第44話

  五

 ぞろぞろと河童たちが海岸紅杉の森に戻っていくと、一人の河童が離れてもとの住処の河童淵へ、ちょこちょことした歩きで向かっている。

 あの、長老の洞窟の前で護衛をしていた、太った河童である。

 河童は飢えていた。胡瓜に、である。

 河童の大好物の胡瓜は、畑で栽培されていたが、湯を被り、呆気なく全滅していた。

 それ以来、河童たちは配給制で凌いできたのだが、それも今では滞っている。

(一つくらいは、残っているんじゃないか?)

 胡瓜を歯で齧ったときの、あの感触! とてもではないが、忘れられるものではない……。

 湯気が湧き出ている河童淵に顔を出し、あたりをきょろきょろと見回す。

 畑を見ると……やっぱり全滅だ。河童は、がっかりとした。

 が……、待てよ!

 沼の中心に聳える岩の天辺に、たった一つだが、胡瓜の苗が植わっている。どうやら胡瓜も実っているようじゃないか!

 ごくり……喉が鳴る。

 ああ、食べたい!

 が、岩は沼の中心にある。そこへ辿り着くには、湯気の立っている沼を渡らなければならない。

 意を決し、おそるおそる片足を浸す。

 熱っ! 顔をしかめ、足先を戻す。

 やっぱり、駄目か……。

 項垂れ、肩を落として森へ戻りかける。

 が、やっぱり視線は岩の胡瓜に引き付けられていた。

 む! と息を吸い込み、ちゃぷりと足を湯につける。全身が湯の温度に震え上がる。ぐっと力を込め、湯に全身を浸した。

 足先から膝へ、次いで腹、胸へと、潜っていく。その顔は真っ赤になっていた。

 ふと、河童は目を見開いた。

 驚きの表情が浮かぶ。

「こいつは……」

 呟き、口がぽかりと開いた。

 じんわりとした笑みが浮かんでいた。

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