いたずらな猫娘

赤魂緋鯉

いたずらな猫娘

 晩秋の冷たい空気に包まれた、街の一角の川縁に、かなり大きな豪邸が立っている。高めの塀にぐるりと囲まれたそれは、三分の一を洋風の建物が占め、残りを広大な日本庭園占めている。その中に、母屋と渡り廊下で繋がった、少し小さい純日本風の離れが立っていて、その周りは池と小川とに囲まれている。

「とりっくおあとりーと?」

 台の上にミカンが置かれた、こたつが置いてある居間と、この離れの主である少女の寝室を区切るふすまを開けて、落ち着いた色で染められた着物を着た少女が現われた。満面の笑みを浮かべる、華奢で背が低い彼女の頭には、猫耳のカチューシャが乗っていた。

「ミカンしかないけどいいか、ゆう?」

 その笑みを向けられている相手である、ひょろりと背の高い少年は微笑んでそう言った。彼は隣に座った少女の口の中に、手にしているミカンを一房食べさせる。

「あーん、浩太郎こうたろうにいたずらしたかったー」

 笑いながらむくれている、夕と呼ばれた少女は、間延びした口調で浩太郎と呼んだ少年にそう言った。

「はっはっはー、こたつにミカンをセットした己を恨むんだなー」

「なん、だとー」

 夕は浩太郎とそんな気の抜けた会話をしつつ、こたつに入って顎の下にクッションを挟む。

「ぬくい……」

 こたつの魔力のせいでうだうだになる夕。

「夕は和風好きなのに、洋風なイベントはやるんだな」

 浩太郎はお茶をズズズ、と飲んで、気を抜き、まったりとしている彼女に訊く。

「せっかくだから、何でも楽しみたいのー」

 原型も無くなってるし、ノーカウントだよぅー、と、ゆるゆる口調で付け加える。

「しかしまあ、なんで猫なんだ?」

 そう訊いて、浩太郎は夕の頭を撫でる。

「緒方先生にもらったのー」

 夕は彼に密着して、自らの頭をすりつける。長くふわふわとした彼女の髪の毛が揺れる。その際、顎を乗せていたクッションが転げ落ちた。

「まーたアイツか……」

 頭にのっかっている猫耳をつつくと、ちゃんと柔らかい素材で出来ていた。

「うんー。これで浩太郎を骨抜きに出来る、って言われたけど、どうー?」

 寝っ転がった夕は、彼の膝の上に頭を乗せ、ニパー、と笑ってその顔を見上げる。

「そりゃあもう」

 浩太郎は柔らかに笑いかけ、スッ、と嬉しそうな夕の頬に触れる。

「失礼いたします」

 そのまま浩太郎は、夕の顔に自分の顔を近づけようとした時、廊下と居間を隔てる障子の向こうから、落ち着いた印象を受ける女性の声がした。

「どぞー」

 寝転がったままの夕が、その声の主に向けてそう答える。それから障子が開いて、深々と礼をするレトロなメイド服を着た、妙齢の女性が現われた。

 彼女の後ろには配膳用の台車があり、

「お菓子をお持ちしました」

 その上には透明なクロッシュで覆われた、栗羊羹が盛りつけられている落ち葉色をした長方形の皿があった。その下の段には、急須と深い緑色の茶筒が置いてある。

 顔を上げたメイドはその光景を見て一時停止し、その後何事も無かったかのように、二人の前にそれを置いた。その後、急須を入れ替えて、魔法瓶からその中に湯を注いで少し待ち、小さめの湯飲みに注いだ。

「失礼いたしました」

 部屋から出たメイドはそう言って深々と礼をした。彼女は障子を閉める際に、ごゆっくり、と何か含みのある言い方をした。

「どうも、あの人は苦手だ……」

 浩太郎は大きなため息を吐き、羊羹を口に入れて味わった後、ズルズルとお茶を啜る。

「そうー? あの人、凄くいい人だよ?」

 不思議そうに彼を見つつ、羊羹を口の中に入れる、

「ねえねえ浩太郎」

「んー?」

「この羊羹、美味しいね」

 満面の笑みで、浩太郎にそう訊く夕。

「だな。確か、永川の実家の和菓子屋だっけか」

「その人って、浩太郎の知り合いの人?」

 夕は冗談では無く、本当にわかっていない顔をしていた。

「ほら、一年のでっかいやつ」

「ああー」

 彼女は合点がいったようで、ゆるゆると何度か頷く。

「本当、人の名前を覚えてないよな」

「だって、浩太郎だけ覚えられたら十分だもんー」

「あー、俺達が甘やかしてるからか……」

 夕の知り合いは、浩太郎と大体共通している。

「甘いものすきー」

 ものすごく幸せそうな笑顔で、夕はもひもひと羊羹を食べる。

 ……そういえばこいつ、袢纏着てないけど寒くないのか?

