長門の夏
椎名晴
第1話
ハンデを背負っていることがかっこいいと思っていた10代だった。
例えば、生まれつき、心臓が弱いとか、古傷があるとか、過去につらい出来事があったとか、そういうものを持っていると思い込んで生きていることに、酔っていたのである。
しかし、実際にハンデを背負ってみると、想像以上に重く、今では本当に後悔しているし、当時の自分のような考えを持っている、呟いている人間が心底嫌いだ。
そもそも、ハンデを背負うことは命がけなのだ。ハンデを背負って、倒れ、目を覚ますと、眼前に徐々にくっきりと現れる白い天井。横には、泣き腫らした目をした母親と、泣き止むまで母の傍を離れなかった父親である。
あんな思いは二度としたくない。がしかし、この先もそのような経験をする日が来るのだろうと思うと、生きていくことに憂鬱を感じる。
生きることに憂鬱を感じるなど、なんと嘆かわしいことか。せっかく拾った命と生涯を憂鬱などと……ああ、自分はなんて最低な男なのだろう。
しかし、それは素面の今でも思うことなのである。
2011年。高校3年生の夏休みの出来事。これがハンデを背負うきっかけになったと言っても過言ではない。なぜ、あの時あんな馬鹿なことをしたのか、なぜあの時、頼れる人がいなかったのか、なぜ、なぜ……後悔が活字となって押し寄せてくる夜などが未だにある。
そんな時は、コンビニで安いウォッカなんかを買って、がばがばと飲み干し、それから便所に立ち、涙目になりながら、ゲーゲーと吐き、明日も頑張ろうと嘘でも思うしかないのである。
ハンデ。僕の中でのハンデとは、病気のことである。
僕は、自分の病気のことを話したことはない。話したところで、理解してもらえるとも思えないし、同情されるのは、屈辱的である。これは、付き合った女の子にも言ったことがない。唯一知っているとすれば、両親と親戚くらいなもんだろうか。散々、迷惑をかけた学校の先生ですら、そのすべてを知らない。
だから、こんなところで、その病気のことを書き、怖さを知ってもらおう、同情してもらおうなんて気持ちはさらさらない。さらさらないから、書くこともしない。これは、あくまで、高校3年生の夏休みの出来事を、朝晩寒くなってきた冬の日、コンビニ帰りに来た一通のメールから思い出したので、書くだけのことである。
この件に関して、あと一言だけ言うとしたら、今では病気をハンデなんて思っていないが、僕のハンデは、傍から見ても、何ともないように見えるだけに、このハンデのせいで、やりたくてもできない生き方もある。ということだろうか。
さて、高校3年生の夏休みである。僕は、この夏休みを待ちに待っていた。部活を早々と引退し、高校最後の夏休みを当時付き合っていた彼女の真希とエンジョイしようと考えていたのである。
しかし、その夏休みが来る前日に、真希と喧嘩をした。些細なことだった気がするが、結局別れることにした。僕の方から振って、その夜、未成年であるにもかかわらず、煙草に手を出した。馬鹿なことをしたものである。自分から振っておいたにもかかわらず、真希とは結婚も考えていた。真希と結婚するために、進学する大学もランクを上げ、猛勉強をしていた。しかし、それがふいになった途端、人生そのものがどうでもいいものに思えたのだ。
死んでしまいたい。でも、死に方がわからない。
若気の至りというのは、このことだ。ただ、あの真希の行動は、当時の僕の器では支えきれないほど、許し難いものだったのだ。
というわけで、夏休みの予定はオールキャンセルとなってしまい、僕は途方に暮れていた。煙草に手を出した晩、コンビニで喧嘩して、仲良くなった友達から海水浴に誘われたりもしたが、断った。殴り合って仲良くなるような友情など、結局は、吊り橋効果と同じような体験をしただけで、それが冷めてしまっては、もう関わり合うことなど一生ないだろう。
その後、何年かして、風の噂で、どこかの族に入り、その辺ではかなり顔の利く人物になっていると聞いたが、あの夜から今日に至るまで、殴り合った男とは、一度も会っていない。
そんな夏休みをどう過ごすか、考えていた時に、僕はふとこう思ったのである。
「旅をしよう」と。
なぜ、旅なのか、わからなかったが、刺青と剃りの入った男たちと浜辺でナンパをするよりは、よっぽどいいと思った。決めたらすぐのタイプな僕は、とりあえず財布を確認した。5000円とちょっとしか入っていなかった気がする。少ないと思うかもしれないが、高校生のお小遣いなど、そんなものだ。
