須臾
夢を見ていた。それは冷める事のない夢。甘やかで取り戻しようがない夢だ。こんな光景なんて見たことなんてなかった。だけど、なんだかそんな風に思えてしょうがない。
俺はゆっくりと体を起こした。――熱い。体が熱を帯びて、じっとりと袴を濡らす。ごうごうと燃える炎を避けながら、奥へ奥へと向かっていく俺の体。俺の意識はそこに介在しておらず、夢の中の俺がひとりでに歩いている状態だ。
やがて、俺は一つの部屋の前で止まった。なぜかその部屋の扉だけは燃えておらず、まるで空間を切り取ったかのようにそこに存在していた。それはまるで、永劫に繰り返される時間のように。
ドアノブを回して、俺はその部屋へと入る。先ほどまでの熱さと打って変わって、この部屋は清涼そのものの雰囲気に包まれていた。それは異常なほどに。
――ちりん
ふいに、鈴の音が鳴る。透き通った音色を届けるそれは、もはや取り返しようのない何かが過ぎ去ってしまったことを明に伝えてくる。
いくら俺が手を伸ばしたところで届かない過去のもの。過ちは許されないものであり、きっとそれは未来永劫消えない傷痕になるだろう。
際限なく響き渡る甲高く、そして耳障りな鈴の音は、心をつかんで離さない。
「……あなたは、強く生きて」
なぜだか、俺はこの夢から目を背けたかった。この夢は俺にとって害悪になるはずがないのに。なぜか俺は……。
しかし目を背けることはできない。いや、許されていなかった。俺の目線は、その光景を延々と見続けるための機械として、ただただ厳然とそこに存在していた。微動だにせず。
「あなたは、強く生きて」
まるで蓄音機のように繰り返された言葉。目の前にいる女性は、その銀色の髪を、どこからともなく吹いてくる風になびかせていた。その足元には魔法陣。淡い光を放っていた。
……この女性は、遠からず死ぬ。俺は何故だかそれがわかった。今女性の胸にぽっかりと空いている胸は、現代の医療技術ならすぐさま治せることが理解できていた。……それなのに。
ゆっくりと彼女の言葉が小さくなっていく。それに伴って、彼女の命の灯火もまた小さく。
「貴方は……強く生きて」――もう一度、鈴が甲高く鳴る。
繰り返される言葉に、ただただ俺は首を振った。まるで何かを根絶するかのように。……彼女の言葉が、俺に届けられているものではないということを確信しながらも。
もう一度鈴が鳴ったとき、ついにその光景は豹変することになる。結界らしきものが解除されたのか、部屋に火の手が回りだす。俺はその部屋から動けず、女性も俺のほうに淀んだ目を向けながら譫言のように延々と言葉を繰り返し続けた。
ゆっくりと、しかし確かに、現実的に。その質量を、感覚をもって俺たちに襲い掛かる炎。
刹那、女性の周辺に金色の炎が出現する。彼女を囲むようにして、八点の魔術的支点が発生する。その点と点は結ばれ、女性の言葉少ない祝詞によってそれは完成される。
紡がれるは八芒星。意味するのは永遠と
そしてそのまま、その光は周辺の全てを喰らった。供物としてか、気まぐれか。俺にはわからない。ただ、何となく。夢の中にいる俺は何かを薄ら感じ取っていた。
――ここで、俺は終わるのだ、と
◇
「――っはぁ!」
薄気味悪い夢で自分の最後を見るなんて言う経験、今までにあっただろうか。いやない。おかげでベッドから飛び起きてしまった。
興奮冷めやらぬまま、俺は自分の体を見つめた。遥菜の短刀が刺さっていた腹には包帯がまかれていた。幸いにして痛みはないので、かなり早期で治療してもらったのだろう。
そのまま左右を見ると、そこは見慣れない室内だった。白があたり一面に広がり、清潔感あふれる空間であることを俺に伝えてくる。それは紛れもなく「保健室」と言われる部屋。
ということは当然。
「……気付きましたか」
「貴方は……」
「竹内と申します。一応保健の先生としてこの学園に籍を置いています。よろしくお願いしますね」
「あ、はい……。ではこの治療は、竹内先生が……」
俺がそういうと、竹内先生は静かに首を振る。
「いえ、その傷は住良木さんが治療していきましたよ」
「アニーシャが……?」
