夏花火

いご

夏花火

 八月十五日、お盆。蝉達も悲鳴をあげる暑さから少しだけ解放される夕暮れ時、私は地元の夏祭りに訪れていた。

 祭りは人々の楽しそうな声、屋台の店員達の威勢の良い声で溢れかえっている。

「すごい人の数だなぁ……多くなる前に綿菓子買ってて良かった……なんてね」

 私はそんな独り言を呟きながら人の渦の中に飛び込んでいく。それに一度飲み込まれてしまうと、群集の外すら見えなくなった。そこから見えるのは人ばかりで、これでは自分がどこにいるかもわからない。辺りからは景色の代わりだと言わんばかりに焼き鳥の芳ばしい香りがする。……焼き鳥も後で買おうかな。毎年恒例のこととは言え、この人の渦には流石に少しうんざりする。そういえば小さい頃に春樹が手をひいてこの中から助けだしてくれたことがあったっけ。考えたら、この祭りに来たのもその時が初めてだったなぁ……。



 あの年……私達は六歳だったからもう十年前か。そう、十年前のこの日、私達は親の目を盗んで家から抜け出した。前々から祭りに行ってみたいと思ってはいたけれど、親が連れて行ってくれなかったのだ。すると、その話を聞いた春樹が祭りの前日に、

「俺が案内するから一緒に行こうぜ!」と言って誘ってくれた。

「でも、子供だけでお祭りに行ったらダメって言われたよ?」

「バレないようにこっそりすれば怒られないって! 大丈夫だよ、俺も一緒だしさ!」

「そうかなぁ…」

そう言って私も渋ってはみたが、祭りには行きたかった。

「そうだよ、絶対大丈夫!」

と言われると、

「……うん。わかった! やってみる!」

と答えるほかなかったのだけど。祭りを満喫した後、家に帰ると親の雷が落ちたということは言うまでもあるまい。

 ともかく、家から抜け出した私は春樹との待ち合わせ場所である神社へと向かった。神社は祭りの喧騒の一番奥にあるので、私は今と同じように人の渦へと飛び込むしかなかった。すると、前にも、後ろにも、右にも左にも人、人、人。今でさえ自分がどこにいるのかわからなくなるような人の渦だ。幼い私が波に飲まれ、溺れてしまうのは当然のことと言えるだろう。

「お、いたいた! ちょうどよかった。俺も今から行くとこだったんだよ!」

泣きそうになっていると不意に後ろから声がかかった。振り返ると、そこにはなんでもないような顔をしている春樹の姿があった。

「とりあえずここは人が多いからあっち行くぞ!」

私はホッと安心する間もなく春樹に手を取られ、そこから連れていかれた。

 その後ろ姿はなんだかかっこよかったような気がしないこともない。



 私が思い出に浸りながら歩いていると神社が見えてきた。

 神社との距離が縮まるにつれて、人の声はだんだんと少なくなっていく。祭り本部の方にはちゃんと休憩所があるから、わざわざ神社まで足を運ぶ人間はそうそういないのだ。だけど私は、いや、私達はこの神社の魅力を知っている。祭りの最後に夜空に拡がる大きな花火、神社から見るそれはとても綺麗なことを知っている。

 十年前のあの日もここで春樹と一緒に花火を見た。色々な屋台を巡って満足した私達は親達に見つかることを恐れ……とは言ってもあれだけ人の多い場所を練り歩いていて今更ではあるのだが、人気の少ない神社に向かった。

 いつの間にか日も落ちてすっかり暗くなった神社には人っ子一人おらず、例えるならば祭りの強すぎる光のおとした影のように見えた。

「……喉乾いたな。なにか買いに行こうか……」

 しかし、神社から見える祭りの光はあまりに眩しく、一人でもう一度あそこに戻るのはなんだか躊躇われたので大人しくここで待っていることにした。少し待てば春樹も来るはずだ。

 それにここは割とお気に入りの場所だし、ここで待つのはそんなに苦ではない。吹き抜ける涼しい風。心地よい木々のさざめき。

 そして満天の星空を眺めようと上を向くと、時計が目に入った。待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いてしまったようだ。別に楽しみで仕方なかったからとかではない。