しかしこれでは、広島県からなるべく近場でないといけない。そう考えた僕は、広島県から一番近い県外はどこか考えた。両隣の岡山県か山口県、或るいは、北の島根県か、南の愛媛県ということになる。愛媛か……しかし、愛媛は住んでいた時期が長いだけに、今回は見送った。行ったことのない土地に行ってみたかったのである。
となると、岡山は行ったことがあるので没。あとは、山口か島根。出雲大社か尊敬する人物高杉晋作の生家。迷いはなかった。
僕は、荷物をまとめ、5000円ちょっと入った財布をジーパンの後ろポケットに入れて、電車に乗った。JR山陽本線。岩国行き。山口へ行くことにしたのである。知り合いはない。アルバイト先どころか、泊まる場所ですら確保できていない、これだけ聞くと、まるで自殺をしに行くようなものである。
その日の電車は、意外と空いていた。進行方向から左の窓側の席に座り、隣には着替えや歯ブラシなど最低限の物しか入っていないバッグを置いた。こうすれば、誰も隣に座ってこない。
窓外の景色は、八本松を過ぎた辺りですぐに退屈になった。田んぼか畑、時々川が見えたが、泳げるようなものではない。この八本松、瀬野間。なんと10分もあり、各駅停車でこれだけ長い区間の駅を他に知らない。
車内では、そんな退屈な景色を肘をついて眺めながら過ごした。たまに、目の前の座席におばあちゃんや、おじいちゃんが乗ってくることもあったが、大体が5駅くらいすると降りていく。「あの、そんな大きな荷物持ってどこ行くんですか?」と聞いてくる女子高生もいたが、聞こえないフリをしてだんまりを決め込んだ。可愛かったが、真希のことを自分でも驚くほど、引きずっていたのだ。
大体、誰のせいでこんなことをしているのか。当時の僕は、本当に器が狭く、これを真希のせいにした。これで死んだら真希のことを恨んでやろうとさえ思っていた。旅のきっかけは、真希への当てつけでもあったのだ。本当に愚かだったと思う。
両親への連絡は一応した。「夏休みの間、友達の家に泊まる」と嘘をついて。両親は、当時、可愛い子には旅をさせよ主義だったので、宮島口を過ぎた辺りで「そのまま帰ってこなくてもOK!」と僕ですら使ったことがないような絵文字付きのメールが来たので、問題なかった。
唯一の問題があるとするなら、どこの駅で降りるかである。
一応、岩国までの切符、1320円は買ってある。とりあえず、岩国で降りてから考えよう。そう心に決めて、バッグを漁った。手に取ったのは、太宰治の本だった。何という題名の本かは忘れたが、あのブドウ。カバーを外して、現れるあのブドウが描かれていたのは覚えている。
思えばあのブドウ。父がよく寝る前に読んでいた本にも描かれていた。僕は、本をそれほど読むほうじゃないが、父が枕元に置いていた本だけは、全部読んでいた。中学の頃、学校帰りに、制服のまま万年床に寝転び、父の枕元に置かれていた太宰治の「人間失格」を手に取った。読んでみると、これがまあ意味が分からない。ただ、意味が分からないからこそ、大人びているような感じがして、わからない漢字を飛ばしながらふんふんと物思いに耽って読んだ。不思議とそれが面白く感じた。ちなみに、今でも「人間失格」がなぜ、どう失格だったのかわからないままである。
僕は電車の中で太宰治を読み耽って過ごした。少し、トイレに行きたい気がしたが、岩国まで我慢した。その間も、まあ、広島の人間或いは山口の人間というものはお節介で、「何読んでるんですか?」とか「どこに行かれるんですか?」だの聞かれたが、それを無視して読み進め、やがて、岩国に着いた。14時頃のことである。
改札を抜け、当初の予定通り山口へ入ったものの、何をどうすればいいのかもわからない。所持金はまだ4000円強ある。この4000円でカプセルホテルでも借りれば、一夜は過ごせる。それどころか、このまま引き返せば、夕飯までには余裕で間に合う。今の僕なら間違いなく引き返すところだろう。しかし、この時の僕は、いざとなれば誰かが助けてくれるだろうとそんな甘い考えを持っていた。
よし、萩まで行ってやろう。
