式鬼
彌子
一 隠
薄紅の花びらがひらり、湿った土の上に落ちた。
そよ風に揺れる色とりどりの花が咲く花壇を見つめながら、
深く息を吐き出し、自分を中心に張り巡らせた蜘蛛の糸を強くイメージする。蝶が糸にかかるのをじっと待つように。
風が吹いた。花が揺れ、金色の前髪がさらりと流れる。
心地よい風が凪ぎ静寂が訪れると、ぴんと張り巡らせた糸が僅かに震え、胸の奥の方に不快なものを感じた。
--いた。
春は弾かれるように走り出した。糸を手繰り寄せるように、目的地へと真っ直ぐに進む。
ランニング中の野球部部員とすれ違い、帰宅部たちの笑い声を聞きながら、目指す先が見え眉を少し寄せた。
日が当たらず、いつも湿った空気が漂っているせいか、生徒たちもあまり近づかない旧校舎裏。
立ち止まり呼吸を整えた春は、校舎の壁に手をつきそっと覗き込む。
人はいない。だが、確かにそこに在る存在。
底が見えないような暗闇を抱えた禍々しいそれは、ただそこに浮かんでいた。
人ならざるもの、
昼間感じた時よりも負の感情が強くなっている。
春は頬を伝う汗を拭い、制服のポケットから一枚の紙を取り出した。人の形をした赤い紙--
隠は揺らぎ、大きく膨れ上がる。
春は握っていた式鬼札を隠に向かって投げた。
負の感情が集まっただけのそれは、器を求めるように自分から式鬼札へ飛び込み吸い込まれていく。重く、腹の奥底をかき回されるような嫌な圧力を感じ春は顔を歪めた。人とも動物ともとれない悲鳴の渦。怒りや悲しみ、憎悪が混ざり合った感情が心に流れこみ息が詰まる。
式鬼札が隠をすべて吸い込むと、鮮やかな赤色にくすみが広がり始めた。
「
春が呟くと、式鬼札は炎をあげた。悲鳴の渦が濃くなり思わず視線を逸らす。炎は負の感情すべてを燃やし尽くし小さくなると、やがて静かに消えていった。
春は長い息を吐き、その場にしゃがみこむ。
たくさんの感情が混じった隠を相手にしたあとはいつもこうだ。
自分もあの渦に巻き込まれていく感覚がして気分が悪くなる。
重い身体を何とか起こし、目を閉じて波立つような心を落ち着かせた。
風がふわり、流れる。
「花月ー!」
薄暗く湿ったこの場所の空気を変えるほどの明るい声が響く。
振り返ると、声と同じように元気で明るい笑顔が見えてホッと安堵した。
「こんな所で何してんだよ花月。何か変なものでも見つけたか?」
「いや……。杉浦、お前こそ何しに来たんだこんな所に」
「何って……お前がちっとも戻って来ないから、こうして捜しに来たんだろーが。ほら、カバン」
「ああ、悪い……」
先に帰っていいと言ったのに。春は呆れながらも嬉しさで顔を綻ばせた。鞄を受け取り、並んで歩き出す。
表情が豊かで、一緒にいると楽しくなるような、場を明るくさせるムードメーカーの杉浦。自分とは違うタイプだが、妙に気が合いすぐに打ち解けた。
人気のない校舎裏を抜け、ぽつりぽつりと下校している生徒たちに混ざると、杉浦がポンと春の肩を叩く。
人懐っこい笑みを浮かべ、
「なあ、何か食ってかね? 腹減っちゃってさ」
腹をさする。
「ああ。いいけど、何食べるんだ?」
「スウィーツが俺を呼んでいる」
グッと拳を握った杉浦に、春はくすりと微笑した。
「甘いもん好きだよな、お前。休み時間になるたびチョコ取り出すし」
「辛いのも好きだぞ。甘辛の絶妙さが一番だけど」
「甘辛か。じゃあ、みたらし団子だな」
「お前が決めんのかよ。別にいいけど……。
商店街にある和菓子屋の御手洗。
その名の通りみたらし団子が名物で、値段もお手頃なため学生客の多い店だ。甘すぎない、ほどよいたれの香ばしさがくせになり、ケーキよりも団子や饅頭といった和菓子を好む春もついつい足を運んでは土産まで買ってしまうほど。
