たぬきくんの願いごと

わしを

第1話

 清々しい朝である。鳩の朝鳴きも耳に心地よい。こんな日はさっさと学校まで突っ走って、まだ誰もいないであろう教室の片隅で穏やかな陽光を浴びながらゴロゴロと机に突っ伏しるに限る。俺は早々に朝食を終え、自転車に足をかけた。

 爽やかな朝の風に吹かれて自転車を走らせていると、眼前の道路の真ん中に、茶色くてフサフサしたものが転がっていた。その横には、小腸らしきピンクのひもが見える。

 野生生物の礫死体に違いない。

 このあたりは無駄に野山が残っているくせに、無駄に交通量が多いものだから、翼をもがれた山鳩だとか、原型を留めないまでに引き裂かれた鼠の死骸などが早朝の道路の真ん中に野晒しにされているのも決して珍しくはない。

 だから俺がそこで自転車を停めて、そのフサフサをよく見ようと思ったのは、それが礫死体だったからではない。それが狸だったからだ。

 (こんなところにも、まだ狸なんていたんだなぁ)

 俺はポケットから携帯電話を取り出し、その狸の写真を撮った。

 (最後の一匹だったりしてな)

 そしてまた愛車に跨り、早朝の学校へと急いだのだった。


 午前の授業が終わり、中庭のいつものベンチで弁当を開けた俺は、赤黒いケチャップのついたコロッケをみて今朝の狸を思い出した。これでは流石に食欲は湧かない。俺は昼食を諦め、携帯を取り出した。あの狸の画像を削除するためである。あの時はもの珍しさに撮ってしまったが、冷静に考えるとこれは相当に気持ち悪い。すぐに消さなくては。

 おや?この狸の足元、なんか白いような…

「ああ、これが僕かぁ」

 突然どこからか声がした。あたりを見渡しても誰もいない。首を回す度に、うわぁうわぁというマヌケな声が耳元に響く。

「あんまり暴れないでよ、もう」

 まさかと思って自分の右肩をみると、そこには手乗りサイズの狸がチョコンと居座っていた。今朝のリアルすぎる狸とは異なり、こいつはその等身といい、丸と点だけで書けるような単純な目といい、まるで女児向け漫画にでてくるマスコットのようである。ぬいぐるみなのだろうか?ところどころで縫い糸らしきものがほつれて、全体的にやつれた印象を受ける。特に腹に空いた穴からちらほら覗く綿が腸に見えて仕方がない。

「うわ、気持ち悪いな」

「初対面の狸に向かってその態度はないよ」

 ぷんぷん、と漫画チックな怒り方をするが、すぐに素のひょうきんな顔に戻って

「あ、一応朝にも会ってるのか。僕死んでたけど」

 ああやっぱりそうですか。ということはあれですかね、カメラが魂を吸うというのは本当なんですかね。

「そもそもお前は狸なんか?ぬいぐるみじゃなくて?」

「そうだよ、狸だよ。狢でも穴熊でもなくてね、狸だよ。Nyctereutes procyonoidesだよ」

「…狸ってのはな、自分の学名なんかふつう知らないもんだ」

 ふーん、と気のない返事をする狸。

 いや待て冷静になれ俺。突っ込みどころはそこではないだろ。

「そもそもなんで狸が日本語喋ってるんだ」

 狸は頭を掻いて困ったような顔で答えた。

「女神さまのおかげ、かな?」

 唐突な女神の登場である。

「ちょっとまて女神って何だ。チート能力もらって異世界転生でもしたのか」

 狸はキョトンとした。表情がコロコロとよく変わるやつだ。

「確かに僕の後に来た白詰草は、四葉のクローバーに転生して、人里離れた無人島に飛ばしてもらってたね、異世界じゃないけど」

 なるほど、どうやら俺の思っていたものとはだいぶ違うようだ。

「どうもね、人間に殺された生き物たちの一部はね、この女神さまのお部屋まで連れて行ってもらえるんだってね。そして願いごとをね、二つ叶えてくれるんだって」

「じゃあさっきの白詰草なら、さしずめ『四葉になりたい』と『人間から離れたい』とかか?」

「まあ、だいたいそんなとこだろうね。人がいない土地で四葉になっても意味あるのかなぁ?」

 こいつらにそんな救済措置が与えられているとは知らなかった。…でもなぜ二つなのだろう?

