第3話:破邪の誓い

 この日は鵺丸の屋敷で葬儀が執り行われた。

 創立以来、長らく鴉天狗を見守ってきた者の急死を、人々はひどく悼んだ。

 死因は過度の侵蝕による衰弱死。実際には存在しない現象であるが、その実状は鴉天狗の幹部にしか知られていない。

 参列者が去った後、広間の上の階の一室に、幸成と鵺丸の姿があった。

「そうか、影狼が知ってしまったか……」鵺丸が残念そうに床を見つめる。「山梔子め、名前に似合わず口の軽い奴だ」

 洒落を言ってなんとか和ませようとするが、気まずさだけが残った。互いに言葉が出ない。今日はずっとこの調子である。

「影狼については私が口止めしておきます。それより……」

 珍しくためらいを見せた。

 幸成は知っている。母が月光に殺された事を。そして月光にそうさせたのは、今目の前に座っている男だという事も。

 だが、彼を責める気にはなれなかった。

 父亡き後の一家を養ってきたのもまた、この男であったからだ。

「言いたいことはだいたい分かる。今のやり方に、納得がいかないのだろう?」

 幸成はうんともすんとも言わない。

 結局のところ、彼も反対しきれなかった一人である。他人が死んでも黙っていたのに今更反対するのは、あまりにも自分勝手なように感じた。

 そんな心境を知ってか知らずか、鵺丸は続ける。

「儂だって出来ればこんな事はしたくなかった。だが他に何がある? 邪気に侵されてしまえば、それは欲の塊。放っておけば健全な者にまで危害が及ぶ。かと言って鎖に繋いでおく訳にもいかない」

 拳を握りしめる幸成。抗えない悔しさを、グッとこらえる。

「我々が本当に守るべきなのは侵蝕人の尊厳だ。秘密を知らない限りは彼らも人並みの生活を送れる。家族に見守られながら生涯を終える者だっている。厄災をまき散らす後生など、誰も望んではいないだろう」

 それは、武蔵坊が牢の中で語ったことと重なっていた。

 立場的に、本来鵺丸が口にすべき事ではないのかもしれないが、失言だと一蹴することなど幸成には出来なかった。鴉天狗の在り方を考える上で、避けては通れない話である。

 もう一つ、幸成には話し辛いことがあった。

 秘密を知る者が妖に転じた時の話だ。

「確かに、そうなると厄介だな」一番厄介な男が応えた。「侵蝕に自覚があるとしたら、黙って死を待つとは考えにくい。少し酷だが……症状が出た早い段階で月光に動いてもらおうか。例え雇い主の儂が相手でも、しっかり任務は果たしてくれるはずだ」

 幸成からすれば山梔子の件もあり、月光が上手くやってくれるかは疑問であるが、そこは問題ではない。

「私が一番心配なのは……その後の事です」

 儂の事は心配しないのか? とツッコみたかったが、そこは慎んだ。組織の中でもとりわけ邪気の多い鵺丸である。

「幕府や月光が協力してくれるのも、鵺丸様の御威光あってのことです。あなたが倒れたら、他に誰が鴉天狗を引っ張っていくのですか?」

「……何をいまさら。言っただろう? 次の代表はお前だと」弱気になっている幸成にはっぱをかける。「お主の父は儂と同じ殲鬼隊にいた。幕府での役職も同じだ。その子が継ぐとなれば、あの者たちも手出しは出来ないだろうよ」


