テングノメシガイ(Trichoglossum hirsutum)

 昔から日本人は、奇妙なものや不可思議な出来事など、正体不明の何かに恐れおののいてきた。ある時誰かが、その正体不明なものの正体を「あれは天狗の仕業だ!」と言って天狗のせいにした。正体不明な何かに対する恐怖や不安を、その正体を「天狗」として明確にすることによって振り払っていたのだ。正体不明なものは恐ろしい。まあ正体が天狗だとわかってもそれなりに恐ろしいが、正体がわからないものへの恐怖よりも随分楽になるのだろう。


 山道を歩いていると先の方からドスンドスンと木々が倒れる音がする。はて、こんな山奥に木樵はいないはずなのにいったいアレは何の音だろうと不気味だったとか。夜遅くに森を歩いていたら木の上から石をぶつけられた。真っ暗闇を見上げても誰も居ないので恐ろしくなって逃げ帰ってきたとか。近所の幼い子供が消えるようにいなくなってしまった。まだまともに歩けないし言葉だって話せないのにいったいどこに行ってしまったんだろうとか。そういうものをすべて天狗のせいにしてしまって、「天狗倒し」だとか「天狗礫」だとか「天狗隠し」だとかいう名前を付けて安心したりあきらめたりしてきたのだ。だから天狗と名の付く「もの」や「こと」は意外とたくさんある。「鬼」なんていうのもそれに近い言葉だと思う。それを付けてしまえば一件落着的な呪(まじな)いのような言葉である。


 というわけで、今回は「テングノメシガイ」の話である。


 テングノメシガイ科テングノメシガイ属のきのこで、学名を「Trichoglossum hirsutum」、漢字で書くと「天狗飯匙」 である。ちなみにこのテングノメシガイには外見のよく似た仲間が数種類存在するが、肉眼での種の特定は不可能に近い。顕微鏡観察によって子嚢胞子の形態と隔壁数、側毛の形態や剛毛の特徴などによって同定する必要がある。ぼくは今回、この個体を肉眼でしか判断していないので、もしかしたら間違っているかもしれないのであしからず。「ナナフシテングノメシガイ」や「ジュズテングノメシガイ」、さらには「テングノハナヤスリ」という別種もあるのだ。いずれきのこの同定に顕微鏡を使い出すような手練になったら、改めて語りたいと思う。


 まあそれにしても、天狗が飯を炊いて杓文字で椀によそって食べるのだろうかという疑問は残る。そしてどの天狗も軒並み真っ黒い杓文字を使っているようだ。正体を明確にして安心するにしても、若干力加減が雑なネーミングではなかろうか。


 来週、某所で天狗に会う予定なので、杓文字の件はその時に聞いてみます。

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