眩暈の紫

跳世ひつじ

塔と双生児



 半身。

 わたしと同じ顏をした、ヴェネットとともにあらゆる物語ははじまっていた。

 唯一異なる眸の色が、ヴェネットとヴァイオレットを見分ける手立てだった。ヴェネットの薄青色の眸に対して、ヴァイオレットのそれは絢爛たる紫色をしていた。ヴェネットはヴァイオレットのその眸を覗き込んでは、

「きれいないろ」

 と吐き捨てた。

 ヴェネット以外の肉親――母親や父親は、記憶にはいない。気がつけばふたりは手を繋ぎ、ふたりは飢え、ふたりは路地で肩を寄せていた。ただふたりで生きていた。どぶさらいでも、ごみ漁りでも、死体探しでもなんでもやった。投げるようにして与えられる貨幣を這いつくばって拾い上げ、黴びたパンを相争って喰らった。ヴェネットとヴァイオレットは、ホーンの汚い子どもだった。十まで生きることができれば、奇跡。路地の子どもたちの寿命は他とは比べ物にならないほど短い。或は犬や、猫よりも。

「あんたが死ねば、パンをひとりで食べられるのに」

 ヴェネットはヴァイオレットを呪っていた。だがヴァイオレットはそうではなかった。ヴェネットは罵詈を尽くそうとも、ヴァイオレットから離れなかったからだ。捨て置いたりしなかった。彼女は決してヴァイオレットをそばから離そうとしなかった。同い年の双子のはずなのに、まるでヴェネットは姉だった。ヴァイオレットに指図し、先に立ち、彼女を所有していたのはヴェネットだった。

 いつも餓えていた。いつも渇いていた。いつも疲れると思うことさえなく疲れ果てていた。

 好きでもないのに一緒にいた。

 ――ヴェネット、あたしの半身。あたしのねえさん。

 ふたりはとても幸運だった。ホーンに生まれる貧しい子どものうちでも、ふたりは選ばれたのだ。街に。塔に。このホーンに。ふたりは塔に暮らしていた。誰も襲ってはこなかった。足を踏み入れるものさえいなかった。《釘地区》の廃墟の、朽ちかけの塔は、ふたりにとってただひとつの拠り所だった。

 ふたりはとても幸福だった。満ち足りていた。望むことを知らなかったから。

 無垢だった。

 そうしてある日ヴァイオレットは青年と出会った。

「おまえの名まえは?」

「ヴァイオレット」

「誰がつけた?」

「ホーン」

 ヴァイオレットを世界でいちばん求める人間と巡り合い、ヴァイオレットは彼女自身が世界でいちばん求める人間ではないその青年に、自らを預けた。

 ふたりは別れ、異なる時間を生きるのだ。

「魔術師なんて」

「あたし、あんたに金を届ける」

「魔術師の弟子入りと仕事は違う。あんたはほんとうに頭が悪いわね」

「ヴェネット、いつか迎えに来る」

「――ばかいわないで。あたしは望んでここにいるのよ。忘れたの。二度と同じことを口にしないで」

「ヴェネット」

「あたしあんたがほんとうに嫌いだった」

「知ってる」

「ヴァイオレット」

「うん」

「はやく死ねるといいわね」

 いま思い出せば、それはある種の予言だった。そう、このころはまだ、ヴァイオレットとヴェネットはある程度「共有」していた。だがその感覚は長ずるにつれて弱まり、一方でヴァイオレットの眼は輝きを増していた。ヴェネットは、もしかすると、「奪われた」と思っていたのかもしれない。本来分け合うはずだったものを。

 彼女に強がるような素振りは一切なく、このヴァイオレットとの別れを心の底から望んでいたことがありありと理解できた。まるで待っていたかのようだ。ふたりを離ればなれにする、ふたりではない誰かのことを。

 オミを。

「さあ、お別れはすんだかい、ヴァイオレット。だいじょうぶ、ヴェネットには僕が援助をすると誓おう」

「いらない。とっととその子を連れて行って」

「ああ。おいで」

「うん」

 青年――オミはにこやかに頷き、冷やかな目でヴェネットを見下ろしていた。宝石のようにヴァイオレットを抱き寄せながら、一歩離れたヴェネットを汚物を見るかのような目で見下ろしていた。ヴェネットはうっすらと笑っていた。彼女はいつでもそうだった。嫌いなものを決して曲げたりしない。取り乱しもしない。ただ嫌いぬく。ヴァイオレットを嫌ったように。

 魔術師オミの堅固な馬車に乗りこみ、扉が閉ざされれば、ヴァイオレットは一度死んだも同然だった。

 別たれ、そして、会う。

 これを繰り返せば時が経つのだということを、ヴァイオレットは良く知っていた。路地とはそのような場所だったからだ。

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