 まあ、いい。懐かしき日々の夢の続きでも見るとしよう。



 そういえば、私の髪が未だにオカッパなのは春樹が起因していた。

「夕夏ちゃんさー、いつもオカッパだけどポニーテールとかにしないのー?せっかく可愛いのにもったいないよー。あ、もしかしておしゃれとか興味ない感じー?」

「そ……そんなことないけど……」

 あれは小学三年生の頃だったか四年生の頃だったか……友達にそう言われた私は子供心に気にしてしまい、髪を伸ばし始めたのだ。自分としてはオカッパを気に入っていたし、別に他の髪型にしたいわけでもなかったのだが、周りの雰囲気に流されてしまったのだ。

 そうして二週間程経ったころ、いつものように二人で一緒に登校していると春樹が、

「なあ、そういえば最近髪伸ばしてんの?」

 ドキリとした。別に隠すこともないのだけど。

「う、うん。ちょっとね……」

「ふうん……お前この前あの髪型気に入ってるって言ってなかったっけ、なんかあったの?」

 またもやドキリ。どうやらこいつに隠し事はできないようだ。

「いやぁ……友達に髪伸ばしたほうが似合うって言われてさ」

そう言うと、あいつは呆れたようにため息をつき私の方を見た。

「な……なによ」

「お前さぁ……そうやって人の言う事に流されるのはどうかと思うぞ?」

「な、なによ。いいじゃない。私の勝手でしょ」

「そうだ。お前の勝手なんだ。だから人の意見なんか気にすることねえじゃねぇか」

「……! そ、それは、その……」

 この時完全に言い負かされてしまったのを覚えている……春樹のくせに。

 口ごもる私を見て、彼はもう一度ため息をつき、

「……似合ってたとおもうけどな。あの髪型」

 やられた。

「あ、あんたがそこまで言うなら……」

 次の日、私は髪型を元に戻した。友人には「似合ってたのに」だのなんだのと言われたが、「私はこれが気に入ってるから」と言ってやった。そうだ。自分の好きなようにすればいいのだ。私は、他の誰でもない私なのだから。

 そういえば、私が頑固と呼ばれるようになったのもこの日からかもしれない。

 思えば春樹には色々と教えてもらってばかりだ。



 階段の方から聞こえてくる足音で私は現実に引き戻された。春樹かな。

「……よしっ、時間通りだな。おーい、夕夏ーいるかー!」

 返事をする。

「ここにいるよ!」

 しかし、その声は届かない。何度叫んでも、何度叫んでも、この声は届かない。

「……クソ……クソっ! なんで……なんで……」

 そうだ。私は……

「死んじゃったんだよぉ!」

 死んだのだ。

 去年の夏祭りの日。いつものように2人で神社で落ち合って、花火を見て、たわいもない話をして、来年もまたここで一緒に花火を見る約束をして、2人で帰っていた時のことだった。

「お母さん! 花火綺麗だったね!」

「そうねぇ。また来年も行こうね」

「うん!」

 前を仲睦まじそうな親子が歩いていた。

「ねえ春樹ぃ〜。私もう歩くの疲れた〜」

「知るか。ていうかお前浴衣のくせにランニングシューズとかいう謎のファッションしてて何言ってんだ。なんだ? 浴衣で徒競走でもするつもりだったのか?」

「し、仕方ないじゃん! うちの下駄壊れちゃってるんだからさあ!」

「それにしたってランニングシューズはねえだろ……他になんかなかったのか?」

「うるさい。もう……そんなに人の揚げ足とることばっかりうまくなっちゃって……小さい頃は可愛げあったのに」

「小さい頃は関係ねえだろ……あ、靴紐解けた」

 交差点に差し掛かった私達の目の前で信号が赤に変わる。

「人に言っといて自分もランニングシュー……」

「あ! 私のヨーヨー!」

 私達の前で既に信号を渡りきっていた女の子の指から水風船が落ちる。そしてそれはころころと、道路の方に転がっていった。女の子が吸い込まれるようにそれを追いかけ、道路に飛び出してくる。