  そのことに気がついた浩太郎が、ふすまの隙間から寝室を見ると、それが落ちているのが見えた。

「じゃあ、もっと甘やかそうか?」

 羊羹を食べ終わった夕に、浩太郎は脚の間を叩き、そこに座るように促した。

「わーい」

 夕は嬉しそうにそこに収まり、背をくっつけて彼に身を預ける。

「あったかーい」

 浩太郎は、えへへへ、と笑う、夕の脇辺りから腕を回して彼女を抱いた。甘い笑顔を浮かべる夕を、彼はとても愛おしげに眺める。

「トリックオアトリート」

 そんな彼女の耳元で、浩太郎はそうささやく。

「お菓子もってないよー」

 夕はくすぐったそうに、身体を揺らしてそう答える。

「じゃあ……、いたずらしちゃおうかな」

 彼女の長い髪をどかして、その耳に顔を寄せよう、とした時、

「『いたずら』とやらは、どんな行為なのだね?」

 母屋側の障子が半分だけ開いて、檜皮色の着物を着た、壮年の男性が現われた。

「父様、お帰りなさい」

「ああ」

 その場から動かず、夕は首だけ動かして、父の方を見てにこりと笑う。

「ああああのいや特にいかがわしい事をしようとはしていません!」

「あー」

 こたつから素早く飛び出し、一本調子の口調でそう言いながら、脚をもつれさせつつ部屋から出て行ってしまった。

 支えがなくなり、床に寝転がっていた夕が起き上がって、自らの父の前にやってきた。

「父様」

「すまんな、つい」

 むくれる夕に、彼女の父は申し訳無さそうにそう言う。

「夕様、彼は庭の方に出て行かれました」

 外套を持ってきたメイドがそれを着せつつ、そんな夕に伝える。

「行っておいで」

「はい!」

 彼女はパタパタと早足で部屋から出て、浩太郎の後を追った。


「やれやれ、彼はアレで隠せているとでも思っているのかねえ」

 若いっていうのはよい事だ、と愉快そうに笑いながら、腕を組んでしみじみとメイドに言った。

「旦那様、あまり先程の様なお戯れは……」

 縁側に控えるメイドが、夕の父にそう苦言を呈す。

「まあ、いいじゃないか。そういうイベントなのだろう? ハロウィンというのは」

 高笑いする彼を、メイドはジト目で無言の非難をする。

「冗談だよ」

 彼はそう言って、肩をすくめてから座布団に座り、こたつに足を入れる。

「本当の所は、彼が夕様にふさわしいかどうかを、吟味していらっしゃるのでしょう?」

 メイドは彼の湯飲みに急須のお茶を注ぎ、自らの主人にそう訊ねる。

「ああ、そうだ。せめて夕にだけは、平穏に生きて貰いたいんだよ」

 床の間にある素朴な仏壇を、遠くを見るような目で眺める。

「心配はご無用かと」

「ほう」

「彼も、とても優しいお方ですよ」

 その仏壇に置いてある額縁には、どこまでも澄んだ青空を背景に、満面の笑みを浮かべる少女の写真が入っていた。その少女は、長く真っ直ぐで、美しい黒髪を持つ少女だった。


                  *


「あー、いたいたー。おーい」

 夕は雪駄をカラコロと鳴らし、小島に渡る石橋の上でたたずんで、水面を見ている浩太郎に呼びかけて近寄る。

「本当にいかがわしい事なんて考えてないぞ! 断じて!」

 顔を真っ赤にしている彼は、傍に来た夕に身振り手振りも加えて、必死にそう訴える。

「? 私は何も訊いてないよー」

 隣に並んだ夕は、挙動不審な浩太郎を見上げ、愉快そうに笑う。

「……ああああ! しまったああああ!」

 顔から火が出そうな勢いで、皿に顔を赤くした彼は頭を抱えてうずくまる。

 しばらくそのまま、うんうん唸っている浩太郎の肩を叩いて、

「浩太郎、トリックオアトリートー」

 一輪だけ咲いている可憐な花のように笑い、夕は振り返った彼にそう言う。

「ちょ、ちょっとまて」

 大慌てで浩太郎は上着のポケットを探り、棒付きのアメを取り出そうとしたが、手が滑って池に落下した。

「ふふふ。じゃあ、いたずらー」

 固まっている浩太郎の頬に、夕が口付けをする。

「……」

 された箇所を抑えて呆然としている彼に、夕は少し進んで、ゆったりと振り返った。

「寒いから、中入ろう?」

 いたずら好き子どものような、それでいて小悪魔を思わせる笑顔を見せる彼女に、

「お、おう」

 動揺しきりの浩太郎は、ロボットみたいにぎこちない動きで立ち上がり、夕に追いつく。

 手を繋いだ二人は、仲むつまじく離れに戻った。


                                  //

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いたずらな猫娘 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