夜咲睡蓮~薄命の吸血鬼と黒茨の騎士~
Win-CL
第一話 黒茨の古城と白い蕾
ジメジメとした森を歩いて、はや三時間。
街で買った地図をくるくると回しながら、現在地と目的の城の位置を確認する。……いや、しようとした、って言った方が正しいな。
周りをいくら見渡しても、木ばかりでさっぱり分からん。
「目的地まで……あとどれぐらいだ?」
……旅というのも、いざやってみると面倒なことだらけだ。
決して無理をせず、手ごろな獲物を狩りながら。街から街へと渡り歩き続けて三ヶ月。風に呼ばれ、波に呼ばれ、自由気ままに行き先を決めるのが旅の醍醐味だよな。
今回訪れようとしていたのは、大陸の南西部に飛びだした高台。そこに建てられていた古城だった。
事前に聞いていた情報では、近くに大きな街も無く、魔物も多少なりとも出現はするらしい。魔族の影については……不明。決して安全とは言い切れないってとこだろう。
そんな事情のためか、既に管理する人もおらず、廃墟になってしまったとのこと。
酒場で話をしてくれた男も昔は旅をしていたらしく、既に探索が何度か行われていて、めぼしい物は全て取りつくされていると言っていた。
「――まぁ別にいいさ。宝探しが目的な訳じゃなしに」
とにかく人の少ない土地に行きたかった。
……疲れていたんだ。いろいろと。
そんなときにふと聞いたのが、古城の話だった。
――少なからず興味を引かれた。栄光、栄華を失ってもなお、そこに在り続けるというのはどういうことなのか。その存在感をこの身に味わってみたかった。
戦争が終わってから十二年も経っているとはいえ、そんな観光気分でこんなところまで訪れるのも自分くらいのもんだろう。
「やっと森を抜けたか……はぁ……。一時は野宿も覚悟していたけど――」
……なんだぁこりゃあ。
唖然とした。深い森を抜け、やっと城が姿を現したかと思ったら――その全部が黒い
「植物の異常発生? いったい
城が手放された時からこうなっていたのなら、これまでに話を一度も耳にしていないわけがない。名物、名所になってもいいぐらいだ。
ここまで成長した茨なんて、見たことも聞いたことも無い。生態を詳しく調べて、本を書く。そんな生活も面白いかもしれない。
ふぅん、と顎に手をやる。楽しくなってきたときの癖だ。
「ちょいと探索してみるかね」
別にやましいことをするわけじゃあない。入るなら堂々と、正面からだよな。
「――とはいえ、どこから入ったものかねぇ」
流石は古城といったところか。豪勢な城門には、これまたガッチリと茨が絡みついていて、ちょっとやそっとじゃ開きそうにない。どうにかして除去してやろうと、持っていたナイフを使ってみたが……朝方までかかるぞこりゃ。
……仕方ない。それなら別の場所から入ろう。
まぁ、城壁に沿っていけば、入り口の一つや二つぐらいあるだろ。
「しかしまぁ、すげぇ城だなぁ」
間近で見上げただけでも、こちらを威圧してくるようなその存在感!
