かごめかごめ
須田原道則
籠の中のとりはいつ出やる
第1話 神西一花という人間
「お兄ちゃんは、どういう風に人を殺したい?」
「そんな事を思ったことはない」
一花の話題には付き合い切れずに俺は思った事を口にして突っぱねた。
すると一花は頬を膨らませて、口を尖らせた。しかし、特に俺を責める訳でもなく、ただ、話を終わらせられて脹れっ面をしているだけだった。
お兄ちゃん。その響きはいつ聞いても背筋がゾッとする。「お」の部分で脳が次にくる文字を予測する。視界に入る紅い唇と、喉の鳴る音と、筋肉が動くのを何度も、幾度も、見て覚えている脳が次の言葉を頭の中から導き出すのだ。「に」食べ物だろうか、肉の話だろうか、そうであってほしいと懇願する、それほどまでにその響きが嫌いだ。脳は既に理解しているのだろう、母音と子音の上がり下がりで理解する。
「お兄ちゃん」
耳はその言葉に慣れた。子供の頃から、一花が初めて俺の事を呼んだ時から、ずっと聞き続けた単語。
俺の中ではその単語は忌むべき言葉となってしまった。
いや、一花が話す言葉が、声を発する事が忌むべきことなのだろう。
「ねぇお兄ちゃん」
コンコンと目の前にある俺達を隔てるガラスを一花は叩いて俺の注意をそちらに向けた。
「一花ともっとお話ししようよ、その為にここにいるんだからさ」
綺麗に編んだ三つ編みが揺れた。
あの三つ編みにも思い出がある。毎日、毎朝、学校へ行く度に上手く三つ編みが編めないと俺にせがむのだ。最初は俺が一花の長い髪を弄って三つ編みを編んだのが始まりだった。それ以来俺が編んだ三つ編みを毎朝せがむようになった。自分でもなく、両親でもなく、俺が編む三つ編みが気に入ったのだと。
けど今は、そんな日常を一花にしてやることはない。
「そうだな一花。じゃあ最近俺の身近にあったことを話すよ」
「うん、何でも話して」
聞く体勢に入ったのか肘をついて両手を華を表す形にして、その掌に顎を乗せた。
「昨日な、父さんと母さんの墓参りに行ったんだよ。一昨日は雨だったけど、一転して天気が良くてさ、まるで父さんと母さんが俺が来るのを解って喜んでいるようだったよ。ちゃんと近況報告もしたし、一花も元気にしているって言っておいたよ」
昨日の断片的な記憶を話す。良い天気だった、清々しかった。胸を張って両親に手を合わせられた。
一花は俺の話をおとぎ話を聴く子供の様に目を輝かせて聴いていた。
「お父さんとお母さんと話せるなんてお兄ちゃんは霊能力やプラズマ的何かに犯されたのかな?それとも死線を一回でも超えちゃったのかな?」
そうやって茶らけた様子で会話を続けた。俺は苦笑いで話を続ける。
「親子だからな、父さんと母さんは近くで聞いてくれているよ」
「そうなんだ、親子なら生きている人と死んでいる人は会話できちゃうんだ」
「いや・・会話はどうかと思うが」
「じゃあ一方的な会話だね。あれ?でもそれって会話って言うのかな?どう思うお兄ちゃん」
一花の両親を蔑ろにする発言に少しだけ平常を保っていた表情が崩れた。まともに取り合った俺が馬鹿だったのだろうか。やはり一花の前では両親の話をするのは良くはない、俺の心が荒んでいくような気がする。
また無視をするのも兄として人としてどうかと思うので一花の質問に答えておく。
「確かに死んでしまった父さんや母さんとは話せないが、生前の父さんや母さんを思い出して会話するんだよ」
「へーやっぱりお兄ちゃんって凄いね。一花なんてお父さんとお母さんの事何も覚えていないから会話する事も対話する事も出来ないや。でもさお兄ちゃん、それって脳内で作り出した空想のお父さんとお母さんだよね?つまり、お兄ちゃんはお兄ちゃんが作り上げた空想と会話しているって事でいいんだよね?」
返す言葉がない訳ではない。言葉を返したくなかった。