今日は何を土産にしようか。たまには豆大福なんかもいいかもしれない、と考えていると、校門の外で仁王立ちしている人影が見えた。
「どっか寄ってくの?」
「げ、麻理……」
露骨に嫌な顔をした杉浦に鋭い双眸が向けられる。
元々つり目のせいか、少し睨むだけでも結構な迫力だ。
艶のある長い髪が特徴的な藤谷は、春や杉浦と同じクラスで、杉浦とは幼稚園からの幼なじみらしい。本人たちは腐れ縁だとよく声を揃えていて、息の合ったやりとりがたびたび見られる。
ハアァ、と杉浦が嘆息した。
「お前……花月に振られたってのに……そろそろ諦めろよ」
「な、振られたんじゃない! あたしが振ったんだ!」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ」
杉浦の胸倉を掴み思い切り揺する藤谷を見て春は苦笑した。確かに、春が振ったわけではない。
入学してからそんなに日は経っていなかった頃。何の前触れもなく、突然藤谷に告白された。まだお互いをよく知らない頃だ。どう答えたらいいものかと悩んでいると、それを察したのか藤谷は返事はすぐでなくていいと言った。
だがその次の日、告白はなかったことにしろと言ってきた。少しだけ怒っていたように思う。それについては何となく見当がついていた。
「健哉……コイツの本性知ってるのか? 女をとっかえひっかえしてるような最低野郎なんだよ!」
藤谷がビシッと春を指差す。
「え、花月……お前彼女いないんじゃなかったのかよ」
「今はいない」
「今はだぁ? 中学の友達から聞いたんだよ……常に彼女がいるようなヤツだって」
「つねに、ではなかったけど……」
「それ聞いて、あたしがどれだけショックを受けたと……」
その時の怒りを思い出したのか、藤谷は拳を震わせた。
ふーん、と杉浦が腕を組む。
「花月がどんな人間かわからないのに、一目惚れしたお前が勝手にショック受けただけじゃん。それを責めるなんておかしいだろ」
「うっさい!こいつは女の敵だ!」
「女ってのは勝手だよな~。でもま、確かにとっかえひっかえはよくないぞ、花月」
「ああ、そうだな」
「そうだなって」
「相手のことを好きになって付き合ったわけじゃないし……」
「それでとっかえひっかえ!? それは最低だぞお前!」
最初は理解を示していた杉浦も思わず身体を反らした。
まあそうだろうと春も思うことだ。
今まで、特に誰かに恋愛感情を抱いた覚えはなかった。女子に興味がないというわけではなく、そういったことを考える暇がないのだ。
他に優先すべきことがあり、その事でいっぱいで好きだ彼女だと考えてはいられない。
風が吹いた。乱れた前髪を直しながら春は歩き出す。
春の言葉を待っていた杉浦と藤谷も慌てたようにその後に続いた。
女子に興味がないわけではない。恋愛も興味ないわけではない。
ただ。
「好きになれたらいいなとは、思ったからかな……。軽い気持ちだったのは悪いと思うよ」
「好きになれたら? お前、今まで誰かを好きになったことねーの?」
「ない」
「まじか」
「でも……今は好きじゃなくていいからって言われて付き合ったてたから、一応誰でもってわけじゃなかったよ」
「なるほど……形から始まるってやつだな! なんだ、お前のこと最低野郎なのかと疑っちまったじゃん。悪い悪い」
「最低野郎だろ!」
笑って春の背を叩いた杉浦に藤谷が吠えた。
和やかな空気になっていた中の怒声にムッとしたのか、杉浦が眉根を寄せ藤谷を睨む。
「麻理……自分の価値観押しつけはよくないと思うぞ。花月なりに考えた結果なんだろ? それに、今は好きじゃなくてもいいって女の子が言ったんなら、花月だけを悪者扱いはおかしいだろ」
