わがままをおひとつ

皇こう

第1話

「あっつ・・・っ」


蝉に頭をかち割られそうなうだるような暑さの日。今朝のニュースでは今年一番の暑さがどうのこうのって言っていた気がする。

正直こんな日がバイト初日だなんて、本当だったら全くテンションが上がらない。

しかし今の僕は心臓が飛び出てしまいそうなくらいに浮かれていた。


デザイン系の大学に進んで3年目の夏休み。僕、藤堂 啓太は就職活動真っ只中だった。

就活真っ只中とはいえ、一人暮らしをしている為バイトもしなければいけない。

丁度1週間前にモデルのバイトもキリになって、どうしようかと求人誌をパラパラ眺めていた。


「ようっ!」


聞き覚えのある声に顔を上げる。するとそこには同じ科の先輩である風間さんが立っていた。

風間さんには課題のことや就職のことで何かとお世話になってる。


「藤堂、お前たしかデザイナーの真白 新って好きだったよな?」

「え・・・あ、まぁ。真白さんのデザインしたものは全部チェックしてますけど」

「お前俺に感謝しろよ~。俺の就職先の人が真白デザイン事務所の人と知り合いでさ、なんかバイトを急募してるみたいなんだよね。そこで俺はお前を推薦しといてやった」

「えっ?!」


真白 新といえば近年数々の賞を総ナメにしている新進気鋭の若手デザイナーだ。しかし本人はマスコミにも個展にも姿を見せないことから、この業界では少し話題になっている。


「これ向こうの住所な。履歴書送って欲しいってさ」


こんなことがあるのだろうか?あの憧れの真白 新の事務所で働けるかもしれないだなんて・・・本当風間さんには頭が上がらない。


「ありがとうございます!早速送ってみます」


話を貰ったその足で履歴書を送り、2日後すぐにでも来て欲しいという連絡がきた。

それからトントン拍子に長年憧れている人の会社でのバイトが決まったのだった。




「ここ・・・だよな」


お洒落なオフィスビルの中に入ると、さっきまでの暑さが嘘のようだった。冷たい空気が火照った身体をあっという間に冷していく。ビル内に掲げられた会社一覧を見ると16階に真白デザイン事務所の文字を発見した。


バイトするにあたって履歴書は郵送したが面接はしていない。このご時世面接しないで採用してくれるところなんてあるのか?と、かなり不安だった。しかしそんなことも真白 新の名前の前には霞んでしまう。


僕が真白 新の作品に初めて出会ったのは高校生の時。

偶然彼のデザインしたポスターを見て息を飲む程の衝撃を受けたのだ。世の中にはこんなに綺麗で洗練されたものを創れる人がいるんだと。

そして自分もこんなものを作りたいとデザイン系の大学に進学したのだ。

つまり僕の人生を変えた人と言っても過言ではない。


今日からその事務所で働けるなんて夢みたいだ。やっと、やっと生の真白 新に会える。昨日はワクワクしてほとんど眠れなかった。

エレベーターに乗り16階で降りると、ロビーに真白デザイン事務所と書いた看板が掲げられていた。

ドキドキしながらエントランス正面に置かれたインターホンを押す。


「・・・はい、真白デザイン事務所」

「あ、すいません。今日からバイトで働く藤堂といいます」

「あー・・・奥の部屋だ」


無愛想な声と共にブチっとインターホンを切られた。この一抹の不安は直ぐに現実のものになる。


オフィスの扉を開け、厳重に閉ざされたもう一枚の扉をくぐる。するとそこはお洒落なインテリアに囲まれたホテルの1室のようになっていた。調度品の一つ一つがとても洗練されている。

