第10話:守るべきもの

 会いたかった――しかしどこか近寄りがたい。

 武蔵坊に生きる目的を与えたのは鵺丸であり、それを奪ったのもまた鵺丸である。

 邪道に堕ちたこの男を前にして、怒りでもない、畏れでもない何かが、武蔵坊の中で渦巻いていた。

「どうした? もっと近くに来い」

 たき火の向こうで立ち尽くす武蔵坊に、鵺丸が苦々しく笑いかけた。

「昨日も儂の言うことに耳を貸さず、逃げたな。儂の事が嫌いになったか?」

「……当然だ。あんたは幸成を殺した」

 鵺丸を遠い存在にしていたのが、これである。

 妖派の幾人かを斬ったことは恐らく、武蔵坊をここまでは動かさなかっただろう。幸成を殺めたというこの一点が、彼と鵺丸との間に大きな溝を作ってしまったのだ。

 長い沈黙。

 それから、鵺丸が静かに言った。「そうしなければ、儂の方が死んでいた」

「………」

「なにも命が惜しかったわけではない。儂も幸成も、お互い命を懸けたのだ。鴉天狗を守るためにな」

「守るためだと……?」

 幕府に追われるという、今の状況を作り上げたのは鵺丸だ。それでもこの男は、鴉天狗を守っているというのだろうか?

「幸成は確かにそうだった……けどあんたは、鴉天狗を破滅に追いやっただけだ」

「なぜそう言い切れる?」

 待っていたかのように鵺丸が問いかけた。

「これまでのようにおとなしくしていれば、破滅は無かったと言うのか?」

「少なくとも、今よりはマシだったはずだ」

 毅然と言ってのけた武蔵坊に、鵺丸ははかるような視線を送る。

「武蔵坊……お主はこの儂をどうしたい? ここへ来たのは儂を助けるためか? それとも、殺すためか?」

 言うが早いか、側に控えていた長身のいかつい男が立ち上がり、背面の偃月刀えんげつとうに手を掛けた。

 鵺丸はそれを制して続ける。

「誤解のないように言っておくが、幕府と戦おうという考えは、以前から幹部たちとの話し合いで出ていた」

 まさか罪を分かつつもりではないだろう。鵺丸が絶対に己の主張を曲げない男であることを、武蔵坊は知っている。

 言葉を待った。

「幕府が朝廷軍と争っているという話はしただろう? 儂が侵蝕人の保護を始めたのは戦争が始まる前のことだ。あの頃は幕府も、鴉天狗の活動に協力的だった。だが戦争が始まり、侵蝕を戦に利用する妖派が現れると、そうもいかなくなった。奴らは侵蝕人を得たいがために儂らに圧力をかけ、幕府もそれを黙って見過ごすようになったのだ。もちろん、戦に勝つ為だ。今や幕府にとって鴉天狗は邪魔ものでしかない。そうなれば鴉天狗がどんな運命をたどることになるか、お主でも分かるはずだ」

「……その運命から抜け出すために、幕府と戦おうと?」

「そうだ」鵺丸が小さくうなずいた。「幸成は妖派からの圧力に耐えることで鴉天狗を守ろうとした。だが耐えた先に何がある? 黙って待つだけでは世の中は変わらん。我々に残された道は戦うことだけだ」

「事を起こすには、幸成が邪魔だったという事か?」

「そこまでは言わん。儂も反対だったからな」

 それを聞くと、幕府への対応をめぐる鴉天狗内での対立構図が何となく見えてきた。

 鵺丸と幸成が穏健派。他の大多数が強硬派。

 それで鵺丸は、迷いを断ち切るために妖派を斬ったのだろうか――結果として、それが幸成の死につながったのだが。

「過ぎたことはもういい。今大事なのはその後のことだ。これからどうするつもりだ?」

 鴉天狗の戦力はせいぜい百人程度。月光の忍がどれ程いるかは知らないが、それを入れても大して変わらないだろう。おまけに侵蝕人を守りながら戦うとなれば、とても幕府には太刀打ちできない。

「北の上野国を抜けて、越後へ向かう」

「越後……? なぜそこに?」

「越後国は幕府から独立している。幕府領にいるうちは儂らも賊軍だが、越後へ行けばそうでなくなる。上手く事が運べば、越後の大名と共闘できるかもしれん」

 幕府と戦おうという意見が前からあったのは、どうやら嘘ではないようだ。独立勢力を頼るなど、武蔵坊は考えもしなかった。

 しかしその作戦は、あまりにも非現実的なもののように感じられた。越後に入った後のことはともかくとして、それ以前に大きな問題があるはずだ。

「そんなことができるのか? 侵蝕人を引き連れたまま、幕府の目を盗んで国一つ越えるなんて、不可能だ」

「出来るさ……! 彼らを一人残らずここまで連れて来れたのは、なぜだと思う?」

「!」

 言われてみれば――先程も気になったが、一日でこの大人数をここまで連れてくるのは至難の業である。道も当然、人目に付かないところを選んだはずだ。余程統制がとれていなければ不可能だ。精神の不安定な侵蝕人もいるというのに――

「今の儂は彼らを制御できる。新しく身に付けた術を使えばな」

 新しい術。侵蝕によって得た力なのか?