「いいよ、杉浦。自分でわかってるからさ。傷つけちゃった子もいるしな。藤谷、もうそんな簡単に考えたりしないから、安心……ってのは違うか。とにかく、今後はそういうことしないから」
春は振り返り藤谷に微笑を向ける。
ぐっと、藤谷は言葉を呑み込んだようだった。
目を丸くさせた杉浦が春の肩に腕を回す。
「やめんの? 別にそこはいいんじゃね? 高校生だぞ、青春しなきゃもったいない!」
「あー、いいよ。もともと向いてなかったってことだろうし、恋なんて自然にくるものだろ。俺は別のことに気持ちを向けるよ」
「別って?」
「ナイショ」
「何だよー!」
教えろ、と杉浦に頭をわしゃわしゃとかき回される。
お前との友情だよと冗談めいて言えば、ぽっと頬を染めもじもじと冗談を返してくる。ノリがよく、一緒にいて本当に楽しいやつだ。居心地がいいというのだろう。
ちらりと、目だけ後ろに向けると藤谷と視線がぶつかった。
藤谷は何か言いたげだったが、結局何も言わずため息だけを零す。諦めたように、わかった、とわかってない顔で呟き杉浦の腰にずどんと蹴りを入れた。それで気持ちを切り替えたようで、藤谷の顔から不機嫌さは消えていた。この切り替えの良さが彼女のいいところだ。恋愛ごとでは最低だと罵られるものの、それ以外では良好な関係を築けている。と思っている。
共に和食好きで音楽の好みが似ているから話は合うのだ。それは杉浦にも言えることで、むしろ杉浦と藤谷が似ていると言った方がいいだろう。本人たちにそれを言うと嫌な顔をされるので黙っているが。
赤信号で立ち止まると、子どもの笑い声が聞こえた。すぐ横にあるコンビニにゆるキャラが来ているようで、ぐるっと囲まれ、抱きつかれたり叩かれたりしている。
ペンギンをモチーフにしたキャラクターで、名前はペン蔵。忍者という設定らしい。
「花月ってペン蔵好きなの?」
「え? あ、いや……俺は……別に……」
「歯切れ悪いな」
信号が青に変わり歩き出す。
ちらりと見た先では、子どもたちの顔がきらきらと輝いていて。
「やっぱペン蔵好き?」
「違うって」
「隠すなよー」
けらけらと笑う杉浦に、違うと軽く一睨み。
本当にそういうわけではない。
「ん……?」
突然、藤谷がぴたりと足を止めた。
どうしたと杉浦が声をかけたが、藤谷は一点を凝視したまま動かない。少し顔が青いように見える。
首を傾げながら、春と杉浦は藤谷が見ている先に目を向ける。
建ち並ぶ工場や店から少し離れた所にぽつんと存在している廃病院。
五年ほど放置されていて、白かったはずの壁は汚れや落書きでひどい色をしていた。
「おい、麻理。なんだよ」
「……今、中に人がいたように見えて……」
「不良とかだろ? 溜まり場にしてんだろーよ」
「いや……何か……色白の女の人っぽかった……」
「怖いこと言うなよ! この距離で色白とかわかるわけねーじゃん!」
「だ、だよな! あたしの見間違い! い、行こう、御手洗の団子が待ってるんだし!」
若干声を上擦らせた杉浦と藤谷は、スタスタと先を急いだ。
しかし、春の足は動かない。
三階の窓から空を見上げている女性がふわりと浮き上がり、そのまま地面へと落ちていった。
「花月!」
「何だよ杉浦。でかい声出して」
「さっきから呼んでんだろ! 行くぞって!」
「あー……悪い。急用ができたから」
「は?」
「じゃあな」
「え、あ、おい! 花月!」
呼び止める声を無視して春は走った。
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