まったく、今考えると馬鹿な話である。萩までは、片道で3670円かかる。単純計算でここまで来た電車賃と合わせると、4990円である。多少の小銭はあったが、そこでアルバイトをして、給料が入るまでの日数をどうやって過ごすのか。そこまで考えられないほど、真希のことを引きずっていたのか、或いは、進学校に限って、考え方が現実的ではないのか、そのどちらかである。
僕は、萩までの電車賃、3670円の切符を買い、下関行きの電車に乗り換えた。ここでも、すんなりと窓際の席を座れ、今度は進行方向から右側の席に座った。
電車が動き出し、その途端、トイレに行っておけばよかったと後悔した。萩までは4時間半かかる。法律的にはまだ子供だったが、大きな子供だ。これでは、萩に着くまでに恥をかいてしまう。しかしまあ、それはそれで面白い旅になりそうだと、まったくもってばかばかしい。
結局、我慢できずに、萩よりかなり手前の厚狭駅で降りた。右手にカバン、左手は股間、それから変な足取りで急いでトイレに駆け込んだ。しかし、こういう時に限って意外と出るのが遅く、これならゆっくり歩いていても間に合っていたんじゃないだろうかという気持ちになり、急に恥ずかしくなった。
それから、また再び電車に乗り、厚狭から萩を目指せばいいと思っていたが、この時は、忘れもしない、当時の僕も、おそらく今の僕ですら予期せぬ事態が起こっていたのである。
厚狭から萩へ行くには、JR美祢線に乗り、長門市駅でJR山陽本線・奈古行きに乗り換えなければいけないのだが、この美祢線。なんと、夏の前にあった2010年の7月の大雨によって、美祢線は全線不通になっていたのだ。そのため、美祢線は代行バスを出していて、そこからはバス移動になった。
電車からバスに変わっただけで、何も問題はない。むしろ、新鮮で良かったのだが、このバス。物凄く揺れるのだ。山道を登っているのかというほど、身体ががくんとなる。また乗客は、学校帰りの地元の高校生ばかりで、この高校生の会話がものすごく。まるで、僕を指差し、「あの人の私服ダサくない?」と笑われていそうな感覚に陥る。それを払拭しようと太宰先生に頼るが、今度は「うわー、なんか難しそうな本を読んでる。何? 自分に酔ってるのかな?」と笑われていそうな感覚に陥り、一刻も早くその場を抜け出したかった。
そんな調子で、長門市駅に着いた頃には、肉体的にも精神的にも疲労困憊で、とても次の奈古行きの電車に乗る気分ではなくなった。
長門市駅。今思い出そうとしても情景が浮かばないくらい、地元である、広島県西条市とは比べ物にならないくらいの田舎だった。何やら栄えていない商店街があったような気がする。合コンで言えば、ハズレである。そんな第一印象だった。
所持金は、結局、萩行きまでの切符分しっかり引かれ、小銭がゴロゴロするばかりである。小学生の貯金額よりも少なく、とてもじゃないがこんなところまで両親も車を出すことはできない。まるで、ホームレスにでもなった気分を高校3年生にして味わった。
お腹も空いてくる。すぐ近くに大きなスーパーがあったが、そこでパンを買うのも惜しい。この小銭は、本当に死にそうになったときだけ使うようにしなければ、とてもじゃないが生きていけない。いや、むしろ、この状況下で生きていける気がしない。動くとお腹が減る。仕方なく、駅にあるベンチに大きなバッグと隣り合って座って、田舎の風景と対峙しなければならない。
こんなことなら旅なんてしなければよかった。そこでやっと常人の気持ちになり、それからは孤独と空腹と戦う。この先の人生、こんなことばかりなのだろうかと思うと、目眩がしてきた。これもすべて真希のせいだ。
そう思うと、真希に電話をしてみたくなった。真希の声を聞けば、何とか頑張れそうな気がするし、真希が傍にいてくれたなら、しっかりしなければという気持ちになっていたかもしれない。しかし、もう真希は僕の真希ではない。自分で振ったのだから、尚のこと弱音を吐きたくない。もし、真希が今の僕を見て、「私が傍に居てあげるから」なんて言うと思うと、それだけで虫唾が走る。こうなると、真希に頼りたいのか、そうじゃないのかわからなくなってくる。好きか嫌いかでさえわからなくなってくる。