 武蔵坊は背後で待機しているくノ一の言葉を思い出した。

 ―――月光はもうそんなことはしない……

 それを言った本人が、今度は詳細に語る。「鵺丸様は、侵蝕人の間引きを中止するよう我々に命じられた。そうする必要がなくなったからだ」

「そういうことだったのか……」

 夢のような話だった。

 曲がりなりにも、鴉天狗の大きな問題が一つ、解決したのだ。

「だから月光は、鵺丸を生かしているのか? 侵蝕が進んでいると分かっていながら……」

「鵺丸様の侵蝕が進んでいるかは、我々もはっきりとは言えない」

 男の方の忍が言った。鵺丸の側にいるのだから、恐らく月光の頭領なのだろう。

「一部の月光の忍に限っての話だが、人の侵蝕具合は人格の変化の他に、目の色でも測ることができる。侵蝕が進んでいる人ほど眼球が暗くなる。しかし鵺丸様の場合は、それができない」

「ケッ、そうかよ……」

 生まれ持った黒い目――本当に厄介な男だ。

 武蔵坊は苦笑いを浮かべたが、その忍の言うことに異議は無かった。人格だけを見て異常と決めつけるのは、危険な考えである。

「たとえ鵺丸様が邪気に侵されていようとも、オレは付いていく。お前も鴉天狗の一人なら……そうするべきだろうが!」

 怒気をはらんだ声を上げたのは、あのいかつい男だ。

 上江洲うえずまこと

 何度か話したことはあるがやはり、一途で正義感の強い男である。

「……分かった」

 言われずとも武蔵坊の心は決まっていた。不本意ではあるが、こうなってしまった以上残された道は一つしかない。

「けどその前に、行きたい所がある」

「大滝村か」鵺丸が以前と同じような、親しげな声で言った。「あまり、遅くなるなよ」


     *  *  *


 再び大滝村。

 もうためらいは無い。

 もし期待通りでなかったとしても、少しの間落ち込むだけだ。進むべき道は決まっている。そこへ向かって、また歩き出せるという自信はある。

「この時間じゃ誰も起きてないんじゃないか?」

 どうせ監視役なのだろうが、白髪のくノ一が同行してくれた。

「いいんだ。むしろそっちの方がいい。オレが大百足をやっつけてようやく落ちついてきたのに、邪魔しちゃいけねぇだろ?」

「フン……妖怪が英雄気取りか」

 不意に、赤鬼と青鬼の話が女の脳裏をよぎった。

 青鬼が、人と仲良くなりたい親友の赤鬼のために悪役になったという話だ。赤鬼は村で暴れていた青鬼をこらしめて、村人から慕われるようになった。一方の青鬼は、赤鬼の邪魔にならないよう旅に出たという――

 このご時世であるからすっかり禁忌となってしまった作り話なのだが、本当にそんな妖怪がいたのだと、女は感心する。

 では青鬼は大百足の方なのか?

 いや、ないない……もうお亡くなりだ。

 どちらも武蔵坊だろう。したことは赤鬼なのに、境遇は青鬼のようである。

「お前は青鬼か」

「何の話だ!?」

 噛み合わない話を続けるうちに、目的の村が見えてきた――およそひと月ぶりの故郷は、少し変わった様相を見せていた。

 ところどころ、新しく家が建てられている。

 物置小屋の前の、大百足に潰されたところも新しくなっていた。

 皆が寝静まっているのを良い事に、武蔵坊はゆっくりと村中を見て回る。そして山側の一軒の家の前で、足を止めた。

 武蔵坊の家。

 ―――忌まわしき妖怪の家が、そのまま残っている……

「変わってるな……この村の者たちは。妖怪にお供え物とは」

「……全くだ」

 入り口の辺りに、たくさんの花束や食べ物が並べられていた。

 まだ腐っていない。その前に替えているのだろうか――

「オレが死んだみたいに」

 妖怪である事を密告した者が一部いたとしても、やはりここは自慢の故郷だ。

 泣きそうになる気持ちを紛らわすように、武蔵坊は供え物の干し肉を一つ、口にした。

 少ししょっぱかった。

 感傷にひたる武蔵坊を尻目に、くノ一は何かを感じ取った。

「まだ起きてる人がいるようだ」

「え?」

 言われて武蔵坊もその気配に気づいた。建物の影から、人気のする方に目をやる。

 ―――あいつは……

 この村一番の親友――助六が、こちらへ向かって歩いている。

「おい隠れるぞ」

 動揺を全く隠さずに、武蔵坊は言った。

 はじめ想定していた不安は消え去ったが、ここで顔を出してしまえば別の意味で都合が悪い。気恥ずかしいとかそれ以前に、元から化け物だったのが、さらに化けて出たというような事になりかねない。

