狐の過去、そして名前



 それからしばらくして、狐は、僕の元から離れ、どこからかポットと紅茶用の少し高そうなカップを二つ持って、それをテーブルの上に置く。

 そして、先程のように僕の隣に座った。


「オレンジピールのハーブティだ。 落ち込んだ気分を和らげてくれる作用がある」


 そういって、彼はそれぞれのカップにハーブティを注ぎ、一つを僕の方へ手渡された。


 ……うん。


 確かに今の気分で一番合う味だ。

 柑橘類の爽やかな風味が口のなかに広がり、とても穏やかな気持ちになれる。

 ……しかし何故、ここまでしてくれるのだろう?

 何か目的があるのだろうか?



「うむ、うまい。 どう? 落ち着いたかい?」



 顔を上げると、彼も自身が注いだカップでハーブティを飲んでいた。


「……はい、おかげさまで。 でも……」


「でも?」


「何故、ここまでしてくれるんですか?」


 彼は静かにカップをテーブルに置き、ふう、と溜め息をつく。

 そして、まじまじと体ごと僕の方へ向いた。


「そうだね……強いて言うならば、恩返し……かな?」


「恩返し?」


「そう、恩返し。 実は私は、同類の……妖狐の中でもかなり異質な存在でね。 妖術を使わず、代わりに人間の魔法使いから魔術を学んだ妖狐なんだ。 さしずめ、魔狐、といったところだな」


 

 そこまで言うと、彼は苦笑しながらテーブルに置かれていたパイプを手に取った。


「そうだな……何故、そうなったのか説明するのに少し長話になる。あ、煙草を吸っても構わんかね?」


「構いません。 どうぞ、お好きなように」


 懐からマッチを取りだし、パイプに火をつける。

 慣れた手つきで煙草を吸っているものの、その手は少し震えている。

 そして、記憶から絞り出すように軽く目を細めていた。


「……まず、私の生い立ちについて話そう。 私が生まれたのはヨーロッパのとある田舎町の外れにある、枯れた大樹の空洞の中だ。 私は生まれた五匹のうちの末っ子でね……今でも、初めて巣から出た時の感動を覚えているよ」


 ヨーロッパ……てっきり、彼は日本の狐だと思っていた。

 でも、彼自身、妖狐として異質と言っていたし、日本や中国での、九尾の狐の伝承が影響が大きいせいで、変な先入観を持っていたかもしれない。



「我々は生まれてから3ヶ月で巣立ちをする。 その間に子狐は遊びながら狩りを覚えるんだが、私はどうしても狩りが不得意でね。 いつも兄弟から、からかわれていた。 ま、今となってはいい思い出さ。 でもね……」


 彼は顔を上げ、遠くを見るような……そんな目で天井を見ている。

 だけど、パイプを握る手だけはしきりに震えていた。


「巣立ちをする一週間前に人間たちが『狩り』を始めた。 所謂、狐狩り、というやつさ」


「狐狩り……」


「こことは違って、我々は害獣だ。 作物や家畜を食い荒らすから、人間からしたら、厄介者そのものさ。 それに我々の毛皮は防寒具になるからね。 我々も、生きるために狩りをしているし、それは仕方ないと思う。 けど……」


 彼の開いていた手は、いつの間にか握り拳になり、今にもテーブルを叩きつけそうになっている。


「彼らはなんも利点のない狩り……そう、ただの殺戮を楽しんでいた。 ただ、五十匹の犬たちが家族を食い散らかすのを笑って、貶していた」


 彼は激しく震えていた。


 それは怒りからくるものなのか、恐怖からくるものなのかは分からないが、明らかに今彼が話しているのは彼が実際に体験したトラウマだろう。

 目の前で肉親が殺される……それも、生きながらにして体を食い千切られる……か。


「最終的に私以外の肉親は全て犬に食い殺された。 その中でも、体の小さかった私は犬達に食い殺される前に人間に捕らえられたんだ。 ある行事の為にね」


「行事……いったいなんの?」


 恐る恐るそう聞くと、彼はこちらを向く。

 耳は垂れ、目は悲しみに満ちていた。


「……『狐潰し』さ。 当時、ヨーロッパはブラットスポーツという野蛮な遊びが流行っていた。 さっき話した狐狩りもその一部でね。 けど……狐潰しは、その中でも最も残酷なブラットスポーツだった。 ……内容は、城の中庭を使って、抵抗する動物を投石器で飛ばすだけ。 想像できるかい? 老若男女問わず、助けを求める声や悲鳴が聞こえるなか、人間のカップルが嗤いながら投石器を作動させ、飛んでいった同族が地面に叩きつけられる瞬間を。 ……あの時はまさに地獄だった」