「私も驚きましたよ。まさか治療系の血統顕界を持っているなんて。この学園でも珍しいほうの生徒ですね」
ぜひ保健委員会に入ってほしいものです、と竹内先生はつぶやく。俺も驚きだ。治療系の能力はとても貴重で、その能力が発露する確率は、実に三百五十万分の一。つまり、七千五百万人いる日本人の中でも二十人ほどしかいない計算になる。
事実、延べ一千万人の規模を有する有馬家にも、治療系の能力を扱える人間は一人しかいないのだ。
……まぁ驚きだが、それはいったん置いといて。
「えっと、竹内先生。俺はどれくらい寝てたんですか?」
「ざっと二日、でしょうか。それほどひどいけがでもなかったのですが……」
「二日……。先生、遥菜は」
「今は授業中です。……まだ立ち歩くことはできませんが、車いすで見学することくらいなら可能です。――見に行きますか?」
「ええ、ぜひ」
早速車いすに乗り換えて、竹内先生と一緒に保健室を出た。
保健室がある場所は、確か本校舎の一階。俺たち一年生の学び舎は本校舎の三階だ。ちなみに学園長がふんぞり返っている場所は同校舎の最上階、五階だ。
車椅子はそんな本校舎から離れて、演習場のほうへと向かっているらしい。ドーム状の建物が見えてからは、生徒たちが繰り広げている鈍い剣戟の音と、迫真の叫び声が聞こえてくる。それはドームに入ると、より大きくなる。
ある生徒が身の丈ほどもある木製の大剣を振りかぶる。一方の生徒はそれを避けて、その手に持つレイピアで高速の突きを繰り出す――そんな攻防が至る所で行われていた。
その中に、一人だけ異彩を放つ生徒がいた。言うまでもなく遥菜だ。
短剣を構えた遥菜と、カトラスを構えた生徒が相対していた。あの構えからしたら、かなりの実力を持っている生徒だろう。それこそ一年の中でも五指の中に入るような。
かくして、彼女と彼は衝突した。いや、この表現はおかしい。
「……ふっ」
遥菜が一呼吸ついて、その男子生徒の後ろに立っていた。木製の短剣を振り向きざまに相手のほうへと構えるが、それは無駄な行動に終わった。男子生徒に装備されていた機械がブザーを鳴らして致命的な一撃だったことを知らせていたからだ。
残心を解いた遥菜は、その男子生徒と礼を交わして、何かを深く考え始めた。おそらくは先ほどの戦いでの反省点を列挙しているのだろう。……正直、あの技量で反省するべきところなんてあるのか、と俺は思った。
そんな思考にふける遥菜に、男子生徒四人が近寄っていた。遥菜はそれに気が付いていないのか、はたまた無視しているのか、そちらに意識を向けずにただただ思考の海に沈んでいた。
「有馬さん」
「……ん」
「私たちと戦っていただけませんか?」
「……いい、よ」
少しだけ考えて、頷いた遥菜。その頭の中で考えたことは、なぜだか俺にも瞬時に理解できた。たぶん遥菜は、多対一の戦いの訓練をしようとしているのだ。そういう意味なら、この学園の生徒は遥菜にとって適切な練度を持っているといえるだろう。
遥菜に単騎で対抗しうるのは、今まであってきた中ではたぶん青龍と俺くらいだろうか。アニーシャはその実力を肌で感じていないからイマイチわからない。
「……えっと、大丈夫なんですか、あれ」
「先生も、有馬の名前については知っているでしょう?」
「え、ええ。一応知ってはいますが……あれは危険では?」
「まぁ見ていてください。俺はそうでもありませんが、遥菜は伊達に有馬最強の名前を背負っているんじゃないんです」
竹内先生は不信感を顔に滲ませながら、たった今両者が構えたグラウンドを見た。遥菜に相対するのはそれぞれ、太刀、短剣、レイピア、ボウガンを手に持った男子生徒。目に宿るは喜悦と嗜虐の色。遥菜をいたぶって楽しむつもりらしい。
しかしそんな明確たる敵意に、遥菜はたじろぎもしなかった。ただただ無為自然に。そこにあるのはただの石ころだと言わんばかりに、心に幾ばくかの余裕を残す。ぴりりと、殺意にも似た何かが張り巡らされたことを、竹内先生も相対する敵も感じとったらしい。緊張が高まっている。