 武蔵坊としては、このまま大滝村の神様でありたかったのだ。

「妖怪のくせに、何をビビっている」

「別にビビっちゃいないよ。てかさっきから妖怪妖怪って、バカにしてんのか?」

「いいから行け」

「……!? おい! バカ!」

 武蔵坊はつんのめるようにして、建物の影から飛び出した。押し出されたのだ。

 元居たところを恨めしそうに睨みつけたが、長くは続かなかった。

「武蔵……?」聞きたかった、あの声。「武蔵なのか?」

「オ、オウ……」

 思わず情けない返事をしてしまった。

「生きていたのか……」

 助六は後ろめたさからか、きまりが悪そうにしている。

 武蔵坊の方も、大海原に突然投げ出されたような気分であった。下を向いたまま何も言わない。

 すると、いきなり助六がその場に崩れるようにして、土下座を始めた。

「悪い! 助けてもらったのにオレは、お前の為に何にもしてやれなかった」

 これには武蔵坊も度肝を抜かれた。だが一方で、その滑稽な姿を見て少し気が楽になった。

 滑稽なのは、お互い様である。

「いや、いいって。久々に会って急に謝るなよ。そんなことより……」家の方を親指で示す。「あの干し肉、旨かったぞ」

「く、食ったのか……?」

 遠まわしに供え物の事を聞いたのだが、効果は抜群だった。

 いつもの雰囲気が、少しずつ戻ってきた。

「あの時はあんな態度とってしまったけど、急なことだったからみんな混乱してたんだと思う。幕府に告げ口した奴も、きっと後悔してる」

 村の者たちの真意はもう確認済みである。密告した者が誰なのかという野暮なことは聞かない。

「あれから、大変だっただろ? 幕府に捕まった後はどうしてたんだ?」

「まあ、いろいろあってな……ちょっと身分の高そうな人のおかげで出してもらえたんだ。心の底から助けてやりたいって思える人だ。オレはこれからそいつについて行く」相手の負い目を祓うように、武蔵坊は言葉を選んだ。「確かに大変だったけど、代わりにやりたいことも見つかった」

「そうか……それじゃあ、また行っちゃうのか?」

「ああ」

 もう決めたことだ。

「やりたいことって何だ?」

「それは訳あって言えない。けど……」自分に言い聞かせるように、言った。「きっと人のためになることだ」

「人のためか。まあ、お前のすることだから、きっと凄いことなんだろうな。応援するぜ」

 たった一言の激励が、武蔵坊にはありがたい。

 そしてなにより、村の者たちが今も変わらず仲間でいてくれることが。

「昔っから妖怪みたいな奴だとは思ってたが、まさか本当にそうだったとはな」

「おい、そりゃどういうことだ?」

「だってあんな強い弓引くなんて人間業じゃねぇし、お前の父ちゃんも素手で熊を仕留めてたんだろ。それから母ちゃんの方だって」

「待て待て、お袋は人間だぜ」

 二人の話が盛り上がったところで、待機していたくノ一が、家の角から顔をのぞかせる。

「武蔵坊。時間だ」

 助六は目を丸くした。月下美人という言葉を、彼は生まれて初めて頭に浮かべた。

「おいおい、まさか世のため人のためだとか言っておいて、その女に惚れただけなんじゃねぇのか?」

「バカ言え、ただの同志だ」

「本当か? どっちにしても、うらやましいなちくしょう!」助六は、顔だけ出している女に目を向けた。「待たせて悪いね。もう少しだけ待ってくれないか?」

 それから少しして、助六が細長い筒と、大きな弓を持って戻ってきた。

「これはお前が持つべきだ」

 父も使っていたという大弓。

 大百足に弾き飛ばされた後、ほったらかしにしていたものだ。

「やることやったら帰ってくるんだぞ。そしたら、またみんなで狩りに行こう」

「ああ」

 その言葉が、武蔵坊の決意を固める。

「今度は加減しなくてもいいぞ」

「それは無理だ。お肉がバラバラになっちまう」

「へへ……確かに」

 鴉天狗に殉ずるのではない。必ず志を果たし、ここへ帰ってくる。そう心に決めた。

「帰ってくるまでに、腕上げとけよ」


     *  *  *


 足場の悪い斜面を、二人はゆったりと下っていく。

 最後の安らぎの時間。

 涼しげな虫の音はまだ鳴り止まない。

「ありがとな……」武蔵坊のやわらかな声が、虫の音と調和した。「最初はどうなるかと思ったけど、おかげでスッキリしたぜ」

 女は軽く鼻を鳴らしただけで何も言わなかったが、ほくそ笑んでいるようにも見えた。

「名前を聞いても良いか?」

「……唯月ゆいげつだ」

 変わった名前だ――と思ったが、彼女は月光の忍である。本名ではないのかもしれない。

 凍りついたようにきらめく星々を見上げて、武蔵坊は言った。

「これからオレがすることを、あいつは認めてくれるかな……」

「無理だな」

 心ない即答。

 武蔵坊はしおれてしまったが、まもなくその真意を読み取る。

 ―――今は無理……

 妖怪であることも、すぐに受け入れてもらえたわけじゃない。

「そうか……そうだよな。これから変えていくんだ」

 信じた道を行く。

 その道が本当に正しいのか、武蔵坊には分からない。

 ただ、あの者たちを見捨てることだけは、どうしても出来なかった。

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