第55話:荒ぶる会合

 会合の間中、影狼は柘榴のことが気になって仕方がなかった。

 柘榴はまだ一言も発言がない。他国も大名以外が直接話に加わることはほぼなかったから、それが普通なのだろう。しかし柘榴がそこにいるというだけで、影狼は心臓を握られているような気分になるのである。

 そして東国同盟盟主の近藤隼人――今は隆介を名乗っているこの男も、どことなく嫌な感じがした。見た目が怖いのもそうだが、うっかり目が合いそうになると、首筋に刃を突きつけられたような冷たい感覚に襲われる。これが殲鬼隊すべてを束ねた男の貫録なのだろうか――

 突然、大広間が活気づき、影狼は我に返った。ちょうど仁科にしな基次もとつぐという男が、報告を終えたところである。彼は信濃大名――松平兼定の代理として、今回の会合に出ている。

「そうか。とうとう兼定が……」

「やはり伽羅倶利峠での大勝が決め手となったようじゃな。皇国の軍力が落ちた今なら、一気に領地を取り戻せるぞ」

 長らく守備に徹していた兼定が攻勢に出るとのことだった。膠着していた朝幕の戦争にようやく変化が見られ、大名たちは楽しみで仕方がないといった様子だ。

「承知した。その時が来たら上野国も参戦する。兼定によろしく伝えよ」

「ははっ!」

 仁科が一礼して、話が一区切りついたところで、その向かい側に座っていた老人が口を開いた。甲斐大名の来方響である。

「よろしいのですかな? 上野国が皇国に兵を割けば、お隣の越後国が黙っておりますまい。なにしろ鴉天狗の亡命先でもありますからな」

 ―――来た!

 ここで初めて、鴉天狗の名が出てきた。もうすぐ自分の番が来るのではないかと思い、影狼は気を引き締める。

 来方の問いかけに応じたのは、あの古代人のような髪型をした男だった。

「越後のことならば心配ありませんよ。密偵からの情報によれば、大名の義秋が先月亡くなったそうです。しかも後継者を巡って内乱が起きているのだとか。長くは続かないでしょうが、国力の低下は必至。しばらくは身動きがとれないはずです」

 大名たちがまたざわついた。義秋が没したという一ヶ月前の情報でさえ、誰も把握していなかったようだ。それだけ越後の情報封鎖は徹底していたということだが、それを出し抜くだけの密偵を上野国は抱えているらしい。

「ひょっひょっひょっ……もうそんなことまで分かっておるのか。相変わらず抜け目がないのう」

 影狼は内乱が起きていると聞いて、鴉天狗の仲間たちが心配になった。

 彼らは強い。強いからこそ、戦に巻き込まれることになるだろう。戦場に放り込まれるのはまだいい方で、最悪の場合、危険視されて一方的に虐殺されることもあり得る。

 そこまで思い至った時、影狼は首筋に冷たいものを感じた。

 刃を突きつけられたようなこの感覚は――

「そういえば、笹暮から鴉天狗について話があるそうだな。今聞いておこうか」

 近藤隆介が、こちらを見ていた。

「はっ! では僭越ながら……」

 笹暮は弾かれたように席を立ち、話を始めた。

「鴉天狗の叛乱は妖派との対立に端を発したものであります。これは両者の問題を解決できなかった私たちにも責任があると言えましょう。しかしながら、これまで私たちが議論してきたのは、鵺丸が妖派を襲撃した事件のことばかりで、肝心の背景についてはほとんど触れておりません。惨事を繰り返さないためにも、なぜ鴉天狗が叛乱を起こすに至ったのかを考えるべきではないでしょうか」

