駄作

 駄作、愚作、凡作……。

 こう言った言葉を自分の作品紹介に使っている奴を見かけるが、


 ―――どういった神経でそんな言葉を使ってるんだ?


 と思わずにはいられない。

 自分自身が「駄作」と評する作品を、不特定多数な公衆の面前に晒し、更には星やレビュー、コメントを待ち望んでいる等、正気の沙汰じゃない。


 だって「愚作」なんだろ?作者自身が認めてる。


 「秀作」や「傑作」とは言わないまでも、「力作」や「自信作」でもなく、「駄作」や「愚作」と自己評価が済んでいる作品を、わざわざ人の目が止まる所へ陳列するんだ。これが非常識と言わずになんというのか。

 ましてやその「駄作」にレビューやコメントを付けてくれと考えているんだ。おこがましいにも程があるだろ。


 そもそも自身で酷評した作品を、公衆の面前に掲載する前に、どうして自分で修正しないのか不思議で仕方が無い。駄作だと解ってるんだ。まずい部分だって解ってるはずだろう。

 

 では、何がまずいのか解らないのか?おかしな話だ。

 作り上げた自分の作品を見て、何処がおかしいか解らない、つまりおかしい所など無いのに「駄作」だと自身で評価する、その判断基準が解らない。

 おかしい所が自分で気付けないなら、それはその時点で自身の「最高傑作」なんだろう?ならば決して「駄作」等である訳が無い。


 「駄作」や「愚作」だと自覚しているならば、せめて「凡作」に直して掲載する事をお勧めする。

 それが自分以外の誰かに見て貰う為の、必要最低限の礼儀だと思うからだ。

 もしその必要が無いと言うのならば、それは「駄作」でも何でもない。

 紹介欄にそう記載する必要は何処にもないのだ。


 このカクヨムや、その他の小説投稿サイトは、作品の掲載に対して随分と自由だ。

 勿論著しく表現に問題があったり、個人を攻撃している様な作品は削除対象になるのだろうが、常識の範囲内であれば大抵の作品を掲載しても問題ない。

 

 誰に許可を取る必要もない。

 自分が「駄作」と評した作品を掲載して何が悪い。誰にも迷惑はかけていない。

 どんな作品を掲載しても、誰かに文句言われる筋合いの物ではないだろう。

 

 勿論その通りだ。どんな作品を掲載しても、誰にも迷惑をかける物では無い。

「駄作」だと評された作品など、読み手がスルーすればいいだけなのだ。それに付いてコメントする必要も、本来ならばない。


 だが、お前は本当にそれでいいのか?

 他者からだけでなく、自身からも「駄作」等と、本心では無いと言いながらも評価され紹介されて、その作品はそれで良いと、本当に考えているのか?


 少なくとも、俺は嫌だ。

「傑作」なんて言いきれない。「良作」だとも言えないかもしれない。

 しかし少なくとも「力作」であり「愛作」だと、俺はいつも思っているから。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る