三者三苦

杉崎 三泥

それぞれの序章

貴族の少年の場合

 現代での残酷さとは何なのだろうか。


 私たち人間は、魚をさばき、牛や、羊などを掻っ捌いてそれを食べる。そこには一切何も変なことを感じない。

 生物を殺してるが、生きる上で必要だし、仕方のないことだと諦める。


 では、逆はどうか。


 虎や、サメは己たちが生活するうえで食事が必要だ。だから仮に無防備な人間がいればそれを食べることはいたって普通だ。また、食べる最中にその生き物が死体になったとしてもそこに違和感はない。


 しかし、人々はこれを残酷、悲しいことだという。動物側からすれば、意味が分からないとしか言いようがない。


 生きる上で人間もある意味では死体を食べている。調理してるから?おいしいから?何を言っても結局は生物を食べていることに変わりはない。


 だから、生まれた時点でその生物がいかにその世界を残酷かどうかが決まるのだ。生まれつき持った種族の立場、そして種族内での力も考えるときの要素の一つだ。

 強者は残酷であることを決められる

 弱者は残酷であることを考えても、世界にそれを訴えることはできない。


 弱者はただ、強者に命を乞い、強者はただ、弱者の命を食らう。




 さて、話をもどそう。







 今、目の前で自分の死におびえる奴隷の少女をわたしは救うべきか否か。







 もちろん、これも強者金持ち弱者奴隷をどうにかできる例の一つだ。

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