 最悪のタイミングだった。ギリギリで交差点を曲がってきた車が女の子に追突する。

 それを考えきる前に私の体は動いていた。無意識と言ってもいいだろう。

「おい、ゆう……!」

 それに気づいた春樹が静止しようとするが、もう遅い。

 私が女の子を突き飛ばすのと同時に、水風船は……破れた。

 結局女の子は助かったのか。それを知る術は私にはない。どうやら即死だったようで、私の魂……とでも言うべきだろうか。ともかく、私のそれはそのことを確認する間もなく空へと昇っていった。

 そして、お盆である今日。死者達の帰る日。祭りの灯りに導かれ、私は帰ってきたのだ。あの日の約束を果たすために。

 ひゅ〜……ドーン!

 聞き慣れた音で私ははっと我に返った。花火だ。毎年この場所で春樹と見ていた花火だ。毎年聞いているはずなのに、その音はどこか懐かしくさえ思えた。

 春樹が石段に座る。私はその隣に。他の誰も知らない、二人だけの特等席だ。

 花火を眺めている途中で、私は花火から視線を春樹の方へと移しかえる。バレないように、こっそりと。花火の明かりで見え隠れする彼の横顔はなんだかいつもと違うように思えて……そっと手を重ね合わせてみるが、その手は虚しく空を切る。もちろんそんなことはわかっているのだが。わかりきっているのだが、なんとなくそうせずにはいられなかったのだ。

「そう……だよね。私は幽霊だからね。私はもう……」

 君の瞳に映ることはない。触れることも、話すこともできはしない。わかっている。そう。わかっては、いるのだ。

 しかし心が受け付けない。頭ではわかっていても、心がそれを認めない。

 もう一度触れたい。話したい。笑い合いたい。いくら願っても叶わないのに。心がわがままを言って聞かないのだ。

 必死に話しかけても、抱きしめようとしても、その言葉は、思いは君を通り抜けていく。

「なんで……? なんでよ……なんで……私まだ……春樹に伝えてないこと……あるのに……。いっぱい……あるのに……」

 小さい頃、祭りに誘ってくれてありがとう。人混みから救い出してくれてありがとう。オカッパ頭を似合ってるって言ってくれてありがとう。今まで一緒にいてくれてありがとう。

 言い出したら限りがない。でも、全部伝えたかった。彼に伝えたかった。もう遅いのだとしても。

「なあ、夕夏」

 不意に春樹から声がかかる。まさか気づいて……いや、そんなはずは……でも、もしかしたら……。様々な思いが私の中で氾濫する。

「今日お盆なわけだし……もし、そこにいるのなら聞いてほしいことがあるんだ」

 春樹は花火を眺めながらそう呟く。そりゃそうだ。気づいてるわけがない。それにしてもなんだろう。あいつが私に言いたいことって。

「今までありがとな」

 クライマックスだろうか。今までよりも一際大きな花火が真っ黒な夜空に、咲いた。

「……それはずるいよ」

 むしろお礼を言うのはこっちの方なのに。私だって春樹に言いたいこと、たくさんあるのに。

「私こそ……ありがとうね。春樹。……×××××」

 聞こえないとはわかっている。でも、今は……今だけは、きっと伝わる。そんな気がしたから。

 最後の方は花火の音にかき消されてしまったけど……まあ、いいだろう。どうせ聞こえてはいないのだから。

 轟音と共に乱れ咲いた後、花火が終わりを迎える。

 すると春樹はどこを見るわけでもなく、

「じゃ、また来年」

 とだけ言うと、人混みに消えていった。

 あれでは他から見たら完全に痛い人である……私は嬉しいけど。

 そこで私は自分の変化に気づく。

「……送り盆は明日なんだけどなぁ……これじゃあまるで成仏じゃない」

 少しずつ身体が消えていく。無念を果たしたからだろうか。それだと成仏のような気がするが……

「ま、いっか。聞きたいことは聞けたし、言いたいことは言えたしね」

 消える直前、春樹の消えた方に目を向けると、手を繋いだ昔の私達が見えた気がした。

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