張り詰めた雰囲気の中、最初に動いたのは遥菜の方だった。集中力にムラが発生した一瞬で、男子生徒たちに肉薄していた。狙うのはボウガンを構えた生徒。
黒い髪を翻しながら、短剣で一つ突く。遥菜の長い髪に隠れて所作の一片さえ見えることは無い高速の突き。男子生徒がボウガンでそれを弾き事が出来たのは幸運と言えるだろう。
だが、その幸運は一度きりだ。はじかれて斜め上にいまだ走る短剣を、器用に逆手に持ち替え、手を引き寄せる要領で相手の首筋に叩き込む。木製とはいえ、その一撃は相手の意識を刈り取るに十分な威力を有していた。どさりと倒れこむ男子生徒に念入りにもう一撃加えて、遥菜は短剣を正眼に構えた。
レイピアを持った生徒が肉薄していた。射手との攻防戦の合間に、後衛を省いた陣形を組んでいたらしい。その動きはよどみがなく、後ろに大剣、短剣と続いている。
「もらった――」
「遅いっ」
高速の突きが遥菜に向かって放たれる。しかし遥菜はそれを短剣ではじく。突きの勢いに乗る男を空いた左手でグイッと引っ張って、そのまま大外刈りの要領で相手を地面に叩きつける。
そのまま右手の短剣を首筋へと叩き込んで――飛びのく。先ほどまで遥菜がいた場所を、横凪に振るわれた大剣が通過する。猫のようにしゃがんだ体勢の遥菜は、そのまま体を大剣を振るった男の懐へと潜り込む。尋常ならざる加速度を伴って行われたそれは、他の追随を許さないほどに俊敏だ。
「……なっ! 武器を消すなんて!」
「先生、何も武器は何も剣や鞭などの道具だけではないんです。有馬家の中でも特に才に秀でている上に、十年も過酷極まりない訓練を重ねてきた遥菜の武器もそうですよ」
「どういう――」
竹内先生がそう呟いた瞬間、フィールドから轟音が響いた。驚いて竹内先生がそちらを見る。濛々と立ち込める土煙の中、一つの影が揺らめいている。それは紛れもなく遥菜。腰を深く落として、右腕を前に突き出している。
先ほどの轟音は、どうやら弾き飛ばされた男が、フィールドの壁に衝突した音らしかった。その拳の威力に、フィールドの中の誰もが息をのんだ。相対するものに恐怖を与えるそれは、しかして短剣を構えていた男子生徒の心にも恐慌の種を植え付けた。
「ひっ……」
「……どうしたの? ……そっちがこないなら、こっちから」
「降参ッ! 降参しますからっ!」
「……つまんない」
最後はあっけなく勝負がついてしまうのだった。
恐怖に染まった人間は御しやすいとは、俺の師匠の言葉だ。なるほどどうして、それは真実らしい。地面にへたり込む男の姿を見ると、本当にそう思う。
やがてゆっくりと構えを解いた遥菜が、周辺を見回す。何人か視線が合ったのか、一歩後ろに後退していた。それだけ先ほどの光景が恐怖を誘ったのだろうか。そのまま遥菜の視線が百八十度にまんべんなくまかれ、ふいに俺と目が合った。
「――!!」
俺に気が付いた遥菜は顔に憂いの……いや、なんというか、絶望から救い出されたドラマ女優のような何とも言えない表情をしながらこちらへと駆けてきた。……一応言及しておくとするならば。フィールドとこの観覧席の壁の高低差は、最低でも十メートルほど存在している。それを飛び越えることは人間には不可能で――
「にぃっ!!」
「おわっ!?」
……訂正しよう。人間には不可能だが、どうやら遥菜には可能なようだった。
胸に抱き着いてきた遥菜を受け止めながら、その頭を撫でる。気持ちよさそうな声を上げて、遥菜の手が俺の背中へと回る。そのままぎゅっと、俺の胸に顔をうずめる遥菜。
「にぃ、にぃ……。心配、したんだよ……」
「ああ、ごめんな……」
「うんん、謝るのは僕のほう。……ごめん、本当にごめん」
そういいながら、ひたすらに謝罪の言葉を繰り返す遥菜。そんな遥菜に大丈夫、怒ってもないし死んでもないから、とささやく。そのまま、耳に口を寄せて、小声で遥菜へと問いかける。
「……事情、あとで説明してもらうからな」
遥菜は、こくりと頷いた。
血者落彗の永劫回路 おいぬ @daqen_admiral
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