周りが深い森ってのもあって、きっと守りは固かったんだろうな。
だけど――
「どれだけ堅牢な城でも、時が経てば綻びが生まれるらしい。虚しいもんだねぇ」
歩いて数分。
茨の隙間を眺めながら歩いていると、ものの見事に壁の一部が崩れていた。
これぐらいなら、身を
棘で怪我をしないよう注意して、茨を切りながら場内へ入って行く。
「さて、ここは城のどのあたりだぁ……?」
中にあったのは――黒く冷たい鉄格子。右にも、左にも、鉄格子だった。どうやら侵入口があったのは牢屋のようで、その一室に自分がいる。幸い鍵は開いているから出るのは簡単だろうけど、格子の一本一本にまで茨が絡みついていた。
「城の内部まで、黒い茨の世界――まるで絞め殺そうとせんばかりに、茨が何もかもに絡みついていた、と。……やっぱり、次の街でインクとペンを買っておくか」
きっと記すならばこんなとこだろうと、そらでそれらしい一文を呟く。物があればこの場で書きとめておくんだが、という後悔は隅に置いて――まずは観察だ。
『まずはよく見て、状況を判断しろ』っつーのは、戦い方を叩きこまれたときによく言われてたっけ。
「茨自体に危険は……ないな。付近に魔物のいる気配は無い。と、なれば……よし、そのまま探索を続行だ」
そのまま牢屋から廊下へと出る。
あまりの不気味さに、生唾を呑みこむのも一苦労だ。照明は無いし外からの陽も殆ど届かない。廊下の先は闇。音もない、生き物の気配も一切しないそこは、奈落の底のようだった。
「はぁ……まるで密林だ……」
茨のおかげで、ここが城だということを忘れそうになる。
身長に歩を進めていくなかで、汗が頬を伝う。
別に怖いわけじゃない。こんなことよりも危険なことだって、何度も経験しているし。魔族との戦争が尾を引いていた頃は、いつだって危険と隣り合わせだった。
そこらの草むらから、魔物が飛びだしてくるかもしれない。見えないところから強襲を受け、次の瞬間には命を落としているかもしれない。そんな恐怖に背筋を撫でられながらも、前に進んで行く感覚。
……怯えるわけにはいかない。
けれども、慣れてもいけない。
なにより――好奇心に抗うなんて勿体ない。
そう心の中で呟きながら、ランタンの灯を頼りに奥へ奥へと進んでいく。
落ちてる落ちてる、魔物の死骸、兵士の鎧。
そして真っ二つに割れたり砕けたりしている魔石に、金属片。
どれも宝と呼べるような価値はない。
かつてあった戦いの跡。ここで散っていった者たちの、成れの果て。
「ここも……戦争の犠牲となった場所……」
――大きな噴水が特徴的な広間へと出た。噴水、と言っても今となっては、一筋の水も滴ることはない。中心にある女性をモチーフにした彫像も、黒い茨が数本絡みつき、原型を失いかけていた。
「せっかくの美人が勿体ねぇ……」
上を見れば天井は遥か遠く、二階部分まで吹き抜けになっている。垂らされた鎖からは、そこに豪華なシャンデリアがあったことが
「……見る影もないとは、このことだろうな」
小さく慎ましやかな白い花が咲いていた。けれどこれは毒草だ。花も葉も根も、口に入れただけで昏睡状態に陥ってしまうほど強力な毒。綺麗に見えても、迂闊には触れられない。昔、薬師に口煩く言われたものだが、なかなかに自分も知識が付いてるじゃないか。
傷痕、と呼べばいいのだろうか。床や壁は確かにボロボロになっているが、なにも物理的な意味だけじゃない。上手く言葉で言い表すことができないけれど、空気や時間といった見えないものも。
――修復不可能なまでに、傷つけられているような気がした。
そうして探索を続けた。ぐるりぐるりと城内を巡った。
気分はもう城の観光というより、汗だらけ、泥だらけの探検だ。
一階、二階。確かに、城内に目ぼしい物は何も無かった。どこを見ても茨で埋め尽くされていた。そうして三階部分、階段へと足をかけたところで――その最上段に、何かがあるのが見えた。
「――――っ」
自分よりも少しばかり大きな鎧が、ど真ん中で直立している。
城の構造からして、恐らくこの先は謁見の間。
見張り……既に先客がいたのか?
この距離だと完全に見えてるよな。おーい?
