第5話 チャイム、『人間界』を学ぶ


 「なあ…そろそろお前の考えを聞かせてくれないか?」


 取り敢えずオレとチャイムはもう一度『人間界』のオレの家へとやって来ていた。

そして今はオレの部屋に居る。


「いや~せっかく僕も君を介してだけど二つの世界を行き来出来る様になったんだ…『人間界』の知識や文化を…人間と言う存在自体をもっと知りたいんだよ

 そうすれば『精霊界』で九十九がやろうとしているあやめの救出作戦の手助けになれるかも知れないと思ったからね…」


 オレの部屋の机の上にちょこんとアヒル座りしながらそう提案するチャイム。

 一瞬可愛いと思ってしまったのは本人には秘密だ。


「それは在り難い…確かにお前の言う事も一理有るな…」


 さっきの両方の世界の往復実験で分かった事で『現在の世界の滞在時間が移動先の世界では時間が経過していない事になっている』と言うのが有るので、『人間界こちら』でチャイムがどれだけ勉強に時間を掛けても何の問題も無い。

 それならいっその事、彼女が満足するまで…いややはり期限は設けた方がいいか…短期間でも『人間界こちら』の事を学べるだけ学んでもらうのも悪くない。

 何よりあやめちゃん救出作戦をオレ一人で実行するのは難しいとさっき痛感したのもある。

 考察も一人より二人で話し合った方が思わぬ妙案が浮かぶ事があるかも知れない。


「分かった…その提案を飲もう…但しまずは今日一日だけだぞ?」


「わぁ…ありがとう九十九!!」


 チャイムはスーっと飛び上がると僕の肩に乗っかり…


 ちゅっ!!


 と俺の頬にキスをして来た!!


「わわわっ…!! そんな事どこで覚えた!?」


 突然の事に出来事に思い切り動揺してしまった…


「あ~これ? これならこの本に…」


 チャイムが指差した本は俺の秘蔵の…!!