聞くに堪えない返答が返って来ると解っているのにどうして言葉を返さないといけないのだろうか。今の一花は俺のヘイトゲージを底上げすることを楽しんでいて、少しでも上がったと解ると優越感に浸っている。
俺は思うのだ、妹、一花と話すとろくなことにはならないと。
しかし俺は一花と対話しなければならない。それが兄としての使命でもあるからだ。
いくら内心に怒りが芽生えようとも一花に怒りをぶつけることはない。けど、叱ることはする。
「一花、俺の事は嫌いでもいい、頼むから父さんと母さんを蔑ろにするのは止めてくれ」
「ん?一花、お兄ちゃんの事は嫌いじゃないよ、好きだよ?大好きだよ、そっちに行って膝に座って一緒にテレビゲームしたり本を読んだりテレビを見たり恋バナしたり愛し合ったりしたいくらい好きだよ」
「そこまで好いていてくれるならば、俺の言う事を訊いてくれ」
「お兄ちゃんって束縛愛に捉われちゃうタイプ何だね。一花に首輪をつけて、鉄の鎖を手に持って昼下がりを一緒に散歩するの、一花はお犬さん、お兄ちゃんに尻尾を振って、媚って、強請って、醜く鳴くの。わんわん、わんって」
「一花・・・頼むから・・・」
「わんわん、わんわん」
俺の願いは一花の耳には届かない。一花は目の前で右手を狐を作り、それを犬に見立てて俺の方に向け、高い声で鳴く真似をする。
甲高い一花の声が俺を刺激する。赤く濁ったモノが心の底から這いあがってくる、胸を通り過ぎて、喉を通り過ぎる。我慢しようと思ったけど、噛み締めていた口から爆発するように出てきた。
「一花!」
一喝した自分の声の大きさに驚いた。この部屋全体に反響する程の大きさ。一花もピタッと動きを止めて右手で作っていた犬を崩して膝の上に手を置いた。
一花のじゃれ合いに堪え切れずに大声を上げてしまった自分を戒める。
一花を叱るのは良いが怒りに身を任せるだけの言葉を投げるのは良くないのだ。それでは俺は衝動的に動く動物と同じではないか。そんなのは人間性に欠けている。俺は、一花の人間性を取り戻すためにこうして対話しているのだから、俺が声を荒げてしまっては元も子もないのだ。
しん。と砂漠の上に立った様に静まりかえったこの部屋の音を蘇らせたのは一花だった。
「ごめんねお兄ちゃん。一花、煩かったよね」
一花は、妹は、彼女は、狂っている。
一花は両親の死を悼まない。それを訊ねたいけど、妹の壊れ具合を確かめるだけで反復して聞くことはない。一花はこのように自分が煩かったと思っている。どうして俺が声を荒げてしまったのか、どうして俺が怒ったのかを俺とは違う着眼点で反省している。俺は、そこを反省してほしい訳じゃないのに。この気持ちが伝わる為に、伝えるために俺は一花と会話をするのだ。
「俺も大きな声を出してすまなかった」
「ううん、お兄ちゃんは悪くないよ、悪いのは一花なんだもん、謝らないで」
「じゃあお互いが悪かったって事にしよう」
「お互いが・・・・うん!そうだね、お互いが悪かったね」
機嫌が戻り一花は膝に置いていた手をみせて、再び目の前の突き出ている机の上に肘を置いた。
「お兄ちゃん。この三つ編みどう?」
一花の中では先程までの話は一段落着いた様で、自身の左肩から垂れている三つ編みを俺に査定するように見せつける。どうと言われると三つ編みの出来は十分である。何も否を責める部分はない。
「上手にできているよ」
「やった!忙しかったから、手早くしたんだけど褒めて貰えた。でもまだまだお兄ちゃんのようにはできないや」
「ここに来る前に何かしていたのか?診察とかか?」
俺は。
本当に馬鹿だ。
どうしようもない馬鹿だった。
妹は狂っている。そう頭の中で解っていても、ふと、頭に沸いた疑問でさえも俺は一花にとってのキラーパスを与えてしまう。
「うん!解剖してたの!蛙や鼠のような気持ち悪い奴じゃないよ、勿論人間。しかも生きた人間!