「……反応はナシか」
どうしたもんか。追ってくるようなら、走って逃げるしかない。
――戦う? 無理無理。向こうは剣でこちらはナイフ。
そう考えを巡らせながら、観察を続けていると――鎧の隙間から、黒い茨が顔を覗かせているのに気が付いた。
あの茨って……。もしかして、鎧の中身は空洞なのか。
まぁそれならね。こちらに反応しないのも納得だ。
「なぁんだ、驚かせるなよ……」
ならばなぜ、あんなところに置かれているだろう。疑問は浮かぶけれども、こちらの動きに反応する素振りが無いのにも納得だ。
向こうが警戒しているのなら、剣ぐらい抜いてもいいはずだしな。
やっぱり、ただの鎧がそこに置かれているだけ。うん、そうに違いない。
いないと見せかけて実は――ということもあるかもしれない。警戒しながら、少しずつ階段を上がっていっても、それは変わらず。
やっぱり俺の観察眼は冴えてるなぁ。鎧一つに二の足を踏んでちゃ、見つかるものも見つからない。第一にも第二にも、探検に必要なのは勇気だよ。
最終的には、目の前まで近づいて腹の部分を拳で叩いてみても、軽い音が中で反響するのが聞こえるだけだった。ほぅら、何にも怖くない。
「黒い鎧ってのも、なんとも不気味なもんだなぁ」
やれやれと肩をすくめて、最上段まで上がる。そこは広々とした広間だった。
相変わらず黒い茨がそこかしこに伸びている。ただ、その中で――
――差し込んだ月明りの下、玉座の前にある不思議な物に目を奪われた。
黒い茨の絨毯の中に、ぽつりと佇む白いもの。
「……
あえて回りくどい表現しなくても、ありゃあどこからどう見ても蕾だった。
色は純白。だけれど、ただの花の蕾じゃあない。異常さを際立たせていたのは、その大きさだ。膝を抱えれば、自分が中に納まるぐらいはあるんじゃないか。なんの花だ、いったいこりゃあ。
「こんなの初めて見た……。黒い茨と関係しているのか?」
警戒心よりも、好奇心が勝った。
もっと近くで見てみないと――そう思って駆け寄った瞬間だった。
――ずずっ……。
……茨が動いた?
いま確かに動いたよな……。こう……ずるりと……。
立ち止まってよく観察してみるが、再び動き出すようには見えない。……今までが静か過ぎたせいだ。ちょっとした音にも敏感になってるんだ。きっと。
――ずずっ……。
「――――」
後ろからも、ずるずると何かを引きずる音がしたので振り返るが、そこには誰もいない。どうしても不安を拭いきれず、自分が上がってきた階段の方へと向かうが、影も形も無かった。
これまでの空気とは、何かが変わっていた。
なんというか……。周りの茨が、どことなく息づいているような。
まるで大きな生き物に、すっぽりと覆われているような感覚。
……深呼吸。心臓が鼓動を大きくしているのが分かる。
喉元のすぐ下で、跳ねあがっているのを感じる。
「――何か……いるのか? ……――っ!?」
恐る恐る玉座の方へと視線を戻すと、あの蕾が玉座から消えていた。いや、正確に言うならば、その花弁を完全に開き、大きな花を咲かせていた。
黒い絨毯に、白く大きな円が一つ。そして――
「――――」
――息を飲む。
ひび割れた天蓋の隙間を通り、そこだけに月の光が降り注いでいる。
白い花弁の上に、佇む人影。
あの蕾に包まれていた、その中身が。そこにはあった。
透き通るような色をした、銀髪の髪を床まで下ろし。
血のように紅い目をした女性が――少女がそこにいた。
この世のものではないような、幻想的な光景。
これが絵画の一枚ならば、目が飛び出るような金額が付くだろう。
芸術に疎い自分ですら、息を呑むほどの美しさだった。
……涙?
目元できらりと、何かが光を反射しているように見えただけ。距離が少し開いているため、よく確認することができない。失礼だとは思いつつも、その視線を外すことができない、それほどまでに強烈な存在感だった。
「あ――」
不意に、少女と目が合った。ヤバいと直感が告げる。
向こうが――こちらに気付いた。
「――――っ!」
「ぐぅっ!? ちょっ、待っ、待った……!」
彼女から感じる強烈な圧迫感に、息が苦しくなる。敵意か、殺意か。びりびりとした感覚が、首の後ろをチリチリと焦がす。
これが何も取りえの無い、鈍感な奴だったのならば何も感じずにいたんだろう。……でも俺は違ったんだろうなぁ、きっと。目的もなくフラフラと旅をしてても、人ってのはそう変わりはしないもんだ。
今までに培ってきた経験、研ぎ澄まされた感覚!