「こう言うのは君にはまだ早い…」


 大慌てでその本をひったくり背中に隠す。

 体中に冷や汗を掻くオレ。


「勉強と言うならまずは…そうだな…図書館に行くか」


 何とか誤魔化してオレはチャイムと共に町立の図書館を目指した。




 チャイムにはショルダーバッグに入ってもらい程なくして町立の図書館に到着した。

 煉瓦調の薄茶色の外壁、正面は天井の方までガラス張りで日中ならば建物の奥まで日光が届く。

 あまり規模の大きな施設ではないがそんなに専門的で膨大な情報を集める訳では無いのでこれでいい。


「はぁ~ここが図書館か~本がいっぱいだ…」


 チャイムがリュックのジッパーをちょっとだけ開きぴょこっと顔を出し物珍しそうに館内を見渡す。


「あんまり大きな声を出すなよ? 図書館はみんなが静かに読書したり勉強したりする場所なんだから」


 それ以前にここで妖精が見つかると大騒ぎになってしまう。


「う~ん…どの本がいいかな…いきなり難しい事から始めても駄目だろうし…」


「ねえ九十九、僕はさっきも言った通り『人間』とは何かを知りたいな…

 それと『建物』…『人間界』に来たら物凄い数の色んな形と色の建物が有るじゃないか… 

 『精霊界』では絶対にお目に掛かれない物だからね」


 九十九の首筋に張り付きチャイムが囁く。


「そうか、じゃあこの『人体の仕組み』とか…建築物の写真集なんていいかも知れないな…」


 オレは数冊の図鑑と写真集を取り貸出カウンターへと持って行く。


「何をしてるんだい?」


「図書館ってのは本の貸し出しもしてくれるんだ、このカウンターで手続きをしてね、ここじゃお前が堂々と本を見る事が出来ないだろう?」


 尚も質問してくるチャイムに小声で答えていると…。


「…? 何か?」


「いえいえ!! 何でもありません…ありがとうございました~!!」


 目の前で一人でブツブツ言っているオレを不思議がる図書館職員の女性。

 視線に耐え兼ね借りた本をバッグに詰めると逃げる様に図書館を後にした


「一雨きそうだな…」


 空を埋め尽くす灰色の雲を見上げてつぶやく。

 程なくしてぽつぽつと水滴が落ち始めた。


「これは何だい九十九? 空から水が落ちてくるよ?」


「うん? 雨のことか?」


「雨…これは雨っていうのかい?」


「そうだ、太陽光で暖められた地上の水分は蒸発して空に上がって雲になる…

 そして様々な気象条件が重なった時、雨となってまた地上に降りてくるのさ…

 詳しいことは借りてきた本の中に書いてあるはずだよ」


「そうか、それは楽しみだね」


 オレの部屋に戻るなりチャイムが早速本を広げ、その上に腹這いに寝そべりながら文字にかぶり付く。


「…ふむふむ…人間の体重の70パーセントは水なんだ…タンパク質、アミノ酸、糖、その他色々…それらがデオキシリボ核酸と言う設計図に則って人体を形成していると…」


 人体構造に関する情報が載っている図鑑を読み上げ何やら専門用語をブツブツと呟いている。

 そもそも人間であるオレたちだって常日頃そんな事を自覚して生活している訳では無い…正直感心してしまう。


「へぇ…お前もうそんなに理解してるのか?」


「まさか~人間界に来てからの経験すべてが僕にとっては初体験さ…

 これらの用語だって何の事だかさっぱりさ」


 両手の平を上に向け首を振る。

 まあそれはそうか…オレも苦笑いで返す。

 いや…ちょっと待て!! あまりに当たり前に話が進んでいたから気にして無かったがこれは…


「なあチャイム…今気が付いたんだがお前…何で本が、文字が読めるんだ?」


 この際、会話が出来ているのは百歩譲ろう…いやそれも謎ではあるのだが…きっと直に精神に語り掛けたりしているのだろう…しかし文字ばかりは説明が付かない。


「あ~そうか、九十九にとっては不可解に思うんだね…君に会ったばかりの時に少し話したかも知れないけど僕たち精霊は相手から存在や意志を感じ取る事が出来るから基本的に会話や個々の識別…名前などは必要では無いとね」


「…確かにそんなような事を言ってたな…」


 内容が漠然としていてイマイチピンと来ないんだが…。


「それと同様に文字からも存在を感じ取りその文字がなんて書いてあるのか知る事はそんなに難しい事では無いんだよ…誰かが意図的にそれを妨害でもしていない限りはね」


「…そっ…そうなのか?」


 むむむ…さっぱり分からんが…とにかくチャイムは文字が読めると言う事だ。

 それでよし!! 深く考えるのは止めよう…。


 チャイムの好奇心は旺盛であった。

 図書館から帰って来てからもう五、六時間くらいはぶっ通しで読書と彼女が疑問に思った事に対しての質問とそれに対してのオレの回答が続いた。

 オレが学校のテスト前でもやらない事をこいつは実に楽しそうに取り組んでいる。

 そして空が少しづつ茜色に染まり出すとチャイムがいきなり窓ガラスにへばり付き感嘆の声を上げる。


「うわ~!! 何だいあの空の色は!? とても美しいね!!」


 窓からの景色は空色から徐々にオレンジや薄紫などに様々な色のグラデーションが掛かっている…映画業界などでは『マジックアワー』なんて呼ばれていて実に幻想的で絵になる瞬間である。


「そう言えば『精霊界あっち』には夕暮れは無いのか?」


「うん、ずっと明るい昼間のままさ…雨なんか降った事も無いよ」


 窓の外の景色に見惚れこちらに背を向けたままチャイムは答える。

 晴れが続くのはいいが、それはそれで味気ないだろうな。


「じゃあ…あの花畑の花は枯れないのか?」


「時間経過が存在しないからね、踏み荒らせば散るかも知れないけど朽ちる事は無いんだ」


 なるほどね…。


 おっと! こうしちゃいられない。

 今日中に一度、『精霊界あちら』の様子を見ておきたい。

 いくらお互いの世界の時間が繋がっていないとは言え、あやめちゃんをずっと一人にしておけない。

 夜になり真っ暗になってしまったら『神隠しの山』の山道に近付けなくなってしまう。

 そもそも立入禁止区域だ、懐中電灯を照らしながら歩くと目立ってしまうので避けたい所だ。


 図書館から借りて来た書籍は一週間以内に返せばよいから部屋にそのままにしてオレとチャイムは急いで『精霊界あちら』戻る事にした。


「よし!! それじゃあ戻るとするか」


「あっ…ちょっと待って九十九!!」


「どうした? もう時間が無いぞ?」


 オレはドタドタとその場で足踏みをする。


「あれ…持って行けないかい?」


 チャイムが指差す先には本棚があり、その上には食玩のフィギュアたちが数体並んでいる。

 チャイムが憑依しているフィギュアと同シリーズの別の美少女キャラやロボット等色々だ。


「そんなものどうするんだ?」


「仲間を増やしたいんだよ…僕みたいに実体を持った精霊のね…」


「えっ…? どうしてそんな事を?」


 何だ? もしかして寂しくなったとか?


「それは『精霊界あっち』で説明するよ…ほら時間が無いんでしょう?」


「…あっ…ああそうだな…」


 取り合えずオレは手当たり次第のフィギュアや小物をその本棚からさらい、いつものショルダーバッグに詰め込んだ。

 人型をしていない物もあったが今は選別している余裕が無い。

 そして大急ぎで家を出て『神隠しの山』の山道に向かい何とか暗くなる前に『精霊界』へと戻る事が出来たのであった。

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