第8話:乱世の再来

 紅と緑に彩られた下り道も終盤に差しかかり、眼下では大きな盆地が展開している。もうひと山越えれば平野へと出られるようだ。

「影狼~元気ないぞ」疲弊の色を浮かべる影狼を見て、ヒュウが言った。「そろそろ休もうか?」

「……うん」

 影狼はため息をついて、道の脇にドサッと座り込んだ。

 単なる肉体疲労でない事は、ヒュウも察している。場違いに陽気な父を黙らせているのも、そのためだ。

 武蔵と名乗った男が影狼の身内でないとしたら、影狼の家族はもういないと考えるのが普通だろう。自分たちの会話が気に障るかもしれないと思った結果だ。

 しかしこれは、半分正しくて半分間違っている。

 家族代わりの養母と幸成を失った影狼は、メランの親子を見てまた別の感情も湧き起っていた。

 ―――自分の親はどんな人だったんだろう……

 父の方は元殲鬼隊で大名家の血を引いているとは聞かされていたが、詳しい事は教えてもらわなかったし、それほど考えたこともなかった。

 もしかしたら、知るのが怖かったのかもしれない。我が子を他所に預けたまま会いにも来ない親など、たかが知れている。どうせ今頃、幕府で好き勝手やっているのだろう。そう考えると、幸成らのありがたみが身にしみる。

 影狼の思考を止めたのは、軽快な掛け声であった。

「エイヤ!」

 見ると、ちょうどヒューゴが、背負っていた大きな荷物を下ろしたところである。

 さっきは気に留めなかったが、地響きからしてかなりの重さがありそうだ。

「うわっ……すごい荷物。そんなの持って、どこまで行ってたの?」

「ちょっと、宝永山の麓の辺りまでね」

 ヒュウが照れたように笑った。

 影狼が仰天したのは言うまでもない。宝永山といえば、二十何年か前に大噴火し、日ノ本の侵蝕を引き起こした妖峰ようほうではないか。どうしてそんなところに――と影狼はおそるおそる尋ねる。

「幕府のお偉いさんに頼まれたんだよ。父さんは生物学者だから、侵蝕地域の生態系がどうなってるのか、調べて来たんだ」

 生物学者だとか生態系などという言葉は影狼の耳には入らなかった。

 直属ではないにしても、幕府関係者についてきてしまったことに戦慄したのだ。

 この事実がもっと早く明かされていれば、武蔵坊は決して影狼を一人にはしなかったはずだ。

「あ、そうだったね。影狼の村は幕府の悪い人たちに……でも僕らを雇った人は悪い人じゃないから、安心して」

 影狼が蒼ざめた理由に気付いたヒュウが、あわてて釈明する。

 影狼の方も、この父子を信頼しているのであまり深刻には受け止めなかった。

「村を焼いた奴らはどこの人なんだい?」

「妖派だよ」

「ああ……あの人たちか。でも、なんでまた村を?」

 影狼はまたぎょっとした。

 冷静に考えれば、妖怪にしか興味のない妖派が、わざわざ村を襲うのもおかしな話だ。さらに武蔵坊は、食糧を持っていかれたと余計な一言を付け加えている。妖派がそんな貧しいはずがない。

 作り話が見破られるのは時間の問題。いや、もう勘付かれているかもしれない。

「まあいいや」ヒュウは深く追求せず、話を変えてくれた。「一応言っておくけどさ、妖派は幕臣じゃないよ。どちらかというと雇われ者の僕らに近い。ただ、甲斐国大名の後ろ盾があるから、特別力が大きいだけなんだ。幕府が妖派を必要としてるのも確かだけど」

「そうなんだ」

「うん。それとね、面倒だから幕府幕府って呼んでるけど、実は幕府なんてものはもう存在しないんだ」

「えっ!? どういうこと?」これはかなりの衝撃だった。「将軍はどうしちゃったの?」

「朝廷が挙兵した次の年に暗殺されたらしい」とんでもない事実を、ヒュウは淡々と話す。「最近まで秘密にされていたことだから、僕も詳しくは知らない。でも、遅かれ早かれこうなる運命だったんだろうね。それだけ幕府の力は弱っていたんだ」

 ヒュウは背負い袋から地図を取り出し、日ノ本の情勢を説明してくれた。

 幕府の衰退は宝永大噴火の時から始まっていたのだと、彼は言う。

 古来より日ノ本では、天変地異は悪政の結果だと信じられてきた。歴史上類を見ない大噴火でこのような迷信が流れないはずがない。さらには降灰による不作、妖怪の襲来、これらの復興のために重い税を課したことが重なり、幕府の求心力は地に堕ちた。

 そうした状況に付け込んだのが朝廷勢力である。七年前、朝廷は和泉国の大名を味方に付け、倒幕の兵を挙げた。するとそれに呼応する大名が次々に現れ、今では西側の大半を支配下に収めてしまっている。