それが仇になるなんて誰が予想しようか!
少女が一歩、一歩と近づくごとに圧が上がる。両手で首を絞められたかのように、気道がみるみる狭まっていく感覚に襲われていた。
息が苦しい。こりゃあちょっと、余裕も無いぞ。
逃げたいなぁ。今すぐ逃げ出したい。
逃げられるなら、間違いなく逃げた方がいい。
けど――
「――誰だ、お前は」
――その声を聞いた瞬間。
――間近で彼女を見た瞬間、そんな意識が吹っ飛んだ。
琴の音のように透き通った声だった。まるで月をそのまま写したかのような白い肌に、燃えるような紅の瞳。そして、とがった耳と、小さな口元からはみ出す牙――
少女のもつ外見的特徴は、ヒトのものじゃあなかった。
魔族。かつて何処からともなく現れ、長い時代ヒトと戦争をしていた種族。ヒトとは比べものにならないぐらいの力と魔力を持った、世界の脅威。
「ば……
……まいった。まさかこんなところに
何かの冗談じゃないかと、思わず言葉が口をついて出てきた。
「あぁ……?」
それが運悪く、少女の耳に入ってしまったらしい。目つきが鋭く、射殺すかのように細められていた。瞳は心なしか、紅の色が一段と鮮やかに光ったように見える。そして、なぜだか急に圧から解放されて――
「ぐぇっ!?」
「お前。今なんと言った……?」
胸ぐらを掴まれていた。身長差があったため、うずくまっていたところを無理やり起こされて、膝立ちになっている状況だった。……どういう状況なんだ、これ。
「この私を指して、
「よ、呼んだけど……」
――いや、
「…………」
迫りくる死の恐怖に目を
あぁ、このままきっと爪が鋭く伸びたりして、串刺しにされてしまうんだ。
もしくは、首筋に噛みつかれ、血の一滴も残さずに吸い尽くされてしまうとか。
人生の目的も見失ったような、そんな俺だけど……。
ここで死ぬぐらいなら、もう少し楽に生きたかった……。
「――――?」
しかし予想と違い、何時まで経っても、少女が襲ってくる気配は無かった。
――が、その代りに
「私は
「ち、違う……。そういうつもりじゃ――あいたぁっ!?」
突然に手を離され、尻もちをつく。
一瞬『なにを言っているんだ?』となったけど――“
謝ろうとしたのだけれど、
「しないだろう、そんな失礼極まりないこと。そこらをうろついている、名も無い魔物や家畜にするようなことだからな! つまりはこの私を、それらと同列に扱ったということでいいんだな?」
「待った! 待ってくれ!」
次から次へと飛んでくる叱責に、両手を挙げて制止する。
まずは話を聞いてくれ、お願いだから!
「悪かった。悪かったよ。今のは言葉のあやだ」
「ならば私を種族名で呼ぶのはやめろ。非常に不愉快だ」
――
そう考えれば、俺が全面的に悪かったんだろう。
初対面の相手にするようなことじゃないのは確かだ。
そんなことは、十分に分かってた筈だったのに……。
とりあえず、彼女自身は礼儀正しく、無用な殺生をする性格でないらしい。このまま直ぐに殺されることはないと、内心でホッとした。となると、ここからとるべき行動は……少しでも友好関係を築くことなんじゃないだろうか。
「……。あー……」
でもそれは無理な相談だった。
いや、別に嫌だからってわけじゃない。
もっと根本的な、必要なものがある。
「……なら、なんて呼べばいい? ――君の、名前だ」
そう、名前。まだ彼女のことを何一つ分かっちゃいない。
できることならば、いろいろと話を聞けないものだろうか。
おっと、人に尋ねるときはまずは自分から、だった。
こういう気遣いを忘れて、また不機嫌になられても困るしなぁ。
「俺の名前はフェン。フェン・メルベリー。君の名前を、教えてほしい」
「……リーリス・アゼニット」
フンと鼻を鳴らして。少女はそう名乗った。
「リーリス……良い名前だ」
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