「それで、お前は頭が良くなりたいとでも願ったのか?」

「うーん、たぶんだけどね」

 狸の言い方になにやら引っかかるものを感じる。

「それじゃ、二つ目の願いってのは何だ?ちんちくりんのぬいぐるみになることか?」

 そこで狸は、よくぞ聞いてくれた!とばかりに顔を輝かせた。

「それが分からないんだよ!」

「…は?」

 俺は察した。これは、面倒に巻き込まれるフラグだ。

「いやぁ、人の言葉を覚えたせいか、昔の自分の考えてたことがよく分からなくなっちゃったんだよね。ほら、よく言うでしょ?言語は思考を規定する、って」

 狸は腕を組んでうんうんと一人相槌を打つ。

「…それで?」

「一緒に、二つ目の願いを探してくれる?」

「断る」

 俺は食い気味に断固否定の態度をとった。

「なんだよ!ケチ!ひとでなし!!」

「なに言ってんだお前は?俺は人間だ、万物の霊長たるHomo sapiensだ。だからお前みたいな矮小な存在に付き合ってられるほど暇でも物好きでもないんだよ。他を当たりな」

 狸の返した反応は、軽蔑でも憤怒でも無く、憐憫であった。

「…そんなんだから、友達も彼女もいないんだよ」

「なっ!?」

 俺は大声を出して勢い良く立ち上がった。遠くで雑談していた女子二人組が驚いてこちらを振り返ったが、目を合わせるのを恐れたのか、すぐに何事も無かったかのように二人の世界へ戻った。声のトーンが明らかに低くなっている。

 俺はゆっくりと腰を戻した。

「いきなり立つから落ちちゃったじゃんか」

 狸はいつの間にやらベンチの上に落っこちていて、パタンパタンも土埃を払っていた。

「いいか、俺は友人ができないんじゃない。作らないんだ。俺と交流するにふさわしい奴に、男でも、女でも、未だ出会った試しがない。ただそれだけだ」

「…贅沢だね」

 狸は、聞こえるか聞こえないかというぐらいに小さな声で呟いた。多分、自分でも言ったことを自覚していないのだろう。

「でもね、他を当たれと言われてもね、僕は君としか話ができないみたいなんだよね。他の生き物とか、人間には姿すら見えないみたいなんだ」

「そうか、じゃあ一人でがんばるんだな」

 俺はそう言い残し、狸をベンチに放置してその場を立ち去ろうとした。が、狸は驚異的な跳躍で背中にしがみつき、右肩まで這い上がった。

「協力してくれないと、呪うよ?」

「呪えるもんなら呪ってみな。狸の呪力なんざたかが知れてる」


 それからの午後は、まさに地獄であった。あの狸が、呪いを開始したのだ。具体的にはシャーペンや消しゴムを必死に隠したり、授業中に猫だましならぬ狸だましを繰り出して俺の勉強を著しく阻害し始めたのである。俺の嫌がるタイミングを的確に逃さない嗅覚は、さすが野生生物だ。捕まえようとしても、するりするりと華麗にかわされてしまう。

 このままでは、俺の自慢の成績は急降下する。大学に入ることも能わず、浪人中もずっとこいつに阻害された俺は終に進学を諦め、しぶしぶ就職を選ぶだろう。だが、高卒で俺の満足する待遇が与えられるとはとても思えない。しかもこの狸の呪いのせいで仕事でも致命的なミスを繰り返し、ただでさえ狭い肩身がますます狭くなっていくのだ。もちろん解雇されるおそれも十二分にある。そして俺は職にあぶれ、家族からも見放されて、社会の底辺を彷徨い歩くことになるのだ。なんてこったい。

「分かった、協力しよう」

 帰りのHRが終わった頃には、俺は腹をくくっていた。

「良かったー。実はこの姿でいられるのって1日だけらしいから、結構焦ってたんだよね」

 どうやら俺は嵌められたらしい。

 しかし自分の前言を撤回するのは、俺のプライドが許さなかった。


 事情聴取兼作戦会議は、学校の近所の、寂れた小さな公園にて行うことにした。自分の経験上、この公園にはこの時間全く人気がないからである。

 公園のベンチに腰掛けた俺は、まずは正確な情報の収集にあたった。

「さて、女神とやらの詳しい話を聞かせて貰おうか」

 狸は勢い良くベンチの縁へ飛び降りた。

「僕がはっきり覚えてるのは、この姿になってからのことだけだよ。女神様は僕に向かってこう言ったんだ。『その姿は願いを叶えるまでの期間限定ですが、もし願いが叶わなくても明日の夜には消えてしまって、叶わないまま輪廻転生を遂げてしまいますから注意してください』って」

 輪廻転生か。話には聞いたことがあるが、まさか本当だったとは。白詰草の話から考えて、おそらく何かに生まれ変わりたい、という種類の願い事はこの輪廻に干渉することで実現されのだろう。つまりこの狸の願いは生まれ変わることではない。

「それでその時何故『すみませんが私は何を願ったんでしょうか』とかなんとか聞かなかったんだ?」

「まあ、その時は確かに何かを願った気はしたから、特に疑問も抱かずに女神様の御前から離れたんだよね。後ろにはいろんな生き物がずうっと一列に並んでて圧巻だったよ。他の生き物たちの願いが叶えられていく様子をぼーと眺めてるうちに、自分は何を願ったのか思い出せないことに気づいたんだ。だけどもう僕には女神様と話をする権利は無くなってた」

「お前ほんと呑気っつーか、アホだな」

 狸の頬がむーとふくらんだ。あまりに見事なふくっれっぷりで、昔七輪で焼いて食べた餅の味をを思い出した。あれはうまかった。…どこで食ったんだ?