ぐるっ一周してみるがどこにも人の影がない。キョロキョロ辺りを見回すと、奥にもう一枚扉があることに気がついた。

きっとさっきのインターホンの人物はこの中にいるのだろう。恐る恐るその扉をノックする。

コンコンッ


「失礼します」


ガチャリと重厚な扉を開ける。するとそこはさっきまでのお洒落な雰囲気が嘘のような作業部屋が広がっていた。書類の山の中にかろうじて人の頭が見える。

書類の山に埋もれた人物はこちらを振り向くこともなく、黙々とパソコンに向かっている。


しばらく見つめていると視線に気付いたらしく、彼は画面から僕に視線を移した。その顔に一瞬ドキッとする。

歳は恐らく20代半ば位で、白い陶器のような肌にクリッとした瞳、キュッと結ばれた口、と物凄く可愛い顔立ちをしていた。一瞬目を疑いたくなるくらい可愛い。

しかし残念ながらその可愛さも眉間に寄ったシワと目の下のクマが全てを台無しにしていた。・・・ってか死相が出てる。

この人、ここの社員の人だろうか。


「あの、今日からバイトで入る藤堂 啓太です。よろしくお願いしま・・・」

「おい、俺は今めちゃくちゃ忙しい。くだらんことで話しかけてくるな。見ればわかるだろう、お前はバカか」

「えっ・・・?あ、あのっじゃあ僕は何を・・・」

「そこのパソコンでたまってる事務作業でもしとけ。やり方はこのノートに書いてある。じきにもう一人の従業員が出社してくるから分からないことはそいつに聞け。以上だ」


一通りまくし立てられると、その人は再びパソコンに向かった。

なんて横暴な・・・っていうかいきなりそんなこと言われても僕事務作業なんか初めてだし。

ひとまず渡されたノートをペラペラめくりながらパソコンの電源を入れた。ノートには請求書や納品書がどーのこーのとか、企画書の書き方が走り書きで書いてある。

これだけで一体どうしろというのだろう。まずこのパソコンのパスワードがわからないし。

また話しかけたらきっとあの人怒るだろうなぁ。もう不用意にバカって言われたくない。


そう考えあぐねていると、部屋の扉が突然慌ただしく開かれた。




「悪い悪いっ!電車が遅延してたっ!ってあれ・・・お客さん?」


バタバタと入って来たのは30歳位のやけに人懐こそうな笑顔をした眼鏡の男だった。パリッとしたスーツに身を包み、如何にもサラリーマンという感じだ。


「遅いぞ沖田!今日からバイトが来ると言ってあっただろう、そいつだ」

「あー!そうだったそうだった!ごめんねーはじめまして、僕沖田洋一です。主にここの営業を担当してます。因みにそっちにいる無愛想なやつはここのデザイナーの真白 新様ね。お前どうせろくに自己紹介もしてないんだろー?」

「えっ!」


驚いて思わず彼の方を向くと、ギロッとした目で睨まれてしまった。っていうかこの人が真白 新!?想像してたのと全然違う。

もっと大人で紳士な人だと・・・ってまぁ僕が勝手に想像してたんだけど。

真白さんは再び眉間にシワを寄せながらパソコンに向かっている。


「ごめんねー。こいつコミュ障っていうか一匹狼っていうか、人付き合いとか丸っきりダメなんだよ。悪気はないんだ、許してね。事務の子が急病で出てこれなくなっちゃって困ってたんだ、助かるよ。えーっと」

「あ、藤堂啓太って言います。不慣れながらにも頑張りますのでよろしくお願いします」


ぺこりとお辞儀をすると、沖田さんは大きな手で僕の背中をポンっと叩いた。


「分かんないことはなんでも聞いて。あと今締め切り前でピリピリしてるから真白には極力近づかない方がいいよ」


そうボソッと耳元で囁かれ、やっと真白さんの不機嫌そうな理由がわかった。どうやら僕は入社してくるタイミングが悪かったらしい。


それから沖田さんにこの会社のことを教わった。僕の仕事内容は簡単な事務作業と電話対応、後は企画書の整理などの雑務らしい。その合間にデザインの勉強をさせて貰うことになった。

これを卒業までの間必修以外は出来るだけ働く。1、2年の時頑張って授業出といて良かった。


社会人としての経験値0ながら、手探り状態でパソコンに向かう。男3人のオフィス内は時計の針音とキーボードをタップする音だけが響いていた。


「沖田さん、社員の方ってこれで全部ですか?」

「いや、あと1人いるんだけどねぇ。かなりマイペースなやつだから昨日出勤してきたし今日はきっと来ないんじゃないかな」

「はぁ・・・」


社会人としてそんなことって許されるんだろうか。いや、きっとこの会社が特別なんだろうな。

初日はわからないことに頭を悩ませながらもあっという間に1日が終わった。




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