 幸成が部屋を出ると、壁に寄り掛かった武蔵坊が目に入った。申し訳なさそうに目を伏せている。「すまねぇ……オレが来たばっかりに」

 どうやら自分の邪気の事を言っているようである。

「あなたは関係ありません。一緒にいるだけで邪気が移るなら、あなたのいた大滝村は大変なことになっていますよ」

「それもそうだな」

 負い目を取り払ったところで、幸成はもう一人の方が心配になった。

「影狼の様子はどうですか?」

「かなり落ち込んでるみたいだ」正直、幸成以上に。「ところでちょっと気になってたんだが……影狼って、本当にただの居候なのか? 養子とかじゃなくて」

 今の影狼を見て、また気になったのだろう。幸成の母の謎は解けたが、小さな居候の方は全くである。

 少し間を置いてから、幸成は答えた。

「養子はあり得ません。影狼は、大名家の一人っ子ですから」

「大……名!? また凄いのが」思わず大声を出しかけた。「それもこれも鵺丸の人脈か……けど、そんな大事な一人っ子がなぜここに?」

「そこまでは分かりません」

 鵺丸が引き取ったところを、成り行きで幸成らが面倒を見ることになったという。要するに里子である。

「幸成は面倒見が良さそうだからな」

 そう言われると、幸成の表情が少し和んだ。

 二人は階段を下りて、式が行われた広間に向かった。

 庭に面したこの広間からは、天気が悪くなければ宝永山も望むことができる。

 今は、縁側に腰掛けた影狼が、その風景の一部となっている。

「ほら、帰るぞ影狼」

 幸成は呼びかけと同時に、影狼の肩に手を置いた。

「ヤダ」短い言葉で、影狼は拒絶する。

「ヤダって……無茶言うなよ。ここは鵺丸先生の家だぞ」

「放っといてよ」

 そう言って影狼は幸成の手をどけた。明らかに機嫌を悪くしている。

 そんな弟を見かねて、幸成は大きくため息をついた。

「じゃあどうするんだよ? ここに居たって仕方ないだろ。母さんの侵蝕を黙ってたのは悪いと思ってるけど、いつまでも――」

「そうじゃない!」肩越しに振り返った影狼の目は、怒りに燃えていた。「黙ってた事……それだけじゃないでしょ」

「!」

 幸成は言葉に詰まった。こればっかりは、頭が上がらない。

 母を失っただけではない。あの夜、影狼は裏切られたのだ。物心ついた頃から誇りに思っていた鴉天狗に。

「鴉天狗はいつからこうなったんだよ!? 侵蝕から人を守るための組織じゃなかったの!? これじゃあ、今まで幕府がやってきた事と、何も変わらないじゃん!」

「違う!」幸成はどうにか口を開いた。「……オレたちは、彼らの尊厳を守っているんだ。半人前のお前に、何が分かる!」

 兄弟ゲンカを見るのは気分の良いものではないが、武蔵坊はしっかり耳を傾けていた。

 上からは現実を、下の者からは理想を突きつけられた幸成の苦しみが、感じ取れた。

 長年、この問題に携わっていたことを考えると――

「その辺にしてくれ」堪えかねて口を挟む。「このまま言い合ってもキリがない」

 広間に静けさが戻ってきた。

 ムキになっていた二人から、熱が引いて行く。

「すみません。お見苦しい所を……」

「いや悪い。オレが口出しする事でもないな。けど、影狼のその気持ちは大事だと思うぞ」

 うつむいていた影狼が、きょとんとした顔で視線を送る。

「確かに、今のやり方じゃなければ鴉天狗はとっくに破綻している。侵蝕人を幕府に委ねることになってたかもしれない。だけど、影狼みたいなのがいなくなったら、それこそ鴉天狗の意味が無くなるんじゃないか?」武蔵坊は残念そうな面持ちで付け加えた。「鵺丸の口ぶりは、オレにはどうも諦めてるように聞こえる」

 幸成はハッとした。自分は今、鵺丸と同じ事をしていたのだと。影狼の言葉は、まさに自分が鵺丸に訴えようとしていた事なのに。

 ―――お前に何が分かる!

 自分自身何も分かっていないのに、言ってしまった。己の未熟さを誤魔化そうとしたのだ。それが、情けなくてたまらない。

 幸成にも諦めの色が浮かんでいるのを、武蔵坊は暗に指摘していたのかもしれない。

「武蔵坊って……ほんとに妖怪? なんで鴉天狗に来たの?」

 影狼には、人懐っこさが戻っていた。

「本物だよ」今度は堂々と言ってやった。「鵺丸がなんでオレを連れて来たかは知らないが、オレは鵺丸を助けたいと思って付いて来た」

 幸成は思う。侵蝕人が妖の心を持つ人ならば、武蔵坊は人の心を持つ妖。彼は鵺丸の最後の賭けなのではないかと。

「オレたちで鵺丸にあっと言わせてやろうぜ。侵蝕を止める方法を見つけて、本当の意味で侵蝕人を救う。それでこそ鴉天狗だ!」

 三人は手を重ね、決意を新たにする。

 そんなことで状況が良くなるはずもないが、それでもふさぎ込んだ気分を吹き飛ばすには、十分だった。

 屋敷の外では赤紫色の夕空が、宝永山を侵蝕していた。


     *  *  *


 その夜、鵺丸の部屋を訪ねる者があった。

村正むらまさか。どうした、こんな時間に」

 暗がりから現れた男が一礼する。「お耳に入れておきたいことがありまして」

 泥鰌どじょう髭が似合うこの男。鴉天狗専属の刀鍛冶である。鵺丸の妖刀のほとんどは、彼が拵えたという。

「最近、鴉天狗の威信にかかわる、悪い噂が流れております」

「……またか。今度はどんな話だ?」

 鵺丸は気に留める様子もない。切れ味の悪そうな、太い黒刀の手入れをしながら聞く。

「我々が、妖怪を集めて幕府に刃向かおうとしていると」

 それを聞いて鵺丸は手を止めた――と同時に、低い笑い声を漏らした。

「また馬鹿げた話を。妖怪がどうしたと? 儂が殲鬼隊だった頃ならともかく、今の時代にあれを集められるのは奴らしかおらぬだろうに……まあ、心配するな。どうせ奴らが流した噂だ。月光に調べさせればすぐ分かる。ご苦労だったな」

 鵺丸は退出を促したが、村正はその前に一つ聞く。

「この前差し上げた刀は、いかがでした?」

「あれか……まだ試してないな。なかなかに美しい造形だったが」

「なんと、それはいけませんな。妖刀は禍々しくあるべきだというのに」

「そういう割には、綺麗な刀ばかり作っておるのう」

「私には物の美醜が分からないので、どうしてもできてしまうのですよ。そういったものが」村正は頭を掻いた。「いやはや……お恥ずかしい」

「ああ、そういえば」鵺丸が何かを思い出した。「こいつの妖力を補充しておいてくれないか? 最近調子が悪いようだ」

「来るべき戦に備えて、ですね?」

「クク……まさか」

 軽く冗談に乗りながら、鵺丸は手元の黒刀を差し出した。

「お預かりします」

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