一人でお散歩


 「では、いってらっしゃい」


 「うん、いってきます」


 朝食の後、私はこれから外出するミアちゃんを玄関で見送っていました。

 まあ、ほぼ大丈夫だとは思いますが、昨日の戦闘のダメージが身体に残っていないか診てもらう為です。私は結局戦闘らしい戦闘は一回もしなかったので、今日は居残りです。


 ちなみに今日の筋トレは昨日に引き続き中止になりました。男性陣のお二人がいませんし、仕方ありません。正直に言うならば、出来ればあの奇習はこのまま廃止になって欲しいものです。

 少し前にミリアさんもご主人に用事があるとかで外出してしまったので、今この家には私とメイドさん達しかいません。



 「さて、どうしたものでしょうね?」



 考えてみれば、この家に最初に来てからほぼずっとミアちゃんと行動を共にしていたので、完全な単独行動というのは久しぶりな気がしますね(昨日の地下神殿内での事は非常時だったのでノーカンです。すぐに人質の方々を発見したので、時間にすれば一人でいた時間はそれほどありませんでしたし)。


 お昼までには帰宅するとミアちゃんは言っていましたが、逆に言えば午前中は久々のソロ活動となるようです。


 この街に来た直後は当面の衣食住の確保という目的があったので迷いなく行動できたのですが、それらが満たされてしまった現在、特に行動の指針となるものがありません。


 一応、昨日クロエさんから聞き出したアトラス山の神殿に行って帰還の為の調査をするという大きな目標はありますが、その為には色々と旅の準備も必要でしょう。この街からも薄らと見える距離にある山ではありますが、行くだけでも数日がかり、山中での捜索まで考慮すると下手をすれば遺跡を探すだけで何週間もかかってしまうかもしれません。

 なので、その件に関しては一旦保留とします。旅の素人である私一人でそんな長旅が出来るとも思えませんし、出来れば頼りになる協力者が欲しいところです。時間をおけば、クロエさんからより詳細な情報が手に入るかもしれませんしね。



 「こうしてみると、文字が読めないというのは不便ですねぇ」



 このお屋敷には色々な書籍もあるので、それを読む事が出来れば情報収集と時間つぶしを同時に行えて一石二鳥だったのですが、残念ながらそれは叶いません。日本では当たり前すぎて意識する事すらありませんが、普段の生活においてどれだけ文字に依存していたのかを痛感します。


 まあ、お昼までは恐らく二、三時間といった程度ですし、無理に何かをしないといけないという事もないのですが、この家の本来の住人が全員外出しているというのに客人の私がゴロゴロとだらけるというのはよろしくないでしょう。他人の家でニート生活とかいくらなんでもレベル高すぎますよ、ぬらりひょんじゃあるまいし。現状、半ば強引に押しかけて面倒を見てもらっている身で言う事ではないかもしれませんが。


 メイドさん達のお仕事を手伝おうにも、歴戦の主婦である彼女達を前にしては私など足手まといでしかなさそうです。これだけの広さのお屋敷を、掃除機もなしに常時綺麗な状態を保ったりとか、ちょっと出来る気がしません。



 「……散歩でも行きますかね」



 結局、お屋敷の中ではやる事が見つからなかったので、近所を一回りしてくる事にしました。ただゴロゴロしているよりはいくらか生産的なはず……少なくとも健康的ではあると思いますし。

 昨日の午後は散歩というか食べ歩きになってしまいましたが、未だにびた一文無いので今回は本来の意味での散歩になりそうです。昨日の異様なほどの空腹感はもう治まっているので、それでも問題はありません。


 本日はお日柄も良く、絶好のお散歩日和。強すぎず弱すぎない日差しがポカポカと温かく、柔らかな風の感触も心地良く感じられます。

 そういえば、自動車が走っていないせいか空気が美味しい気もしますね。地球だと、どんなに風光明媚な観光地でもまったく自動車が走っていないなんて事はありませんし、考えてみると完全に排気ガスの影響がない空気を吸う機会というのはかなりレアかもしれません。普通に息をしているだけで、普段の不摂生な生活で弱った私の身体も健康になってしまいそうです。


 石畳で舗装された道をてくてく歩いていると、最初にロビンさんを見かけた広場に出ました。まだ早い時間だからか大道芸などをしている人は見当たりません。きっと、もっと人通りが増えるお昼頃からがかき入れ時なのでしょう。


 広場には私と同じように散歩をしているご老人が何人かいらっしゃいました。一人で杖をついていたり、お孫さんらしき子供の手を引いていたりと、皆さん気ままに過ごしているご様子です。



 「ここだけ見るとあまり異世界感はないですね」



 まるで、ヨーロッパあたりの片田舎に旅行に来たような気分ですよ。

 地球における中世欧州は街中に人畜の糞尿が落ちていて不潔な場所が多かったそうですが、この街は見るからに清潔ですし、ちょっとした道を一つとっても趣深い異国情緒を感じます。

 テンプレ的な異世界ファンタジーの世界観を表す代名詞として『中世ヨーロッパ』という便利な言葉がよく使われますが、この世界に関しては表面的な雰囲気が似ているだけで実際にはあまり当てはまらないみたいですね。


 昨日の午前中の一件を除けば危ない事もなかったですし、この世界に来てからすっかり快適な暮らしを満喫しています。本当にレジャーみたいな感覚ですよ。

 何度か思った事ですが、デジカメなりスマホなりが欲しいですね。まあ、無い物は仕方ないので、せめて脳細胞にこの光景を記憶しておくとしましょう。肝心なのは記録ではなく記憶だと昔の人も言っていますし。


 

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