 ならば東側が幕府勢力かというと、そういうわけでもない。

 上野国を挟み武蔵国の北側に位置する越後、甲斐国の下にある駿河は独立し、皇国にも幕府勢力にも与していない。

 東北部の大名は幕府勢力に友好的ではあるが、戦には加わらず様子見というありさまだ。幕府勢力が少しでも敗色を見せたら、手のひらを返さないとも限らない。義理や正当性ではなく、力がものを言う時代になってきているのだ。

 それはまさしく戦国時代――乱世の再来を意味していた。

「それじゃあ、今まで幕府って呼んでたのは……」

東国同盟とうごくどうめい――東国の有力大名と、殲鬼隊で功績のあった猛者たちの集まりだよ。まあ、さっき言ったように、みんな幕府って呼んでるけどね。知らない人にいちいち説明するのも面倒だし」

 影狼は息を呑んだ。ヒュウの語る日ノ本の情勢は、思っていたものと全く違っていたのだ。

「まさかとは思うけど、これから紹介してくれる人って、幕府の関係者じゃないよね」

「そのまさかだ」ヒュウは意地悪な答え方をしてみた。「どうしたの? 妖派じゃないから困りはしないでしょ。ただの傭兵だよ。只者じゃないけど」

「な、なんだよ。ビックリした……」

 影狼の心臓はもう限界である。どうやら紹介してくれるのは、ヒュウたちと同じ立場の人らしい。

羽貫衆はぬきしゅうって言って、武蔵国では有名なんだ」

「傭兵……ってことは、朝廷との戦争に加わるの?」

「そうなるね。でも大丈夫。羽貫衆には傭兵以外にもいろいろ仕事があるから、影狼はできる範囲で手伝えばいいよ」

「そっか……」

 影狼はホッとする一方、本当にこれでいいのかと自問した。

 鴉天狗の仲間が苦しんでいる中、自分だけが安穏と暮らしていけるだろうかと。

 しかし時代は乱世。望む望まないにかかわらず、影狼は闘争の世界へと引きずり込まれることになる。

 悪魔の使いは、すぐそこまで来ていた。

 この時は誰の目にも、それは映らなかったのだが――


     *  *  *


 西の空が黄金色に染まる頃、道脇の草むらで鹿毛馬が草を食んでいた。

 ヒュウたちが元居た場所である。

らい、どこに行っていた? あまり離れるなと言ったはずだ」

 声を発したのは、木の影で休んでいた男である。紋付羽織が、陣笠を被っただけで甲冑に見えてしまう。それ程の巨躯を持ち合わせていた。

 男の前には、被り物の付いた外套を身にまとった、小柄な少女がたたずんでいる。

「いいじゃん。どこ行ったって」

「迷子になったらどうするんだ!」

「そしたらうめちゃんが悪い」

「………」

 体格、身なり……どれを見ても男とは不釣り合いだが、少女は対等な口を利く。

「そんなことより、見つけたよ! 鴉天狗の逃亡者」

「なにぃ!? 人数は?」

「二人……いたけど一人はどっか行っちゃった」

「たったの二人……? 集落の方はもぬけの殻だったというのに、一体どうなっている」しばし考え込んで、男はふとあることを思い出す。「いや、待てよ。生き残りの話によれば、確か現場の方からも……ライ、その二人はどんな奴だった?」

「一人はアタシと同じくらいの男の子。で、もう一人が汚い服着た男の人」

「……でかしたぞ來! その汚い服を着た男こそ、おそらくは例の妖怪だ!」

「あ、ゴメン。それいなくなっちゃった方」

 男はがっくりとうなだれてしまった。

「まあ落ち込まないでよ。男の子捕まえれば、妖怪がどこ行ったか分かるかもしれないじゃん。あと、どうでもいいことだけど……その子、メラン人の親子と一緒にいたよ」

 それを聞いて男は意外そうな顔をした。メラン人といえば、日ノ本に一家族しかいない。

「ヒューゴか。それならば話が早い。やはりこちらに来て正解だったな」

「ホント、すごいよ梅ちゃん。見直したかも」

「なに、大したことではない」と、男は自慢げに言った。「我々から逃れようと思えば、まず我々の力が及ぶ甲斐国を脱出することを考えるだろう。その一番の近道が、この道だったというだけだ。まさか武蔵坊を見つけられるとは思わなかったが」

 鵺丸が妖派の駐屯地を襲撃したという報は、その日のうちに妖派中枢の知るところとなった。逃げた者たちを追うため、二人は派遣されたのだ。

「で、どうするの?」少女が、待ち切れないといった様子で促す。「もう、アタシたちだけで捕まえちゃう?」

「それでもよいが、帰りは馬に乗せてやれないぞ?」

「三人乗りじゃダメ?」

「ダメだ」

 体格的に、少女は一人で馬に乗れない。ここまではほとんど、この男の馬に二人で乗って来たのだ。捕虜がいるとなるとそれは出来なくなる。

「歩きたくないな~」

「ならこうしよう。向こうに大きな町があるだろう? 護送用に、そこの兵を借りていく。奴の行先は分かるか?」

「任せて。バッチリ聞いてやったから」

 もはやこの追手を止められるものは何もない。まもなく影狼は、邪の力を垣間見ることになる。

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