第53話
五
廊下の突き当たりに一枚の引き戸があり、その両側に天狗が立っている。引き戸の側には巨大な木製の歯車が設置されていた。
三人を連れてきた天狗は、立っている二人に声を掛けた。
「天儀台だ! 大天狗さまに会いに行く」
両側に立っていた天狗は、その言葉に頷くと引き戸を開けた。引き戸を開けると、中は小部屋になっている。四人が入ると一杯である。
「やってくれ!」
天狗がひと声、甲高く叫ぶと、そこにいた二人の天狗は歯車に取り付いた。
歯車には手を掛ける場所があり、二人の天狗が力を込めると、ぎりぎりぎりと音を立て、歯車は回り出した。
同時に、四人の入った小部屋が上昇を始めた。
時太郎とお花はこの動きを予想していなかったので、部屋が上昇し始めるとぎょっとして、おたがいにしがみついた。
それを見て天狗は、にやりと笑った。
「心配するな。ただの
ごとごとと暫く小部屋は上昇を続けた。
やがて、がったん! と音を立て停止すると、そこには星空が広がっている。
あれ? いつの間に夜になったのか、と良く見ると、星空は半球形の屋根の内側に映し出されたものであった。
時太郎は昇降機の小部屋から一歩、踏み出した。
部屋の真ん中には、見るからに複雑そうな装置が、でん、と置かれている。
幾つもの金属の輪がぎっしりと組み合わされ、輪には同じく金属の球が嵌め込まれている。見ているうち、輪はゆっくりと回転しているようだった。輪は一つ一つ別々の速度で回っている。
「これは、何だい……」
恐る恐る時太郎は輪に指を触れた。すべすべした金属の輪はひやりとした感触を伝えてくる。輪に嵌め込められた球体が近づいてきた。
球体にはさらに小さな球体が棒で繋がれている。小さな球体は二つあり、一つは小さく青く塗られ、もう一つは少し大きく、赤く塗られている。二つの球は輪に嵌まった球の周りを、ゆっくりと回っていた。
「それは、この世界を表しておる……」
不意に部屋の中に重々しい声が響いた。
声と同時に部屋の壁の片隅が開き、外光が差し込んできた。半球形の屋根に映し出されていた星空は、瞬時に消えた。
ぎょっとして顔を上げると、そこに大天狗が立っていた。
まさに、大天狗だった。身長は七~八尺は優にありそうで、広々とした半球形の部屋が、そこに立っている大天狗一人のせいで、急に狭くなったようだった。
身に着けている装束や顔かたちは、他の天狗と同じだが、遙かに巨大だ。
さらに大きな違いは、大天狗の髪の毛が、雪のように真っ白になっているところだった。
ふさふさとした、真っ白な眉毛の下から大天狗は、じっと時太郎を見つめていた。
大天狗の威圧するような目に、じーっと見つめられ、時太郎はなぜか落ち着かない気分になった。
大天狗は頷くと、口を開いた。
「お前が、河童淵からまいった時太郎であるか?」
「えっ?」
時太郎は驚いた。なぜ、この大天狗が自分の名前を知っているのだろうか?
ゆっくりと大天狗は歩み寄った。
「この苦楽魔と河童淵は、昔から深い
大天狗は開いた窓を指し示した。その方向を見た時太郎は「あっ」と驚きの声を上げた。
窓の外に岩が突き出している。鼻の形をしている。つまり最初に見た、天狗の顔を刻んだ岩の目の所に開けられた窓なのだ。
しかも、窓から真っ直ぐ視線が伸びた先には、水虎さまの像が遙かに見えているではないか。
大天狗は時太郎が見入っていた機械を指さした。
「その輪に載っている球一つ一つが、我々が今いる世界全体を現しておる。お前の前を通っていく球は、我らが住んでいる世界そのものなのだ。二つの小さな球は、紅月、藍月を表しているのだ」
お花は「ぷっ」と噴き出した。
「まさかあ! こんな真ん丸の球に、あたしたちがいるなんて、信じられないわ! つるつるの球に立ってられないでしょ。下に落っこちゃう……」
天狗は、ゆるゆると首を振った。
「違うのだ。我らが立っているこの球は、物凄く大きく、しかも総てのもの引き付ける力が働いておる。球の上にいる者も、下にいる者も今いるところが上だと思っておるから、落ちないのだ」
お花は納得しないのか、首をかしげている。
天狗は、にぃっと笑いの表情を作った。
「まあ、それは、どうでもよい。時太郎、おぬしは京の都で母親を探すという使命があるのだろう?」
時太郎は一歩、大天狗に近づいた。
「うん! この苦楽魔で仲間を探せ、と言われたんだ」
大天狗はちら、と時太郎の背後に控えている翔一を見た。
翔一は大天狗の姿に圧倒されているのか、がたがたと足を震わせている。
「その者は?」
翔一の隣に立っていた天狗が口を開いた。