 それから影狼にも起立を促した。

「本日は参考人として、鴉天狗に所属していた者をお連れしました。名は影狼と言います。どうぞよろしくお願いいたします」

 影狼が緊張した面持ちで一礼すると、大名たちから拍手が湧き起こった。

 やがて拍手が止むと、さっそく大名から質問があった。

「鴉天狗が侵蝕人の扱いを巡って妖派と揉めていたことは、皆知っていることだ。今さらそんなことについて話す必要があるのか?」

「あります」笹暮ははっきりと言った。「侵蝕人を巡って揉めたことは、両者の対立のきっかけに過ぎません。それ以来、鴉天狗は妖派から様々な嫌がらせを受けていたといいます」

「ほう……それで怒った鵺丸が妖派を襲撃したと」

「恐らくは。しかしそれだけではここまでの大事にはならなかったでしょう。一時の怒りに任せた凶行ならば、鴉天狗は鵺丸の首を差し出し、許しを請うべきでした。しかし実際には鴉天狗のほぼ全員が鵺丸に従い、我々と戦うことを選びました。彼らには怒りだけでなく、戦わなければならないだけの理由があったように思えます」

 広間が静寂に包まれる。それは大名たちが関心を抱いていないからなのか、考え込んでいるからなのか、判断がつかないところであった。

 そこで笹暮は、もう一歩踏み込んだ話を持ち出した。

「皆様は、鴉天狗と妖派には、過去にも刃傷沙汰があったことをご存じですか?」

「!?」

 途端、大名たちの目の色が変わった。

「そんな話……聞いたことがないぞ!? でっち上げではないか?」

「私も影狼から聞いて初めて知りました」笹暮は言った。「事件の詳細は影狼の証言を頼る他ありませんが、刃傷沙汰があったことは間違いありません」

 それから笹暮は、影狼の証言をもとにした事件のあらましを語った。

 二年ほど前に、妖派の施設から脱走した妖怪を、鴉天狗が狩ってしまったことがあった。それから一悶着があり、間もなくして、鴉天狗の集落に突如妖怪が出現した。さらに妖派を名乗る者が集落に立ち入り、妖怪退治を妨害した。すべて、影狼が直に体験した出来事だ。

 大名たちは興味深げに話を聞いていた。しかし影狼からすれば、これだけ重大なことを彼らが知らないことが驚きだった。この事件のことは、鴉天狗が幕府に繰り返し訴えてきたはずなのに。幕府に――

「!」

 とんでもない事実に気付いてしまった気がして、影狼はゾッとした。

 幕府はもう六年も前になくなっている。そしてそれは、長い間秘密にされていたことだ。鴉天狗の幹部たちはそれを知っていただろうか。知らなかったとしたら、これまで鴉天狗は、一体どこに妖派の悪業を訴えていたというのか。

「柘榴! 今の話は本当か!?」

 笹暮の話が終わると、大名の一人が柘榴に問いただした。

 退屈そうにしていた柘榴は、少しだけ居住まいを正して答える。

「鴉天狗となにかしらの騒動があったことは確かです。八幡に駐在していた私の部下が、鴉天狗に捕まりましたから。しかし最終的には証拠不十分で不問となったはずです」

 現場に居合わせなかった柘榴から聞けるのはそれだけだ。真実を知っていたとしても言わないだろう。

「妖派の捕虜、破壊された集落、妖怪の亡骸、目撃者。鴉天狗が用意できる証拠はいくらでもあったはずですが……事件の捜査はどこが担当したのですか?」

 笹暮が言った。こうなったら事件を捜査した者から直接話を聞くのが手っ取り早い。

「儂の所じゃよ」

 ひょろっと手を挙げてそう答えたのは、甲斐大名の来方響であった。

 広間が騒然となったのは言うまでもない。甲斐国が妖派の熱烈な支持者であることは、誰もが知るところである。

「なんといい加減な……! それでは妖派が有利になるに決まっている。不公平だ!」

 ここにきて初めて、鴉天狗寄りの意見が飛び出した。これはいい流れだ――影狼がそう思った時のことだった。

 突如、大きな笑い声がして、白熱しかけていたその場を凍りつかせた。

 場にそぐわない下卑た笑い声を上げていたのは、絶大な発言力を持っておきながら、この議題にまったく参加していなかった人物。東国同盟盟主――近藤隆介であった。

「つまらぬことにこだわるな。不公平がどうしたと?」一つだけの目を、近藤はすっと細めた。「仮にその小僧の言ったことが真実だったとして、妖派を罰することになんの意味がある? 東国同盟にとってなに一ついいことがないではないか」

