第378話朝練 その2

「ところで伊藤はトランペットと兼務になっているけど、未経験なのになぜ?」

吹奏楽部出身でもない未経験者は本人の希望でない限り弦楽器が基本だったはず。全くの未経験者に二つの楽器の兼務は酷なような気がする。

そもそも新入生の管楽器担当者の中で未経験者は彼女だけだ。他の部員は中学校時代吹奏楽部経験者だった。


「はい。一応管楽器も試しに吹かせてもらったんですが、何故かトランペットだけが音が出たので『そっちもやったら?』と言われたので……」

とまたもや申し訳なさそうに伊藤美優は応えた。


「たまにそういう新人いるよなぁ……」

と僕は笑った。そういう話は吹奏楽部あるあるで聞いたことがあった。

それにしてもうちでそんな適当な配属を決めるなんて……。


「それ誰に言われたん?」

と気になって聞いた。

そんないい加減な事を言いそうな奴は僕は一人しか知らない。


「立花先輩です」

と更に申し訳なさそうな表情で伊藤美優は答えた。


「やっぱり哲也かぁ……あいつはいつも考えなしにしゃべるからなぁ……それで、『トランペットを希望』にしたんや?」


「はい。『兼務でヴァイオリンも弾かせてもらえる』って言われたので『それだったら、まあいいかぁ』と思ったので……」


――もしかしたらこの子も哲也同様、物事をあまり深く考えないタイプかもしれない――


と思いながらも

「申し訳ないねえ……何だったらヴァイオリン専任って言ってあげようか?」

と聞いた。


「いえ。それは大丈夫です。森さんがトランペットで一緒にいますから」

とにこやかに彼女は今年入部した同級生の名をあげた。


「もしかしてトランペットの森って記田中で一緒やったん?」

と僕が聞き返すと

「はい。そうです」

と伊藤美優は更に元気よく答えた。

少したれ目気味の目じりが更に下がって表情が和らいだ。


「仲がいいんや」


「はい。中学の最後は同じクラスでしたし」


「そっかぁ……ま、無理はしなくてエエから。両方をやるのが厳しかったらいつでも言うてな」

と一応は先輩らしいひとことを投げかけてみた。それがフォローになっているかどうか分からなかったが……。もっとも本人は兼務でも何ら問題がないようだった。


「じゃあ取り合えず二人同時でいいから、まずはG線開放でボウイングしてみて」

と僕は二人に弾かせた。彼女たちの日々の練習の成果は音を聞けば判る。


 彼女たちは立ち上がると緊張した面持ちでヴァイオリンを構えた。そして二人は息を合わせるように弓を動かした。

僕は椅子に座ったまま、弓だけでなく肩や肘、身体の使い方を見ながら二人の奏でるボウイングの音を聞いた。


 二人とも姿勢が良い。そして思った以上に音がそろっていた。


――ほほ~。弓も波打ってへん。ひじの高さも角度も維持しとぉ。弓も全体をちゃんと使っとるし、ちゃんと練習しとぉやん――


 流石に朝っぱらからひたすら1時間近く、ボウイングの練習ができる二人だ。

努力の結果はちゃんと身についていた。

「はい、止めて」

と僕は数回弓の往復を見た後止めた。


「う~ん。兼務でヴァイオリンを始めたばかりにしてはボウイングは上手いと思うわ」


「はい。ありがとうございます」

と二人とも嬉しそうな顔で良い返事だった。


「でも、どちらも返しのアップボウの時に右手の小指が突っ張ったままやったけどね」

と指摘した。


「あ!」

と今度も二人同時に声を発した。


「小指はダウンボウの時は丸めているやん? それを返す時は伸び切った小指を元に戻さんと手首が返しにくいやろ?」

まだぎこちなさは残っていたが、十分練習の成果は出ていた。


「はい」


「今度は小指を意識して弾いてみて」

僕はもう一度弾かせた。

二人はまた緊張した面持ちで弾き始めた。さっきより緊張の度合いが増したような気がした。


 何度か往復させてから

「はい、止めて」

と声を掛けた。


「……」

無言で二人は僕の顔色を窺うように見た。


「うん。いい感じやん。飲み込み早いねぇ」

と僕は笑いながら言った。


「ありがとうございます」

とほっとしたような表情を見せて時岡優奈が応えた。

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