思考回路がめちゃくちゃで、ああ、あの電柱がプリッツに変わればどんな味がするだろうか、なんて考えるようになった。足元を見ると、雑草が生えていて、これを天ぷらにして食べたら乙なものだろうか。タクシーの運転手が食べるおにぎりが可哀想で、僕みたいな若い男に食べられた方がおにぎりも幸せだろうに。鳩が地面のタイルの隙間を啄むを見て、何か美味しいものでも落ちているのだろうか。人間にはわからない、鳩にしかわからない何か珍味のようなものでも落ちているんじゃないだろうか。そんなことを考えているうちに、お腹がぐうっと鳴り、泣きたくなってきた。泣けば、誰かが助けてくれやしないか。泣いてみようとでさえ本気で思った。
ちょうどその時、僕の座っているベンチの隣のベンチに一人の女性が座った。歳は、20代後半。小綺麗な格好で、黒く長い髪を掻き分けながら、煙草に火をつけていた。そこで、初めて煙草の存在に気づいた。煙草を吸えば多少、気が紛れるかもしれない。そう考えた僕は、女性よりちょっと遅れて煙草に火をつけた。
以前は煙草は嫌いだった。父が手の付けられないくらいのヘビースモーカーで、僕が小児喘息を患ったのは、間違いなく父のせいだった。そんな煙草を、父を毛嫌いしていた。にもかかわらず、こうして今では自分が父と同じ銘柄の煙草を吸っているもんだから、世の中どうなるものかわかったもんじゃない。
コンビニでヤンキーと殴り合った後、お互いにお互いの煙草に火をつけ合って、朝まで話し込んだ。あの夜明けほど楽しく、痛く、充実したものはなかった。その男曰く、僕は喧嘩の質がいいらしい。しかし、僕の腕は細く、これのどこが素質がいいのかわからなかったが、ボールペンの先を刺すのと、シャーペンの先を刺す違いと一緒だと聞き、納得した。教養も多少ある男だった。だから、未成年で煙草を吸う人はみんなろくな人間じゃない、世間からのはみ出し者だという考えは、間違いなのだろう。むしろ、そういう人のほうが常識人が多いと、大人になった今でも思う。
「キミ、不良くん?」
急に隣の女性から声をかけられ、僕は危うく煙草を落としてしまうところだった。女性は声が透き通っていて、さっきまでは横顔だったからわからなかったが、整った顔立ちをしていた。可愛いではなく、綺麗、美しいという言葉が似合う、そんな女性だった。
「いや、不良じゃないですよ?」僕は平静さを取り戻し、答えた。
「でも、未成年でしょ?」
「未成年で煙草吸うなんか当たり前じゃないですか?」
「まあ、それもそうかもね」
女性は、すっかり僕に興味をなくしたのか、黙ってしまった。そもそも興味があったのかもわからない。いや、むしろ、僕の方が興味が沸いてきた。
「お姉さん、ここで何してるんですか?」
普段はこんなこと聞けるような人間ではないのだが、この時は、なぜかこの女性に惹かれるものがあった。確かに、綺麗で美しいのもそうだが、それだけじゃない、言葉で表せない何かがあった。
「ナンパよ。逆ナン」
女性は少し考え、そう言い、煙草を咥えてケータイをいじりだした。
「逆ナンってことは、僕に声かけたのもそういうことですか?」
「まあね。でも、お金持ってなさそうだし、おまけに未成年だし、ハズレね」
この女性、上手いことを言うなと思った。
「しかしまあ、ハズレくじかもしれないですけど、そのハズレくじも時には役に立つことだってありませんか?」
「あら、例えば?」
「景品がティッシュだとしたら、公衆トイレに入って、紙がなくても代用できますし」
しかし、女性は公衆トイレを使わないタイプだったらしく、「そうね」と3文字。たった、3文字でこの会話を終わらせてしまった。
「しっかし、今日はいい天気ですね」
自分でもびっくりするほど、つまらないことを言ってしまい、ますますドツボにはまっていく。
「キミ、私のこと口説こうとしてる?」
そう言われると、そうなのだが、意味が違う。
「実は、広島から所持金5000円で旅してきて、お金が底をついちゃって。嘘じゃないですよ、ほら、この通り」
僕は、買ったばかりのコムサの財布を頼まれてもいないのに、女性に見せびらかせた。女性も付き合いのつもりで財布を覗いて「あら、ホント」と今度は5文字。間、句読点をつけて6文字で小学生並みの感想を言った。
しびれを切らし、僕は「なんで、旅してるか聞かないんですか?」と聞いてみた。
「旅に理由が必要なの?」
「必要だったんです。僕にとっては。実は、失恋をしまして……」
また聞かれもせずに真希のことを話した。付き合うきっかけから、別れることになった喧嘩の原因まで、1年間を20分ほど使って説明をした。女性の方も、これには興味があったらしく、「それで?」とか「それはキミが悪いわよ」だの、反応があった。
