KHM.3

 取っ手が鎖で雁字搦めにされている。一回通した、というような生易しいものではなかった。ぐるぐるぐるぐる、と何重にも巻かれ、ここから決して逃がすまいとしているかのよう。

「なんですの、これは……」

 後ろからついてきたシンデレラが呆然と言い放つ。その声が震えていた。

「わ、わたくしを小馬鹿にしておりますの……?」

「きゃっ……」

「アリスっ!」

 唐突にシンデレラに突き飛ばされ、バランスを崩す。咄嗟にチェシャに支えられ事無きを得た。しかし、彼の機嫌を損ねるには十分で、じろりと冷たくシンデレラを睨めつける。

 だが、それ以上に当の本人は気が動転していた。扉に歩み寄るなり、取っ手を力一杯引く。ガン、と鎖の引っかかる音。鍵もかかっているようだ。

「開きなさい! 開きなさいってば!!」

 ぴくりともしない扉をシンデレラは何度も引く。その度に鎖の重苦しい金属音が耳をついた。さながら非力を嘲笑うように。それが反抗心を焚きつけてしまったのか、シンデレラはさらに力を振り絞った。

「わたくしを、ここから、出しなさい!」

 鎖の嘲笑とシンデレラの悲痛な声が混ざり合って玄関口ロビーに響き渡る。その光景にアリスは硬直していた。アリスだけではない。チェシャもヘンゼルも、狂気じみたように闇雲に扉をこじ開けようとするシンデレラをただただ見つめることしかできなかった。

 やがて、腕が痛み始めたのか、シンデレラは体当たりを始める。およそ、その可愛らしい装いに似つかわしくない行為。なりふり構わず、と形容するに相応しくも思えた。しかし、シンデレラの力を前に堅牢たる玄関扉がたじろぐはずもなく。力なくよろよろと扉に寄りかかったかと思えば、今度はおもむろに殴りつけ始めた。

(いけない……っ!)

 その手に血が滲み始めたのを認めてようやくアリスは我に返った。

「シンデレラ、落ち着いて!」

「わたくしは至って冷静ですわ!!」

 せめて腕だけでも抑え込もうと駆け寄ったが、力任せに振り払われ、尻餅をつく。慌ててチェシャが駆け寄ってくるが、それを何とか制す。

「チェシャ、シンデレラを止めて! ……ヘンゼルも!」

 自暴自棄になったシンデレラを、もはやアリス一人では抑え込めない。チェシャは相変わらず渋々といった体で頷き、呆然としていたヘンゼルもアリスの呼びかけに「わかった!」とだけ返す。

 二人はお互いに顔を見合わせると、チェシャは右、ヘンゼルは左の腕を抑え込みにかかる。力のあるチェシャは易易と片手で右腕を捕らえ、反対に小柄なヘンゼルは身体全体を器用に使って左腕を封じ込める。

「何をしますの!? 離しなさい! わたくしに触れないで!!」

「落ち着いて! シンデレラってば!!」

 振りほどかれまい、と絡みついたヘンゼルが叫ぶ。

 それでもシンデレラは抗い続けた。二人の拘束から逃れようと腕を、足をーー四肢を闇雲に動かす。

 それがいけなかった。振り上げた片足が扉を蹴り、反動で姿勢を保てなくなったシンデレラは勢いよく床へと身体を打ち付ける。二人もつられて倒れ込み、怯んだことで拘束が解けてしまった。好機とばかりにシンデレラはふらりと立ち上がっては甲高く声を張る。

「何故わたくしを止めるのです!? 閉じ込められているんですのよ!」

 なおも扉へと果敢に進もうとするシンデレラ。その眼前にアリスが立ちはだかれば、はっ、と彼女は息を飲んだ。

「もしかして貴方がたが犯人ですの……!?」

 そう言って戦慄するシンデレラの姿は、恐怖のあまり激昂していると称す方が正しいかもしれない。顔を真っ赤にして身体を震わせているが、その目には薄っすらと涙も窺えた。怒りで恐怖をひた隠しにしている。そんな風にアリスには見えた。

