姉たる千隼と鬼憑きの姉妹

序章

ウォーミングアップ／ラストスパート

　それは、日暮れ近づく森の中のできごとだった。

「わたしは生きたい」

　それが、女の最期の言葉となった。

　トラバサミのように左右から襲いかかった24枚もの大鎌。

　黒と黄の斑縞（まだらじま）の刃（やいば）は女の身体を易々と横断する。

　女は不出来な『ダルマ落とし』へと変わり、肉（にっ）塊（かい）となって腐葉土の上に崩れ落ちる。抑えを失って溢れ出した腸管、歪な鼓動を続ける心臓、半分に切られトロリと肉を伝う眼球。

　髪も肉も骨もグチャグチャに折り重なるソレは人の死体などではなく、

　――食肉加工品（ミンチ）というべきものだった。

　人を肉に貶（おとし）めるがごとき凶（きょう）行（こう）。

　それを成したのは、背丈１４０にも満たぬ童（どう）女（じょ）だった。

　夕陽と血煙（ちけむり）で朱（あか）く染まった光景の中に、彼女は佇（たたず）んでいる。

　目を惹くのは足下に広がるほど長く、絹（きぬ）糸（いと）のように白い髪だ。

　それを斑（まだら）に赤く染めて、童女は立ち尽くしている。

　凶行に使用したはずの巨大な鎌は、いつの間にか消えてしまっていた。

　ゆらり、と童女が振り返る。

　けれども、振り返った童女は何も着ていなかった。

　しかし恥じる様子はない。平安貴族のごとく長い白髪。それこそが衣服だとでも言わんばかりの態度。例えそれがヤセ我慢だったとしても、長い前髪が童女の表情を覆い隠している。

　肢体（したい）を血で濡らして立つ姿は、どこか神秘的でもあった。

　だが、

　最も異様なのは、長い白髪でも、一（いっ）糸（し）纏（まと）わぬ姿でもない。

　額（ひたい）の両端に突き刺さったもの。

　――『六（ろっ）角（かく）ボルト』だ。

　まるで鬼のツノのように、童女の額から『六角ボルト』が生えている。

　ふと、童女が屈みこむ。

　足もとに転がっていたショットガンを拾い上げると、何者かに突きつけた。

　銃口の先には、二人の女。

　一人は快活そうな少女。

　ショートボブの髪も、ノースリーブのブラウスから覗（のぞ）く両肩も、ショートパンツから伸びる両（りょう）脚（あし）も、少女の活動的な性格を感じさせる。

　もう一人は仏頂面の若い女。

　長い黒髪を、白い布で馬の尾のように縛り上げている。１８０センチはあろう長身と豊かな胸を包むのは、何故かブラとショーツだけ。

　くわえて女には、右脚のふくらはぎから先が無かった。

　右脚（みぎあし）の断端（だんたん）を覆うささくれた皮膚は、右脚（みぎあし）を失くしてから数年は経ているであろうことをうかがわせる。

　隻脚（せっきゃく）の女は短髪の少女に肩を支えられながら、白髪の童女を睨みつけた。

「待て、鬼（き）無（な）里（さ）」

　男らしさすら感じる、低く澄んだ声。

　隻脚（せっきゃく）の女が、白髪の童女を止めるように手のひらをかざす。

「飛鳥（あすか）は人を喰ってない」

「黙レ、千隼（ちはや）クン」

　口を開いた童女の声もまた、異様だった。声そのものは若いのに、ところどころで掠（かす）れてしまっている。まるで壊れたスピーカーから発せられているような声。

「そいツを放置すルわけにはいかナイ」

　童女の若く嗄（しわが）れた声が、隻脚（せっきゃく）の女の訴えを退（しりぞ）ける。

　だが、隻脚（せっきゃく）の女は諦めなかった。

「本当だ、証拠ならある」

　隻脚（せっきゃく）の女は、胸の谷間に挟んでいた携帯電話を取りだし、童女へ突きつける。

「私はずっと飛鳥（あすか）を見守ってきたんだ。下校ルートは毎日記録をつけてるし、メールも電話も盗聴して保存してある。ほら、これを見ろ。毎日撮り続けた寝顔の写真だ。他にも飛鳥（あすか）が一度だけ、コンビニでエロ本を立ち読みした時の写真だってある」

　隻脚（せっきゃく）の女のひと言ひと言に、短髪の少女の顔が青ざめていく。

　だが、隻脚（せっきゃく）の女は『そんな些細（ささい）なことには構っていられない』とばかりに訴え続けた。

「それに鬼（き）無（な）里（さ）も知ってるだろ？　私が寝る時は、飛鳥（あすか）を抱きしめている。しかも裸でだ。飛鳥（あすか）が抜け出せば、すぐに気づく」

「……黙レ」

「だから分かるんだ。飛鳥（あすか）が人を喰う余地なんてなかった。――だから、」

「黙レぇっ!!」

　童女の叫び声が、森の中に木霊した。

　悲鳴にも似た、痛々しい叫び。

「そレ以上、何モ言うナ。妾（わたし）に《鉄輪（かんなわ）》ヲ解かせたいのカ」

「――、」

　額の六角ボルトに手をかけた童女を見て、隻脚（せっきゃく）の女は口を噤（つぐ）んだ。

　ふと、遠くからヘリのローター音が響く。

　それを耳にした童女は、小さく安堵のため息をついた。

「水無瀬（みなせ）千隼（ちはや）――そしテ、水無瀬（みなせ）飛鳥（あすか）」

　童女は六角ボルトにかけていた手を下ろし、宣言する。

「君たち姉妹ヲ――《鬼憑（おにつ）き》とシて逮捕すル」

　白髪の童女と隻脚（せっきゃく）の女は、一人の少女を賭けて睨み合う。

　きっと、こうなる事は二週間前から決まっていたのだ。

　故に、

　五年前の決着は――まだ得られない。