「そ、そんな状況で貴方はどうやって生き延びたんです?」


「至極、簡単なことさ。 私の番になった瞬間、投石器にいれようとしていた厚化粧の不細工な女の指に噛みついて、食いちぎってやった。 子狐に抵抗できる力なんてない、と油断していたんだろうな。 そのあとは、全速力で城を去り、森の中に入った後でも私は走り続けた。 この時の事はあまり覚えてないが、多分三日は走り続けたと思う」


 喋り続けたせいか、彼はふう、と溜め息をつく。

 そして、彼は自分のハーブティを一口飲んだ。


 まるで気を静めるように。


「飲まず食わずで走り続けた私は、森の中で力尽きた。 その時、分からなかったんだが、どうやらある人が住む小屋の手前で倒れていたらしいんだ。 気づいた時には、暖炉のそばで布で包まれたバスケットの中で寝かされていた。 あとは……君と殆ど同じ状況さ」


「同じ状況? ということは……」


「そう、私は魔術師に拾われた。 魔法が使える……ただそれだけで迫害を受け、人間から逃げるように生活していたところに、家の前で私が倒れていたのを保護したらしい。 保護した理由は……話し相手が欲しかったから、だそうだ。 まあ、つまるところ、ペットが欲しかったんだろうな」


「じゃあ、そこで魔術を?」


「そう。 魔術師……いや、師匠から魔術を学んだ。 本来、妖狐は100年経たないと人に化けることができないが、師匠のお陰で50年で今みたいな姿になれたんだ。 そして……師匠から名前をもらったんだが……」


「名前……あ」



 そこで僕は……いや、僕らは気づいた。

 お互い、自己紹介していないことに。


「ああ、まだ自己紹介をしていなかったな。 私の名前は『ウィルペス』。 ウィルと読んでくれ」


「ウィル……じゃあ、僕は……」


「ストップ」



 ウィルは僕を静止させるように、手をかざした。


「実はな。 魔術師は、己の弟子に名を与えるというしきたりがある。 私もそうやって今の名を貰ったし、師匠もそうだった」


「……何が言いたいんです?」


「恩返しがしたい……そう言ったろう? 君には魔術師の才能があるし、君自身、今後頼るあてもない。 ならば……私の弟子になればいい。 そうすれば、新しい名前とともに君の悲しい生い立ちや忌々しい過去から解放される」


「弟子……」


 魔法使い。


 おとぎ話の存在。


 そう思っていたものの弟子になる……。

 正直、今の状況が信じられない。

 だけど、ウィルとこうやって話している時点で人間の、一般的な常識を既に越えている。

 ……本当にウィルを信用してもいいのか?

 今まで散々、色々な奴から陥れられ、虐められてきた。

 そう、何度も信用してもその度に裏切られてきたんだ。


 ……ああ、分からない。


 何度考えても安心できない。



「色々考えてるね。 まあ、確かに仕方のない事だ。 私もそうだったし」


「あなたも……ですか?」


「ああ。 私の場合、目を覚ましていきなり、弟子にならないか、だからね。 正直、面食らったよ」


「は、はあ」


「……まあ、君の考えていることは大体分かるよ。 だから、敢えて言おう。 信用してくれ」



 選択肢は無い。


 ここは変なプライドを捨てて、素直に提案を受け入れるべきだ。

 しかし、泥のように僕の奥底に溜まった不信感が、安易に信用するな、と粘りしつこく警告している。

 ………魔術師になるという利点は捨てがたい。

 まっすぐにウィルがこちらを見つめている。

 一切の曇りもないその表情は、動物らしさもあり、単純に正直者として生きてきた証なのかもしれない。

 その表情を見て、僕の中で何かが折れる音がした。


「……分かりました。 他に選択肢はないですし、お言葉に甘えて弟子になります。 いや、させてください」


「うむ、よし」


 そう言って立ち上がると、ウィルは椅子にかけていたジャケットを手に取り、羽織り始めた。


「え……何で服を?」


「ん? ああ、服を着るのに理由は一つだろう?」



 ウィルはそのまま、紺色のネクタイを締め、ポットを片付け始める。

 そして全てを片付けると、状況がよく飲み込めずに動揺している僕の前に立った。


「さて、君がここに生活するために買い出しにいこうか」


「買い出しって、え?」


「……なら、一張羅のまま、ここで生活するのかい? 流石に血塗れの服を着たままで生活するには、些か不便だと思うんだが」


「あ……」


 確かに、昨日の騒動で頭を怪我したせいで、ぬぐった右腕の部分や、襟の部分が血塗れになってしまっている。

 ウィルの言う通りだ。

 一張羅で生活するにも不衛生だし、このままという訳にいかない。


「確かに……そうですね」


「そうだろう? ならば、街に向かうとしよう。 街には……顔見知りの洋服屋がいるし、何よりちょっとした課外授業も出来るしね」


「課外授業?」


「気になるかい? ま、街に着いてからのお楽しみさ。 ……では、行くとしよう」



 ウィルに手を差し伸べられ、僕は彼の手を借りて椅子から立ち上がる。

 そして、ウィルの後ろについていくことにした。

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