「道理でわたくしを止めるわけですわ! 一体どういうおつもりですの!」

 ぐわし、と肩を掴まれた。細い彼女の指が布を通して柔肌に食い込む。きりきりとこもる力。増してゆく一方の圧迫に眉尻がゆがむ。

「早くここからわたくしを出しなさい!」

「私は何も……」

 それでも凄むシンデレラに、しかし、返す言葉もない。アリスだって現状に困惑しているのは同じ。ひとまずは取り乱すシンデレラを落ち着けなければ、という使命感で持ち堪えているようなもので、そうでなければどうにかなってしまいそうな気分だった。

解決の糸口を探ろうとするアリスにシンデレラは追い打ちを与え続ける。

「白を切るお心算つもりですの?」

「本当に私は……」

 シンデレラの手がアリスの肩から離れた。ようやく納得してくれた。

 そう思った直後ーー耳元で鋭い音が響く。

 途端、視界が傾いだ。白濁とした世界が眼前に広がる。その向こう側で微かに感じる痛み。

 シンデレラに、はたかれたーーそう認識した時には身体を床にしたたかに打ち付けていた。刹那。息が詰まる。その圧迫感と共に感覚が急速に戻ってきた。

「嘘をおっしゃい!! 」

 シンデレラの鋭い声。

「きゃっ、何をしま……」

 しかし、数拍も置かずにその口からは蛙を潰したような声が漏れる。

 何事かと瞳を向けるが未だ明滅したままでハッキリとしない。振り切るように瞬かせれば、そこに映ったのはシンデレラの首に手をかけるチェシャの姿。苦しそうに首元を掻く少女。その脚は地を泳いでいて。

「チェシャ」

 咄嗟に出た言葉は掠れた。

「チェシャ! やめて!」

「アリス、ぶった」

 憤怒に塗れた声音。シンデレラを睨め付ける双眸は冷たく、人を殺められそうなまでに鋭利で。アリスは体が硬直するのを感じた。早く止めなければならないのに。体が、動かない。

 食いしばった口では鋭い歯がちらつき、チェシャはなおも力を込め続ける。その証拠にシンデレラの抵抗は弱まり、白目を向き始めていた。

「チェシャ、お願い……やめて!」

 ジンジンと鈍い痛みを訴える四肢に鞭打ち、叫んだ。このままではシンデレラが死んでしまう。

「チェシャ、だめっ!」

 起き上がり間際にアリスはチェシャの脚へと体当たりを試みる。もはや苦肉の策だ。

「……っ!」

 チェシャがよろけた。注意が此方に向き、シンデレラの首から手が離れる。

「……かはっ」

「シンデレラ!!」

 どさり、とシンデレラは力無く床に崩れ落ちた。慌ててヘンゼルが駆け寄る。急に解放された喉が息を吸い込み、ひゅー、ひゅーと鳴いた。かと思えば、彼女は勢いよく咳き込んだ。ヘンゼルが甲斐甲斐しく彼女の背をさするが一向に収まる様子はない。

 対して、元凶たるチェシャは何もなかったように彼らに背を向け、アリスへと手を差し伸べた。その表情の中に先ほどまでの激しい怒りの跡はない。おっかなびっくりでチェシャの手を借りる。この細く、大きな手で彼はシンデレラの首を締め上げていたのだ。触れる指先が震える。

 身体の痛みは随分と和らいでおり、アリスはゆらりと立ち上がった。

 シンデレラを見やれば咳は収まったものの、ぜえぜえと浅い息を繰り返すばかり。

「シンデレラ……。大丈夫……?」

 アリスは歩み寄って手を差し出すが、力無く跳ね除けられた。きりり、とこちらを睨む双眸には薄っすらと涙が見えた。

 背後でチェシャの威嚇するような唸りが聞こえる。構わずシンデレラはヘンゼルの手を借り、ふらふらと立ち上がった。入念に服装を正す彼女の姿に、知らず、息を吐く。ひとまずは大事なくて良かったというべきだろうか。

「少し……やりすぎましたわ……」

 そうして、ばつが悪そうにそっぽを向いたまま、シンデレラは言葉を漏らした。横目でこちらを伺う様は彼女の素直じゃない一面の現れだろう。どうやら調子は取り戻したようだ。

「大丈夫」

「……そう」

 そう言って、今度こそ他へと視線を向けてしまった。強く握った拳が震えている。否。拳だけではない。彼女の小柄な肩が何かをこらえるように戦慄いている。

 アリスは何事もなかったかのようにあどけない視線を向けるチェシャを一瞥し、誰にも悟られぬよう小さく息をついた。

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