう何も私を引き止める言葉がないようだった。仕方ない、こんなケースに見舞われていたら、ほとんどの戦士がそうするのだろうから。
「悪く思わないでくれ。私も負けを前提にした戦なんてする気はないんだ。無頼の日々を送っているが、犬死にだけはごめんなんだよ」私はロランの肩に軽く手を置いた。「まぁ女なのに領主になろうってのは、よほどの事情があるということなんだろうけれど……」
「女じゃない!」
弱々しくも、それは本気の叫びだった。女の声だったが、その芯には別のものがあった。
「ぼくは……女なんかじゃない」
それは、怒りと嫌悪も含んでいた。
「……そうか」
「信じてないだろう?」
「いや、そういうこともあるだろう。何しろ世界は不思議で満ちている」
私の皮肉にロランはそっぽを向いてしまった。
「話を聞いてよ本当なんだ……ぼくは女じゃないんだ」
「……よしじゃあ聞こうか。何しろ、私はお前さんの体を一晩中裸で暖めてたんだ。もしお前さんが女じゃないというなら、私も純潔の危機だからね」
「……
「女が見え透いた嘘をつく時はね、ダーリン?分かってても騙されてあげるべきなんだよ」
ロランは少し微笑んだ。
そうしてロランは私に語り始めた。心と体が分かたれて生き続けた彼? の25年の人生を。どこから話していいか分からないようだったが、おぼつかなくも少しづつ、過去をたどりながら。その話は英雄譚や冒険譚とは違って劇的ではないものの、聞く者を捉えてはなさなかった。
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