情景を想像するだけで吐き気を催す。一花の語り口は軽いが内容が生々しくグロテスクだ。この話を信じるならば一花は人殺しだ。人を弄り、殺す狂気的な人殺し。人の命の重さなんてものを図ったことも考えたこともない人殺しだ。
合っている。
一花は人を殺した事がある。
ただ今の言葉の中の様に楽しんで、興味本位で殺したわけではない。正当防衛。その刑法が成り立つ殺しだった。
強盗殺人。俺の両親は金品目的と一花を狙った強盗にあって殺された。
両親が殺害された日、その日一花は両親を殺した強盗を殺した。胸を台所にあった包丁で一突き、十二歳の時の出来事だ。一花がどうやって強盗を殺したのかは知らない。誰にも喋ろうとはしなかった。警察にも、俺にさえも。
ただ、一花が殺したと言い張るのだった。
今の虚言を鵜呑みにしてはいけない。一花がそんな事が出来る訳ないのだ。何せ一花と俺はこの隔てられたガラスの境界線、常人と異常人の境界線で隔てられている。一花がいる側は隔離精神病棟へと繋がっているのだ。そこは人と出会うことはなく、一人で素っ気ない部屋に閉じ込められる。週に三回このように近親者と会話をしてヘルスケアをして、こちら側へと戻そうと言う政府の魂胆だ。
一花にはその兆候があるのだ。最初は口を利かなかった、俺が話しかけても頷くだけで表情も反応も素っ気なかった。今、ここで笑顔で話しているのは俺と会話するのが楽しいから、らしい。グロテスクな妄想でも、こうして笑顔を取り戻してくれているならば俺は嬉しいのだ。
「ねぇねぇお兄ちゃん、お兄ちゃんは夏鈴ちゃんの事をどう思うの?一花は人生で出会った中でも三大悪女に入ると思うの」
想像の中の人物夏鈴ちゃんには申し訳ないが、人の妹を暗殺しようなどと企てる人間は人間ではない。
「悪い人だ。一花は、その夏鈴ちゃんと友達になりたかったのか?」
「うーん。わかんない。なりたかったと言えばなりたかったし、本当になりたかったかと聞かれればなりたくなかったかもしれない。友達って何なんだろうね、結局は赤の他人だよね?それって必要なのかな?」
「あぁ、必要なんだ、他人だからこそ、必要不可欠なんだよ。一花はその夏鈴ちゃんに裏切られたけど、それは夏鈴ちゃんが友達じゃなかったって言ったじゃないか。友達だったらそんなことはしない。友達とは己の不甲斐無い部分を補ってくれる存在だ」
失恋して泣いていれば一緒に泣いてくれる友もいれば新しい女性を紹介してくれる友もいる。友達とは一言の単語で片づけるには大きすぎる存在だとは俺は思う。
「不甲斐無い部分を補う。そっか、そうなんだね」
一花は自分の頭で結論を導いて納得したようだった。
キーンコーンカーンコーン。
学校のチャイムでお馴染みの音が部屋の中に鳴り響いた。これは一花との面談の終わりを告げる合図。
「あれ?今日はやけに早かったような。あぁ、お兄ちゃんと話すのが楽しすぎて時間が飛んでしまったんだね」
一花は座っていたパイプ椅子を引いて立ち上がる。楽しかったという割には毎回惜しむ言葉も仕草もすることはない。
一花の言葉の本心はどこにあるのか、そんな途方もない疑問の答えを掴もうとするのはもうできない。言葉の糸を手繰り寄せても、万の嘘、千の偽りの言葉を掻き分けても見つけるのは難しい。
俺は一花が元の、両親がいた頃の一花へと戻ってくれればそれでいいのだ。
一花の虚言癖が治るまで、辛抱強く、長い時間対話しよう。彼女がこちらへ帰って来る日を待ち望んで。
一花の後ろにあるドアが独りでに開く。開いたことを確認すると一花は毎回別れ際に笑顔で手を振ってこう言うのだ。
「また会おうね、お兄ちゃん」
この言葉だけは一花の言葉の中で一番掴みようのある言葉だ。
次回 この部屋へつづく
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