 それまでの議論を丸々蹴飛ばすような、横暴極まりない物言い。

 だが誰も、それに異を唱えようとはしない。言葉を発するどころか、身動き一つできずにいる。

 会合が始まった時から、影狼はこの男に威圧感を感じていたが、それは大名たちも同じようであった。この男を盟主たらしめているのは、大名たちからの信任ではなく、畏れなのかもしれない。

「恐れながら……盟主様」異様な静けさを破ったのは、笹暮だった。「鴉天狗の叛乱によってすでに百人以上の犠牲者が出ております。我々が鴉天狗、妖派の問題に真摯に向き合っていれば、それが防げたかもしれないのです。なにゆえつまらぬこととおっしゃいますか」

「ふん……不穏分子をあぶり出せたのなら好都合だ。本来であれば、磁水関所で鴉天狗を殲滅できたはずなのだがな」

「……!」

 悪夢の大失態を持ち出され、流石に笹暮も返す言葉がない。

 しかしそれを今責めるのは筋違いだ。これではあまりにも笹暮が――隣に座る影狼は、憤りを隠しきれなかった。あれだけ目を合わせるのを恐れていた近藤を、キッと睨みつける。

 それを見兼ねたのか、盟主の補佐役である古代人風の男が動いた。

「笹暮殿。今日は概要だけというお約束です。続きはまたの機会に話すこととしましょう」

 近藤はすぐさま「いらん」と吐き捨てたが、皆で決めることだからと古代人が諌めた。

 おかしな髪型をしているが、彼がいることで、東国同盟はかなり救われているように思える。広間に和やかな雰囲気が戻って来た。

 だが次の議題に進もうというところで、笹暮が待ったをかけた。

「最後に一つだけ、お願いしたいことがございます」

 まだなにかあるのだろうか。影狼は期待して次の言葉を待つ。

「影狼は武蔵国が保護することにいたします。つきましては、東国同盟の皆様には影狼に一切手出しをしないよう、お約束していただきたい」

「!?」

 途端、大名たちの顔がこわばった。

 近藤が、猜疑の目を笹暮に向ける。東国同盟に敵する鴉天狗の一員を保護。その意味するところは――

「なんのつもりだ? 説明しろ」

「証人の身の安全は保障されて然るべきと考えてのことです」笹暮は臆することなく言った。「影狼は未だ賊徒として追われる身。今日も私がいなければ、問答無用で捕まっていたでしょう。このような状況で、どうして偏りのない証言が得られましょうか」

 笹暮は、腕組みしている柘榴をチラリと見遣り、さらに続けた。

「私の所に来る前、影狼は妖派の捕虜でしたが、その時には妖派にとって有利となるような証言を求められていたと聞きます。今後はそのようなことがないようにしていただきたいのです」

 言わずとも、武蔵国は事実上影狼を保護しているわけだが、この場でそれを表明したことは妖派に対する大きな牽制となる。見たところ、大名たちは影狼に好意的だ。今のうちに確約が取れればかなり大きい。

 問題は――あの盟主だ。

「だ、そうだ。どうする柘榴よ?」

 盟主近藤は意地の悪い笑みを浮かべ、よりにもよって渦中の男に問いかけた。

「私は構いません。ただ、気がかりなことが一つ」

 広間の全員が注目する中、柘榴は言った。

「影狼殿……あなたは確か、九鬼くき家の血を引いていると言っていましたね」

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