「この烏天狗、なにやら大天狗さまに申し上げたい儀があるらしく、連れてまいりました」
天狗は翔一の肩を、ばしん、と叩いた。
叩かれ、翔一は勢いで一歩二歩、つんのめって前へ進む。言い出しかねているのか、胸の前で両手を捻くり、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている。
天狗は声を掛けた。
「さ、ここまで来たのじゃ。大天狗さまにお願いしたい儀があれば、申し上げよ!」
翔一は背後を振り返り、今にも泣き出しそうな情けない顔になる。
大天狗はじっと翔一を見下ろしている。それに気付き、翔一は俯いてしまった。
すかさず大天狗が声を掛けた。
「願いの儀とは、なんじゃ? 話せ!」
大天狗の厳しい声に、翔一は飛び上がった。
顔を真っ赤にさせ、途切れ途切れに口を動かす。
「お、おれ……いや、わたくし……烏天狗の翔一と申します……! あ、あの、おれ……ずっと苦楽魔で機械の係りを仰せつかっておりますが……その……」
大天狗は黙って待っている。
大きく息を吸い込み、翔一は思い切ったように叫んだ。
「おれ、まだ葉団扇を頂いておりません! いつになったら、頂けるのでしょうか? おれと同じ時期に烏天狗になった仲間は、おれがいつまで経っても葉団扇を貰えないので、さんざん馬鹿にしております! やれ半人前だとか、烏天狗じゃなくて雀天狗だとか……」
お花は、ここに連れてきてくれた天狗に、そっと話しかけた。
「葉団扇が貰えないことが、どうしてそんなに大事なの?」
「葉団扇がないと、我らは空を飛ぶことができぬのじゃ! じゃから、あの翔一という烏天狗は、必死なのじゃ」
意外な答にお花は「へええ」と驚きの声を上げた。時太郎も、天狗が葉団扇がないと空を飛べないということは初耳だった。
大天狗は微かに頷いて見せた。
「おぬしのことは耳にしておる。なぜ、おぬしが葉団扇を貰えないのか、その訳を承知しておるかな?」
翔一は、ぽかんと阿呆のように口を開けた。大天狗の質問は予想もしないものらしかった。
「わ……訳でございますか?」
さっぱり判らない、と首を振る。
大天狗は、溜息をついた。
「しかたないな……では教えて進ぜる。その前に葉団扇を渡そう……」
大天狗の言葉に翔一は、ぱっと顔を輝かせた。
が、大天狗が差し出した葉団扇に、その顔が曇った。
大天狗が差し出したのは、確かに葉団扇の形をしているが、楓の葉ほどしかない、翔一の手の平ほどの大きさの葉団扇だった。
「あ、あのう……これが?」
「葉団扇じゃ! 使って見ろ!」
「は、はい……」
翔一は葉団扇を手に持ち、背中の羽根をぱたぱたと動かした。
動かない。全然ぴくりとも浮かない。
さらに必死になって、背中の羽根を早く動かす。
たちまち翔一の顔から、汗が滝のような勢いで噴き出してきた。
「お!」と時太郎たちは目を見張った。
一瞬、翔一の足が微妙に浮いたような……。
しかし、がっくりと疲れ果て、翔一は肩を落とした。恨めしげに大天狗を見上げる。
「と、飛べませぬ!」
「当たり前じゃ! その葉団扇は、おぬしと同じく半人前なのじゃ。まだ一人前の葉団扇として育ってはおらぬ」
翔一は虚脱状態に陥り、ぼんやりと手にした葉団扇を見つめた。
「わたくしと同じ、半人前?」
「そうじゃ、その葉団扇で一人前の天狗と同じように空を飛ぶには、おぬし自身が一人前にならねばならぬ。第一、翔一よ、おぬし太りすぎじゃぞ! そのようにぶくぶくと太りおって、空を自在に飛ぼうなど、無茶な願いと思わんのか?」
翔一は「ああっ!」と小さく悲鳴に似た声を上げた。大天狗は続けた。
「葉団扇は我ら天狗が空を飛ぶためには必要だが、葉団扇だけの力で空を飛ぶわけではない。背中の羽根の力も必要なのじゃ。じゃが、今のおぬしでは羽根の力も足りん。おぬしに渡した葉団扇はまだ小さいが、おぬしが発奮して懸命になれば、いずれは一人前の葉団扇に育つでろう」
大天狗は時太郎に向き直った。
「時太郎よ、おぬしの仲間に、この翔一を加えてはどうかな? おぬしの、母を訪ねる旅に同行することが、翔一の一人前に育つ旅となるはずじゃ」
時太郎は改めて翔一を見た。
ころころと豚以上に太った身体つき、顔を半分ほど覆うほどの大きな度の強い眼鏡の奥から、不安そうな瞳が見つめ返してくる。
半人前……翔一の言葉を、時太郎は思い返していた。
時太郎は大きく頷いた。
「いいとも! 仲間になってくれ、翔一!」
翔一は弾かれたように顔を上げた。
その目に浮かぶのは希望か、あるいは不安か?
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