第91話

時姫

 ぶるぶるという震動に、木戸甚左衛門は懐を探った。移動行動電話ケータイの着信だ。画面を開くと電子矢文メールが一行「見ツケタ!」とある。信太屋敷に残した賽博格サイボーグの目玉が連絡を寄越して来たのだろう。

 急いで添付されている画像を開くと、時姫の息子の時太郎がはっきりと画面に捉えられている。

 ふっと甚左衛門は頬に皮肉な笑みを浮かべる。生憎だが、もう時太郎は自分にとって関わりのない相手である。今の甚左衛門は、いるかいないか判らない〈御門〉のことより、新たな展望に突き動かされている。

 空を飛ぶ船……。

 南蛮人はその船に乗り、光の速度よりさらに早くそらを旅するという。そのことを聞かされた時、甚左衛門の胸に南蛮人の船に乗り込むという熱情が生まれたのである。

 おれの器にとって、この星は狭すぎる……。

 気負いも無く、そう思う。

「甚左衛門!」

 甲高い緒方上総ノ介の声に甚左衛門は「はっ」と短く返事をして、するすると階段を駆け上がり、天守閣へと登っていった。

 八角形の破槌はづち城天守の窓近くに、上総ノ介が夕日を浴びて立っている。その側には南蛮人の狂弥斎という男がひっそりと控えていた。

「京の二輪車うま揃え、準備は進んでおるか!」

 甚左衛門はさっと膝をつき、畏まった。

「言うには及ばず、準備はおさおさ怠り無く、今頃は藤四郎殿の手配りにより、都大路に麾下の将が集合いたしおり候……」

「うむ」と、上総ノ介は大きく頷いた。上機嫌である。

 ぐっと身体を乗り出して窓越しに彌環びわ湖を見下ろした。湖面にはぎらぎらとした夕日が反射し、天守閣の内部を赤々と照らしていた。

 上総ノ介は隣に控えている狂弥斎を見やった。

「狂弥斎! それでは例の計画、始めようぞ!」

 南蛮人は微かに頷いた。

「いつでも出発できます……。後は、殿のご命令を待つのみ」

 相変わらずひそひそとした喋り方である。軽く一礼をすると、狂弥斎は静かに階段を降りていく。それを見送り、甚左衛門は上総ノ介に訊ねた。

「殿、本気で御座いますか?」

「ん?」と上総ノ介が意外そうに甚左衛門を見た。

「そち、まだ信じられぬのか?」

「はあ……」

 甚左衛門は恐縮した。上総ノ介の胸で「人生五十年……」と敦盛の一節が聞こえてくる。上総ノ介の移動行動電話の着信音である。取り出し、耳に当て上総ノ介は大きく頷く。

「用意ができたようじゃ」

 上総ノ介は窓に身を乗り出す。甚左衛門も身を乗り出し、外を眺めた。

 城の外観は大きく変わっている。城の中庭は総て木の板に覆われ、そこから巨大な帆柱が突っ立っていた。

「帆を揚げ──っ!」

 城のあちこちで水主かこが声を上げる。この計画のため倶鬼くきから呼び寄せた御仁おに衆たちだ。

 青光りした身体に頭から突き出した二本の角。傀儡くぐつに負けず劣らず怪力の持ち主である。帆柱には無数の御仁衆の水主が取り付き、緒方家の家紋である九曜星を染め抜いた三角帆を広げていた。

 ごとごとごと……と、城の全体が震えだした。

 風を感じる。

 外の景色が動いている。城が動いているのだ。

 破槌城の前面は長い坂になっている。その坂を、城はゆっくりと滑り落ちていた。

 ざざあ──と城は彌環湖に突っ込んだ。

 着水の衝撃で、ざばーっと巨大な水飛沫が上がる。あまりに大きく、その高さは城の天守まで達するほどである。

 上総ノ介が「ほーっ、ほっほっほっ!」と鳥のような叫び声を上げていた。

 笑い声らしい。

 甚左衛門を振り向き、声を掛ける。

「甚左衛門! 上首尾じゃぞ! 見よ!」

 その言葉に甚左衛門は上総ノ介の隣に歩み寄り、窓から彌環湖を見下ろした。

 ついに破槌城に帆が掲がった。

 巨大な三角帆は一杯に向かい風を受け、城は風に逆らって前方に進んでいく。

「甚左衛門、彌環湖は京の都に続いておる。この破槌城の姿は、京の公卿どもの肝をひしいでやるに充分じゃ! もはや〈御門〉めに面会させぬとは言わせん!」

 上総ノ介は目を輝かせていた。

 城がそのまま帆船になるという案を思いついたのは上総ノ介本人である。狂弥斎は上総ノ介のその思い付きを実行に移せるよう、城を改造したに過ぎない。

「これを手はじめに、いつか浮かぶ城を連ねた無敵艦隊アルマダを編成するのじゃ!」

 甚左衛門は改めて上総ノ介の独創性に感嘆していた。

 これなら殿は〈御門〉に無理やり面会を叶えるかもしれないな──おれには関係ないことだが。

 しかし……。

 甚左衛門は上総ノ介に気付かれないよう、微かな笑いを浮かべた。ちょっと悪戯してやれ、と思ったのである。

 甚左衛門は懐の移動行動電話を操作した。時太郎の画像情報を転送する。

 あて先は、関白太政大臣の藤原義明である。

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