第69話
二
やがて豆狸は、声を上げた。
「ここで御座います!」
立ち止まると、崖に階段が刻まれている。階段はくねくねと曲がりくねりながら、崖の上へと続いている。
「ここを登るのか?」
「さようで御座います。この上に、狸穴へと続く道が御座います」
豆狸の言葉に、お花は呆れた。
「まだ着かないの? ずいぶん、遠いのね」
「ともかく、登って見ようぜ」
時太郎は先頭に立って階段を登り始めた。
階段は岩壁を直に
幅は狭く、今にも転げ落ちそうで、気の弱いものなら登攀を諦めてしまいそうだ。
ようやく頂上に着くと、そこには小さな小屋が掛かっていた。
小屋の前には長椅子があり、そこには一匹の狸が傲然と腰を下ろし、煙管をぷかーり、ぷかりと悠長に吹かしている。
狸は、じろりと時太郎とお花の肩に乗っている豆狸を見て口を開いた。
「何のようだね? お前さんの肩に乗っているのは、狸御殿の豆狸のようだが」
お花が話しかけた。
「こんにちわ! あたしたち、狸穴へ行きたいんだけど、ここから行けるのかしら」
狸は、ふむ、と鷹揚に頷いた。
「狸穴へ行きたいのか。それなら、それに乗りな。その豆狸なら、道を知っているはず」
手にした煙管の先を振って指し示す。
そこには四つの車輪を持った奇妙な台が置かれていた。車輪の下には鉄製らしき
「これは……なんだい?」
時太郎の質問に狸は答えた。
「
恐る恐る二人は簡便手押式台車の台に乗った。目の前の把手を掴む。
時太郎は、ぐいっ、と把手を押し下げた。
がくん、と微かな衝撃があり、簡便手押式台車は、ごとごとと音を立て動き出した。
「あはっ!」
時太郎は思わず声を上げていた。
面白そうだ!
ぐいっ、ぐいっと時太郎とお花は把手を動かした。時太郎が力を込めるたび、車はぐんぐんと速度を上げる。
「ちょっと……時太郎、面白がるのはいいけど、押さえてよ! 危ないわ!」
お花の言葉にも、時太郎は夢中になって把手を動かしている。動かすたび、簡便手押式台車は速度を上げた。
びゅうびゅうと吹き付ける風が物凄い。
鉄路は森の中を進んでいた。
やがて坂道は平坦なところに代わり、辺りは広々とした草原になる。
遙か彼方に、きらっ、きらっとした輝きが見えてきた。
「なんだろう」
時太郎は伸び上がって、そちらを見透かす。
お花が鼻をくんくんとさせた。
「
「潮だって?」
時太郎はお花の肩に止まっている豆狸を見つめた。豆狸は頷いた。
「はい、海が近いのです。狸穴は海の側にあるのです」
「海……!」
時太郎は声を弾ませた。
海なんて初めて見る!
広がる海原を見て、時太郎は叫んだ。
「広い……! なんて広いんだ!」
簡便手押式台車は海岸べりを真っ直ぐ進んでいた。
真っ青な海原から、白い波が砂浜へと打ち寄せる。砂浜の砂はほとんど白といってもいいほどの色で、なにか特別なものが含まれているのか、時折きらきらと光を反射している。
「狸穴、っていうから、どっかの洞窟に住んでいるものとばかり思ってたわ!」
お花が感想を言うと、豆狸は髭をぴくぴくさせた。なんだか「してやったり!」という表情である。
と、豆狸は鉄路の向こうを見やって緊張した表情になった。
「時太郎さん、終点が近づいてきました。
「制動装置って、なんだい?」
「簡便手押式台車を停めるんです! ほら、そこの
豆狸の声は悲鳴に近くなっていた。
終点が見えてくる。鉄路の先に車止めがある。出発したときと同じような小屋があり、そこから数匹の狸が飛び出して来た。
明らかに慌てている。手を振り回し、なにか叫んでいる。
「停めろっ! ぶつかるっ!」
狸たちの切迫した口調に、時太郎もようやく事の重大さを認識した。
梶棒に飛びつく。
ぐいっ、とばかりに力いっぱい引き寄せる。
ぎぎぎぎい~っ!
軋むような音を立て、制動装置が利きはじめる。車輪から火花が散り、なにか油が燃えるような、厭な匂いが漂った。
お花も時太郎と一緒に棒を引き寄せた。
二人と豆狸は、ぐんぐん近づいてくる車止めを見つめていた。
着実に近づいてくる。速度は、あまり下がっていない。
このまま、ぶつかると……。
時太郎は目をいっぱいに見開いていたが、お花は恐怖のあまり目を閉じている。
そして、ついに……!
がくんっ!
簡便手押式台車は車止めに衝突してしまった! 衝撃で、台車は横倒しになり、時太郎とお花は投げ出される。
ぐるぐると空が回り、時太郎は後頭部を何かに打ち付けていた。
ぱっ、と目の前に星が飛び、あとは何も判らなくなった……。
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