第392話哲也登場
振り向くと哲也が立っていた。
「なんや、お前も来たんか」
やっぱり哲也にも判るような見え透いた嘘だ。
「そりゃ気になるやろ」
どうやら哲也も心配になって拓哉を探していたようだ。
「友達思いなこって」
と僕が言うと
「お前もな」
と哲也が笑った。
「なんやねんお前ら」
と拓哉がイラついたような表情で僕たちを見た。
「正義の味方に決まっとるやろうが」
と哲也が胸を張ってどや顔で言った。
「あほちゃうか」
と拓哉はあきれ顔でそういってため息をついた。
「意固地になったバカを懲らしめにきたんや」
と哲也は更に嫌味を言った。
「誰が意固地やねん」
今、更に拓哉が意固地になったのが分かった。本当に分かりやすい奴だ。
「バカは気にならんのか?」
と僕がツッコむと
「そうやった。バカにバカと言われるのは屈辱やな」
と拓哉は冷静さを取り戻したように言ったが、ただ単に不貞腐れているだけのようにも思えた。
「もっと素直になれや拓哉。今、俺と亮平はお前が吹部に戻るのは了解したぞ。もう健人が土下座して謝る必要もないしな。これで後顧の憂いもなく吹部に行けるやろ? 全国が終わったらまた帰ってきたらええやん」
と哲也が言うと、拓哉は黙ったまま僕たちを見ていた。
その哲也の言葉を聞いて
――なんだ? 土下座って……もしかして哲也も俺と同じぐらいの時からここにおったんか――
と、気が付いた瞬間、今度は拓哉の背後から
「明日からたっくんは吹部の練習に参加やで。はいこれ楽譜。宮田君から言付かってきたわ。明日の朝までに覚えときや。あんたやったらこれぐらい大丈夫やろ」
と唐突に冴子が登場して拓哉の目の前に楽譜を突き出した。
よく見ると冴子の後ろに器楽部の三年生が全員いた。
みんな拓哉の事を心配して探していたのか? それとも単に暇だったのか?
拓哉と健人は両サイドから僕たち器楽部三年生に囲まれてしまっていた。
「ちゃんと先生にも了解を取ってるし、部長の宮田君も喜んでいたわ」
「勝手な事を……」
と拓哉が言いかけると
「あんた以外はみんな賛成なんや。あんたが何を言おうと、元々器楽部全員で吹部を応援する事を決めたてたやんか。これはリーダー会で何度も言うたはずやで。聞いとったやろ?」
「……ああ」
と拓哉は苦々し気に頷いた。
「だから先生もこの合宿で吹部と合同練習になるのを了承して、器楽部から何人かが応援に行くのも歓迎したんや。判っとぉ?」
「それは判っとぉ」
「という事であんたも早崎や千恵子たちと吹部の為に働け。これは部長命令や」
と冴子は有無を言わさぬ表情で言い放った。
こういう時の冴子には誰も逆らえない。まさに暴君である。しかしこの場合は頼もしいリーダーに見えた。
他の三年生は冴子のこの言葉を頷きながら聞いていた。
拓哉はこの場にいる部員の顔を確かめるように見回した後に
「お前ら……はめたな」
と最後は僕と哲也を睨んだ。
僕たち二人は同時に
「知らん、知らん」
と首を激しく振った。
嘘偽りなしに、こんな状況は僕も哲也も予想も想像もしていなかった。
冴子の後ろで三年生が楽しそうに笑っていた。
ああ、どうせなら僕もそっち側に居たかった。もう少し早く冴子が登場してくれていたら僕はこんな似合わない事をやらずに済んだのにと、冴子に対して少し恨めしさが残った。
後で聞いた話だが僕たちが卓球で盛り上がっている時に、冴子と美乃梨と宏美は先生たちや栄に拓哉を吹部に戻す話をしていたらしい。
合宿前から早崎や霜鳥それに瀬戸千恵子が吹部に応援に行ったのに、拓哉だけ吹部に戻らないのを器楽部の三年生全員が気にしていた。それは僕も哲也も同じだった。
健人が哲也と練習中の拓哉を連れ出したことに気が付いた冴子が、この機会に拓哉を吹部に戻すために一気に動いたようだ。
「ま、諦めるこっちゃな。こうなったらお前は吹部に行くしか道はない。相手は冴子や。勝てる訳ないわな」
と僕は拓哉に声を掛けた。
「ま、それでお前以外はみんな丸く収まるんやからええやん」
と哲也も拓哉の顔を覗き込んで言った。
全く納得できないという表情を見せながら拓哉は冴子から楽譜を受け取った。
拓哉は何か言いたそうだったが口を開くことは無かった。
流石にこの状況では拓哉も頑なに意地を張るのは無理だと悟ったようだ。本当にこの部長命令には誰も逆らえない。
拓哉は暫く楽譜に視線を落としていたが、観念した様な表情を見せると
「健人、な、器楽部はえぐい部活やろ?」
と言って同意を求めるように乾いた笑いを浮かべた。
「ああ、確かに、こりゃ逆らえんわな。だから早よ、吹部に戻って来い」
と健人は頷きながらも嬉しそうに笑った。
「さてと、明日から健人の不細工なリップスラーを治すために頑張らなあかんのかぁ……早よ寝よ」
と言って拓哉は立ち上がった。
もう表情はさっきまでの険しい表情ではなく、さばさばとした表情だった。
そして僕と哲也の耳元で
「お前ら覚えとけよ。余計な事しやがって」
と小声で言った。
「せやな。お礼はミックスジュースで手を打ったるわ」
と僕はしらっと応えた。
「せやな。俺はコーヒー牛乳がええな」
と哲也も同じように応えた。
「ふん! 風呂上りか? お前ら!」
と鼻を鳴らして拓哉は楽譜を片手に宿泊棟へと戻っていった。
その後ろ姿を見ながら
「ほな、おいらも寝よか」
と哲也が脱力したように力なさげな声で言った。
冴子が僕に近寄ってきて耳元で
「私らに来年はないんやからね。ホンマにあんたらしい台詞やったな」
と僕を労うように言った。冴子も最初から僕らのやり取りを聞いていたようだ。
僕はそれにどう応えて良いのかわからずに、適当な返事で誤魔化しながら自分の部屋へと戻って行った。
兎に角、今日は最後にどっと疲れた。明日の事を考えるより、このまますぐに眠りたい気分だ。
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