「それで、旅をして、所持金ギリギリで長門に来たのね」
僕は頷いた。
「で、今晩どうするの?」
「決めてないんです」
「決めてないって、ホテルは?」
「だから、お金がないんですよ」
「そ、それってカードとかもないの?」
カードと言われて、TSUTAYAのカードや変な顔写真入りの学生証なんかを見せたが、女性は半分呆れたようだった。
「じゃあ、しばらくの間、うちに来る?」
待っていましたと言わんばかりに僕は大きな声で返事をした。やはり山口の人間はお節介だが、優しい。すっかり話し込んでいて、日が暮れ始めたこともあり、女性行きつけの焼き鳥屋に入り、ビールで乾杯した。その女性の行きつけということもあり、店のおばさんも僕が未成年かどうかの確認はしなかった。もしかしたら、未成年であることを薄々気づいていたのかもしれない。悪いとは思ったが、女性が勝手に注文し、僕の目の前にジョッキを置かれてしまっては、断るわけにもいかない。
女性は、みゆと言った。どういう字を書くのかは知らない。以前、この近くのスーパーのテナントにある雑貨屋で働いたらしいが、長続きせず辞めて、今は、コンビニでアルバイトをしながら、行政書士の資格を取るために勉強中らしい。
「つまり、フリーターってことですよね?」
お酒が入っていたせいで、これからお世話になる女性に対して失礼な発言だが、みゆさんも同じように酔いが回っていて、「フリーター万歳!」とジョッキを掲げる始末だ。この「フリーター万歳!」でこの日、5回乾杯をした。楽しい夜だった。
それからみゆさんの住んでいる一人暮らしのアパートへと行った。
みゆさんは、相当お酒が好きらしく、家に帰ってからも飲もうと誘ってきた。冷蔵庫を開けると、缶ビールの宝庫で、将来、就職難でフリーターになったとしても、こんなフリーターにだけはなりたくないと心に決めた。
缶酎ハイを二人で6、7本開けた後、みゆさんと寝た。みゆさんの下で寝たのである。僕にとっては初めての夜だった。何がどうとかそういうことは全く覚えていないほど、お互いに酔いつぶれていて、朝起きてからが大変だった。二人で小さな机に並べられた缶酎ハイの空き缶を見、それから割れるように痛い頭を押さえながら整理した。焼き鳥屋を出るまではお互いに記憶があり、それから家で飲むことになり、目を覚ますと、二人の身体が覆い重なっていた。ここまではいい。問題は、どちらが先に誘ったかだ。
僕の記憶では、間違いなくみゆさんだ。確か、みゆさんの方がキスをしてきて、「酒臭い」と一蹴したにもかかわらず、性懲りもなく、キスをしてきて、僕のズボンに手をかけてきたはずだ。しかし、みゆさんはみゆさんで、僕の方がいきなりみゆさんにがばっと覆いかぶさってきた、無理矢理そういう行為に及んだと主張する。判決の結果は、僕が折れることで納得し、それから、僕はトイレ、みゆさんは流しで嘔吐した。
ちなみに、迎え酒を覚えたのはこの時で、みゆさんが「二日酔いには酒で迎え撃つのが一番」と言うので、仕方なく付き合うと、二日酔いが治ったような気がして、身体が楽になった。それからお昼になるまでの記憶はばっちりと覚えているので、僕の中ではこれを初体験にしたいところだ。
みゆさんは、初めに出会った女性とは思えないほど、行儀が悪く、ベッドから細くて白い足を伸ばして雑誌を掴む。なんという体たらくだろうと思った。しかしまあ、顔立ちは良く、服のセンスも申し分ないので、そんな女性とこうして一つ屋根の下、過ごせるのだから、この先どんな不幸なことがあっても笑顔で乗り越えられそうな気がした。
みゆさんとそんなダラダラした生活を過ごして、3日が経ち、母から「今、どこにいるの? 元気にしてるの?」とメールが来た。
僕は、みゆさんに「僕らってもう友達ですよね?」と聞いてみた。
「そうだねー。友達だね」
そのみゆさんの言葉で、安心し、母にメールを返信した。しかし、これはみゆさんとは一緒になれないということでもあり、もし、僕が未成年ではなく、立派な成人だったとしたら、きっとこの人と結婚をしていただろうと今でも思う。それぐらい、僕にとっては勿体ない女性だった。
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