レストラン

龍眼喰 仁智

第1話 最高級のコースを求めて

 今では手に入らない高級食材を取り扱うレストランがあると聞きつけて、俺は突撃取材を試みた。かつて、この国にも豊富にあったもので、家庭料理にも使われていたのだと爺さんから聞いたことがある。夢の様な話だ。


 もちろん完全予約制。俺は店内に入ると名を告げた。


 ウェイターに通され席につく。まんまるなテーブルにはしみひとつない真っ白な布が敷かれている。(こんなところまでこだわっているのか)と、思わず、指で布をなぞった。つるつるとした感触、おそらくシルクなのだろう。


 今回は、フルコースを予約している。経費で落ちるのだ。たっぷり堪能しよう。


 俺は他の客の様子を見回した。誰も彼も水を飲んでいる。あるものはゴクゴクと、あるものはチビチビと。気持ちはわかる。ここは高級レストランなのだ。その楽しみ方も人それぞれ個性がでてしまうものだ。


 客のひとりの飲み物が白いことに気付いた。いや、真っ白ではない。薄い、どことなく薄い白だ。


 まさか、そんなことがあるのだろうか。俺は居ても立ってもいられなくなり、白い飲み物を楽しんでいる男に近づいた。そして単刀直入に聞いた。それは、何を飲んでいるのか。男は答えた。


「これはね。水割り牛乳だよ」

「ああ、噂に聞くカルピスかと思いました。しかし、牛乳で水を割るなんて…」

「ふふ、贅沢だろう。そう、それを楽しむ。君のように興味を引いてくれる人の視線も合わせて楽しむ。この水割り牛乳はそういうエンタメ性を含んだドリンクなのさ」

「どうも、してやられましたな。それでお味は?」

「ここまで薄めれば牛乳の味なんてしないさ。まあ、水だよ。水の味しかないさ」


 俺は思わず喉を鳴らしたが、自身の席に戻った。今に俺にもこの店の最高級フルコースが振る舞われるのだ。他の客が舌鼓を打つ姿を眺めるのは、そのための余興のようなもの。ああ、待ち遠しい。その日によって、メニューは変わるというが、実に楽しみだ。


 なんせこの店はすべてに最高級食材が使われているのだから。


 しばらく、客を眺めてはいたが、もう心はまだかまだかと料理のことしか考えていられなくなっていた。そんな俺の目の前にウェイトレスが颯爽と現れて、番茶をひとつコトンと置いた。俺は思わずウェイトレスを見た。


 ウェイトレスは「前菜でございます」と一言残して笑顔をこぼした。俺は目を丸くした。本気なのか。


 ズズズ…と番茶をすする。番茶だ。本当に、これは番茶だ。これが前菜だなんて、本当なのだろうか。騙されているんじゃないだろうか。俺は不安になりながらも、丁寧に丁寧に番茶をすすった。番茶はうまい。うまいが、これが前菜。ううむと、思わず声に出して唸った。


 次に運ばれてきた料理は湯豆腐だった。俺は思わず目を光らせた。正気の沙汰ではない。こんな斬新な料理が存在していたのか。いや、知っている。かつては、このような料理が存在していたことを知ってはいる。だが、だがしかし、実在するのか。これは、ほんとうに食べてしまっていいのだろうか。


 くつくつと煮立った鍋から豆腐を掬う。食べる。豆腐と一緒に鍋に入れられた昆布の香りがした。水をたっぷり吸った白菜を箸でつまんで食べる。絶品だ。これは、絶品だ。なるほど、なるほど。確かにここは高級レストランに違いないようだ。


 俺は鍋の湯が冷めてきたのを見計らうと、ごくごくと飲んだ。


 至福だ。極上だ。もう、当分何も不必要だと、ホンキで思ってしまうほどの満足感があった。腹を擦って、ぼーっとしていると、ウェイターが湯漬けを持ってきた。満足していたはずの俺は、それを見るといてもたってもいられなくなって、飛びついた。


 うまい。うまい。うまい。


 湯漬けは啜ってしまって器を空にした。ウェイターはいつの間にかそこに立っていて、紅茶を置いた。彼が空の器を持っていく背中を眺めながら、紅茶を口にする。良き香りが鼻の中を抜ける。写真でしか見たことのなかった紅茶は、ここまで香り豊かなものだったのか。驚きしかなかった。


 じっくりと紅茶を飲み進める。これだけでいい、これさえあればいい。それにしてもフルコースは高級食材のオンパレードだった。湯豆腐は、いまだに夢のようだ。あんなことをするなんて、なんという身震いするほどの贅沢なのだろう。


 ティーカップの中身が留守になった。もう、これでおしまいか。


「お客様、これがデセールでございます」


 ウェイターがヤカンをもってきた。


「それは、もしかして、ラグビー部の魔法の水!!」

「ご存知でしたか。では、どうぞ。たっぷりご堪能くださいませ」


 俺はわけがわからなくなっていた。ヤカンの水をがぶがぶと飲んだ。もう腹の中はパンパンだ。


 もう動くのも億劫なほどの水分を摂取していた。歩けば胃の中の水がたぷんたぷんと音を鳴らす。


 フルコースすべてを平らげた俺は会計を済ませて店の外に出た。そこには砂漠が広がっていた。吹き付ける風が砂を回せて、空気中の水分は無に等しい。遠くで砂嵐が起きていた。


 世界の水分の8割が失われた。その理由は太陽が近づいたのだとか、温暖化が止まらなかっただとか、そういうのを小学校の社会の授業で習った。わかることは、今、この星には水がないということだ。


 なのに、このレストランには水が溢れていた。あんな高級なものをいかにして、あれだけ集めたのか…。


 レストラン「フォカロル」。領収証にならんだ数字は俺の3ヶ月の稼ぎでも間に合わないほどだ。それでも、あの店のことを書けば、金になると編集部は踏んだのだろう。


 この店は、辿り着くのも一苦労の危険地帯だ。そもそも、水を扱うレストランだなんて今の時代は眉唾にもほどがある。


 俺のような鉄砲玉みたいなライターに仕事が回ってきたのも当然とはいえ当然。しかし、実在した。この情報は高くなる。稿料を弾んでもらえるかもしれない。そしたら、またこの店に来るのも良いかもしれない。


 すっかり取り憑かれてしまった。まさに水の悪魔の名を関するに相応しい魔性の店だった。


<了>

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レストラン 龍眼喰 仁智 @motoyakito

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