「まあそんなにむくれんなって、ほんとのことを言っただけなんだから。それにそのボーとした観察のおかげで、その救済システムの基本ルールが分かったんだろ?」

「うん。まあ分かったのは、願いをかなえられるのは人間に殺された生き物だけなことと、かなえられる願いは二つだけってことぐらいなんだけどね。女神様が何回も対象者に説明してたから間違いないよ」

 狸のふくれた頬は、すでにしぼんでしまっていた。相変わらず感情の起伏が激しいなこいつ。

「察するに、人間に殺された人間は対象外なんだな?」

 えっ、と狸はまんまるい目をさらに丸くした。

「ああ、そういえば人間も一応生き物の分類なんだっけね、君たちの中では」

「…気になる言い方だな」

「分かった分かったよ。対象は人間に殺された、人間じゃない生き物だよ。細かい性格してるなあ全く」

 俺はもう一つ狸に質問をすることにした。昼からずっと気になっていることがあるからだ。

「白詰草の死因は、なんだったんだ?」

 思いもよらない質問だったのか、狸はすこし狼狽したようだ。

「えーと、なんだったんだろう?…たしか人間に四葉とまちがわれてむしり取られたんじゃないかな」

「なるほど」

 少しづつだが、このシステムの仕組みがわかってきた。

「なんでそんなこと聞くの?」

「お前も感じたんだろ、そいつの願い事は何かがおかしいって」

 狸はコクリと頷いた。

「たしかに四葉になれば人間の寵愛のもとで裕福な人生、いや草生が送れるだろう。だが人間のいない土地じゃあ四葉なんてただの異常形質にすぎない。せっかくの二つあるチャンスをこんな形で無駄にするなんておかしいだろ?」

「そうだけど、死因がそれに関係するの?」

「おおありだ。…これは俺の推測だがな、たぶん女神の叶える二つの願い事ってのは、死ぬ瞬間か死ぬ直前に願っていたことなんだよ」

 狸の首が90度きっかり横に倒れる。

「つまりだな、女神の御前であれやこれや考えて選択できる性質の願い事じゃないってことだ。…まあ当然だろうな、お前らには取捨選択する知恵がないんだから」

「あー、最後はともかく、なんとなく納得したよ。死ぬ間際の願いだから、叶うことを前提にしてないんだね」

 この狸、察しは悪いが理解力はそれなりにあるようだ。

「それにしても、相当に性格悪いな」

「なんで急に自己紹介?」

 狸は心底不思議そうな顔を向けてきた。

「俺じゃなくてその女神とかいうやつのことだ」

 訂正。こいつの理解力はたかが知れてる。

「一つだけ願いを叶えるのならまだしも、そいつはわざわざ二つも叶えるんだからな。願いごとの組み合わせ次第じゃ、破滅的な結果を招くことだってありうるのに」

「は め つ て き …」

 狸は一字一句、嚙みしめるように呟いた。

「お前の願いごとはどうなんだろうな」

 俺が煽ると、狸の顔面はみるみる真っ青になっていった。

 あ、これ面白い。

「ま、どうだか分かんないがな」

「怖いこと言うなよばか、ばか、ばか!」

 そう言って尻尾の先端を叩きつけてくる。フサフサして気持ちいい。

「女神様がそんなことして何の得があるんだよ!」

「そもそも女神かどうかも怪しいからな。俺には運命を弄んで楽しんでる趣味の悪い道楽者にしか見えない」

 むー、と膨れる狸。

「まあ確かに、人間の形をしてたからね。人間にはろくな奴がいないのかもね」

「まあろくでもないやつは多いな。俺は決して違うがな。断じて違うがな」

「はいはいそうですね」

 狸にため息まじり適当にあしらわれた。何でちょくちょく態度が偉そうなんだよこいつ腹立つな。

「あ、そうだ」

 狸は思い出したように叫んだ。

「僕の事故現場にもう一回行ってみようよ。君の言ってることがほんとなら、何かわかるはずだよ」

「いや、それはおそらく無駄だ」

 俺は即答した。

「なんで」

「あの辺の道路は事故が多くてな、毎朝通ってると一、二ヶ月に一度は何がしかの礫死体が転がっている」

 ごくり、と狸が唾を飲む。

「だがな、俺が学校から帰る頃にはみんなきれいさっぱり無くなっているんだ。おそらく通行人だか住人だかが自分たちで処分したり、保健所とかに通報しているんだろうな」

「そうかも知れないけど…でも行ってみないとこれ以上は何もわからないよ?」

 たしかに、いつまでもここにいても埒があかない。俺は狸を自転車の前かごに乗せ、「乗り心地悪いなぁ」などと贅沢をぬかすのをを尻目に、例の事故現場へと向かった。

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