プロローグ:乱の始まり

 渦巻く巨大な雲が陽光を遮り、妖しげな光を地上に落としている。

 その光を浴びて赤く染まる森の奥から今、一匹の獣が飛び出した。それは狼にも似ていたが、漆黒の毛で覆われた細い体と頭ほど大きな牙は、日ノ本に棲むどの種からもかけ離れている。魔界のようなこの地にふさわしい姿形。まさに魔獣。

 獣が駆けて行くその先には、黒服を身に纏った男の姿があった。

 息を荒らげながら獣が襲い掛かる。その瞬間――

 ガッ!

 男の突き出した刀が、獣の細長い体を貫き通した。

 それから少し遅れて、男と同じ黒服を身に纏った者たちが、森の中からぞろぞろと現れた。彼らの背には、大きく〈殲鬼〉の字が入っている。

 妖怪を殲滅するために集められた剣豪衆――殲鬼隊せんきたいである。

「こいつで最後か?」

「多分な。いやぁ、よく逃げる奴だったぜ」

「やめろ。なんかかわいそうになってくるじゃないか」

 男たちが騒いでいるとそこへ、鷹のような鋭い目をした初老の男がやって来た。彼は黒服の上に、さらに赤い陣羽織を羽織っている。

「あ、隊長! 終わったようです」

「ご苦労」

 隊長と呼ばれた男は、たった今仕留めた獲物を確認してから、皆の前に進み出た。

「近頃は町に妖怪が出ることも少なくなった。これもひとえに諸君の働き――」

「ぐあぁぁぁあああ!?」

「!?」

 隊長が言い終わらないうちに、誰かの叫び声がした。

 なにやら後ろの方が騒がしい。

「どけ」隊長は人混みをかき分けて、声のした方へ向かった。「なにがあった?」

晴明はるあきさんが……古傷が急に痛み出したようで」

 そこには、地面に突っ伏してもがき苦しむ隊員の姿があった。

 しばしその様子を眺めてから、隊長は無造作に刀を引き抜いた。

「隊長……なにを?」

「こいつはもう駄目だ。侵蝕しんしょくがかなり進んでいる」隊長は一切のためらいもなく、刀を振り上げる。「正気を失う前に――斬る!」

「そんな! お止めくだ……」

 ザシュ!

 仲間の嘆願虚しく、もがき苦しむ隊員は首を刎ねられた。各所から悲鳴が上がる。

「妖怪の勢力が衰えた今、この世で最も恐るべきは侵蝕だ」隊長は言った。「邪気に侵されてしまえばその者は妖怪と同じ。情け容赦は無用。肝に銘じておけ」

 隊長が去った後も、隊員たちはしばらく言葉が出なかった。共に妖と戦った仲間の哀れな最期を前にして、心が痛まぬはずがない。

 遠くで見つめる深編み笠の男も、その一人であった。


     *  *  *


 戦国の後、幕府統治の下100年続いた平穏は突如終焉を迎える。

 きっかけとなったのは日ノ本一の山――宝永山ほうえいさんの大噴火。天高く噴き上げられた火山灰は広域にわたって日光を遮り、田畑に降り注ぎ、日ノ本に大飢饉をもたらした。

 だが噴火によって撒き散らされたのは火山灰だけではない。穢土えどへと通じていたのだろうか、火口から噴煙と共に現れたのは夥しい数の妖である。国中の猛者を集めた殲鬼隊がこれを殲滅したかに思えたが、妖は人の心に棲み続けその勢力を強めることとなる。

 朝廷はこの混乱に乗じ、西洋の強国を後ろ盾に倒幕の兵を挙げた。

 後に宝永の乱と呼ばれる大乱の、幕開けである――

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